〇第三十五話 原点回帰
静が目指す場所へ着いたのは、明け方近くだった。
武蔵野の面影の残す、今でも雑木林を保有する農家がある一帯。
その一角の、錆びた鉄柵に囲まれたひと際広大な敷地。
その敷地に茂る木々が、
呪力が封じられた時点で静は移動術が使えない。自分の足で歩くしかなかった。
「雛子がいたら、徒歩などあり得ないと呆れられただろうが」
電車に乗ったときの雛子とのやり取りを思い出して、静は苦笑する。
「待っててくれ。必ず、助ける」
雛子と猫鬼を助けるために、静はこの場所に戻ってきた。
薫が雛子をただで帰すとは思えなかった。猫鬼のことも。
錆びかけて古いが、頑丈で立派な錠前を外し、中へ入る。
ここは弥勒院家が所有する土地の中でも、特別な場所だった。闇灯籠を納めた社の原型がある。
父はおそらく、静が普通のヒトの寿命ではないことを見越して、家が衰退するときに残っている弥勒院家の財産をすべて静に遺すように手配したらしい。一度、静の元へ弥勒院家の末裔だという呪術師が訪ねてきて、いろいろと話をしていった。
手入れのされていない敷地は草も木も伸び放題で、梅雨時期の朝、生い茂る若葉の匂いがしっとりと全身を包む。
静の腰あたりまで伸び放題に伸びた草を手で分けて進んでいくと、開けた場所に出た。そして、白い大きな洋館が姿を現した。
さぞ立派な建物だっただろうが、崩れかけている。レンガや太い木の柱など、しっかりした基礎に寄りかかるようにして壁や屋根などは半分崩れていた。
「人の住まない家はさびれるというが、その通りだな」
ここにはその昔、
広大な敷地で、軍上層部や政界人を招いてよくパーティーが催された。
そしてこの場所には、御上の御座所近くの本邸には作ることができなかった、地下牢があった。母が閉じこめられていた場所だ。もっとも、母が死の直前に遺した言葉でわかったことだが、母は閉じ込められていたのではなく、父の
静は崩れかけた洋館の前に広がる、かつてはガーデンパーティーをよく開いた場所を通り過ぎる。ガーデンチェアやテーブルの残骸が、野ざらしの動物の死体のように伸びた雑草の中に転がっていた。
そして、その中庭を過ぎた、桜や松の木が守る庭の隅に、白木の社が建っていた。
静は社へ近付き、
とたんに、見えない壁にぶつかるように、階からその先へ行けない。
「やはりダメか……自分で張った結界に入れないとは、間抜けな話だ」
静は舌打ちする。呪力がなければ、そして呪力があっても、外からは簡単に入れないように結界を張ったのは静自身だ。
額に触れる。刻印のように刻まれたそれを指でなぞる。薫が得意とする、相手の呪力を封じる術印だ。
そして、術印を刻んだ対象物と術者は、深くつながっている。
静は社から離れ、敷地のさらに奥へと進んだ。
「薫と同時化するには、ここに入るしかない」
薫はおそらく、この場所を見にきている。そうでなくては、あの
薫がこの場所を、静の意識に入りこむ『核』にしたのなら、この場所は薫の意識とつながっているはず。
そして今、静の額には薫の術印がある。薫は術印を通して《千里眼》を使う。静がここに来たことに必ず気が付くはずだ。
桜の木の下に、朽ちた籐長椅子が転がっていた。その場所を通り過ぎて、屋敷を囲う塀に突きあたったところで、静は足を止めた。
芝とアイビーの蔦で隠れた、地下への扉。
静はためらうことなくその扉を開け、中へ入る。
湿ったカビの臭いが鼻腔を突く。それは、母に一目だけでも面会するために通った、あの当時のことを思い出させる。
しかし今、震えることも恐怖に怯えることもない。
心は静かだ。
忘れようとしたこと 忘れたかったこと。それらをすべて、なかったことにはできない――そんな当たり前のことを、やっと手に取って納得することができた。
「俺は半妖だ」
それは、忘れることのできない事実。
そして、母との約束も、道を誤った友を救えなかったことも、なかったことにはできない。
だから、ここへ来た。
「前を向いて、進んでいくために――闇を祓う」
忘れようとしたことを、もう一度、目の前に引きずり出す。
目の前に現れた地下牢の鉄格子に、静は近付いた。
「――出てこい、薫」
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