〇第二十九話 やさぐれシンデレラは抱き寄せられ、まどろむ


「そ、そうだ、ソファを二つに分けたらどうかな」


 せめて間隔を取りたいとソファセットを動かそうとしたが、テーブルをL字に囲んだソファセットは大きく重厚で、とても雛子一人では動かせない。


「待たせたな」


 そうこうしているうちに、静が毛布を抱えて戻ってきた。


「……何をやっているんだ?」

「えっ、あの、ソファを動かせないかと思って」

「このソファを動かす? 無意味かつ無理だ。そんなよけいなことをしている時間があったら、少しでも多く仮眠をとることを推奨するぞ」


 静は無表情でさっさとソファに毛布を広げる。


(本当にこれで寝るの?!)


 静の陣取り方から、L字に並んだソファのコーナーに、お互い頭をつき合わせて眠ることになる。


 どぎまぎしていることを気付かれないよう、静から離れたソファの隅にちんまりと雛子は腰かけた。


(どうしよう……)


 どうしていいのかわからない雛子に、大きな毛布が飛んできた。

「うわわっ」

「窓ガラスを割れているから、意外と冷える。使え」

「は、はい、ありがとうございます」

「電気、消すぞ」

「えっ……」

「?なんだ?」

「あ、ううん、なんでもない、です」


 静は怪訝そうに眉を上げたが、すぐに電気を消した。


 部屋が、真っ暗になる。

 とたんに、雛子の身体に緊張が走る。


「クロが戻ってきたら起こしてやるから、気にせず眠れ」


 静はそう言って毛布にくるまった。

 雛子もあわてて毛布をかぶったが、内心それどころではない。


(どうしよう、電気が)


 暗闇の苦手な雛子は、普段眠るときでも小さい懐中電灯を点けて寝ている。

 しかし多くの人は、眠るときは電気を消すものらしい。

 静が寝てしまったのに電気や妖火で明るくするのは申し訳ない。


(大丈夫、暗いけど一人じゃないんだし、落ち着いて……)


 じっと暗闇に目を凝らす。

 月明かりがあるのか、庭の外灯か、部屋の中はうっすら明るい。

 視線をずらせば静の頭がすぐそこにある。それはわかっているが、暗闇の中では身じろぎをするのでさえ恐ろしい。

 心臓の音が耳の奥で大きく鳴る。

 心拍数が上がっていく。

 手にじっとりと汗が滲んだ。


 息が苦しい――そう思ったときだった。


 ふいに、大きな温かい手が雛子の手を握った。


「……せ、いさん?」

「大丈夫か」


 いつの間にか静は雛子の傍に座っていた。


「暗い場所が苦手だと言っていたな。すまない、失念していた」


 雛子は毛布にくるまったままぶるぶると首を振る。そんなふうに誰かに気遣ってもらえることに胸が震えた。


「だ、いじょうぶ、です」

「どこが大丈夫なんだ。震えているぞ。手もだいぶ冷えている。一種のパニック症状だな」


 言ったとたん、静は毛布ごと雛子を横抱きに軽々と抱え上げた。

 雛子は驚いて思わず声を上げる。


「静さん、あの」

「誰かにつかまっていれば大丈夫だと言っていただろう。こんなに冷えて震えていては、症状がひどくなるばかりだ」


 静は腕の中で雛子を抱え直し、そのままソファに座る。


「――これでよし。これなら眠れるな?」


 抱き寄せられている胸元で、静の低い声が響いて聞こえる。今度は別の意味で心拍数が上がり、心臓が爆音を立てている。


「いえ、でもっ、このままじゃ静さんが眠れないですし、その……」

「俺は座ったままでも眠れる。気にするな」

 そういう問題じゃなくて――と言いかけたとき、静が呟いた。

「俺も、猫は好きだ。眠れない夜に、こんな風に猫を抱いて寝ることもあった」

 もっとも、と静は低く笑う。

「こんな大きな猫は、いないがな」


 静は、そっと雛子を抱き寄せた。

 その優しい腕に心臓が壊れそうになりながらも、雛子は、自分が温かいものに満たされていくのがわかった。


 静に申し訳にないと思いつつ、もう少しこのままでいたい、という思いに負けてしまっている。


(静さんと一緒に、猫が飼えたら……)

 そんな甘い夢に包まれて、雛子はまどろんだ。



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