〇第二十八話 大正浪漫とすれ違う会話②


(あ、あれ? あたしなんか変なこと聞いちゃった?)

 あたふたする雛子をよそに、静は何か考えにふけっている様子だ。


「……友か」


 しばらくして、ミネラルウォーターを飲み、静は大きく息を吐いた。


「かつて、友はいた」

「かつて、ですか」

「俺のような非社交的な者にとっては、おそらく唯一の友とも呼べる人物だった。しかし、奴は道を誤った。それを俺は止められなかった。友失格だ」

「な、なんか重いですね……」


 まるで明治・大正時代の文学作品みたいだ。こころ? 大正浪漫? ハイカラさんが通る? 


「もしかして、許嫁いいなずけもいたりして」


 冗談のつもりで言ったのに、静は真面目な顔で頷いた。


「ああ、いたな」

「嘘でしょ?!」

 静は怪訝そうに首を傾げる。

「家同士が決めた許嫁だ。そう珍しいことでもないだろう」

「そ、そうかな、けっこう珍しいと思うけど……」

「だが、彼女には何もしてやれなかった」

「…………」

「男として、心に決めた女性のことは命を懸けて守りたいと思ってはいる。しかし、彼女に対してそうしてやれなかった。許嫁なのだから、無理にでもそうするべきだったのだろうが」


(本当の話、だよね……?)

 静の表情は暗い。嘘を言っているようには見えない。


(今どき許嫁なんて、やっぱりすごい大富豪だよね。それとも由緒ある家柄とか……? 小さいとはいえ、神社で《守り人》だっけ、やっているんだから、昔から続く神社の神主さんとかかもしれない)


 それならば、時代感のズレもなんとなく納得できる。


(いずれにせよ、やっぱりあたしとは住んでいる世界が海と陸くらい違うよね……)


 黙り込んだ雛子に、静が言った。


「正直、最初に会った時、君からはとても濃い闇を感じた」

「へ?」

「さっき妖火ようかが叔母上たちに作用した話を聞いてその闇の正体はわかった。君の中の闇はかなり薄らいでいるように思える」

 言われて、雛子は自然と微笑んだ。

「そうですか。決めたからかなあ」

「決めた? 何を」

「もう叔母の家には戻らないって。あたし、きっと長い年月の間に、叔母の言うことが絶対だって思いこまされてた。あそこからは出られないって」


 縛られているうちに、自分でも自分を縛っていたのだ、きっと。


「でも、もう大丈夫です。これから住む場所を探したり、いろいろ、大変だと思うけど……生きながら死んでいくことに慣れるより、前に進むことにエネルギーを使いたいから」


 雛子は薄羽のような左手をかざした。


「そう思えたのは、妖火のおかげです。始めは『なんであたしが』って神様を呪ったけど、今もまだ死にそうな状況だけど、でも少なくともあたしは、妖火のおかげで生きるべき道に戻ってこられた」


 雛子は笑った。

 その笑顔は、どこか世界のほんの片隅を照らすほどの、けれども手のひらで確実に触れることのできる陽だまりのようだ。

 そんな雛子の笑顔に、静は思わず表情がゆるむ。けれど。


(まだだ。まだ彼女の中には、なにか闇の核のようなものがある。しかし、おそらくそれを増幅ぞうふくさせていた叔母の『呪言じゅごん』からは解き放たれたのだな)


 妖火を宿した、自らの力で。

 その雛子の力強さに感服する。


「……そうか。猫を飼えるといいな。力になれることがあれば、協力しよう」


 言ってから、静は思わず口をふさぐ。

(何を言っているんだ、俺は)

 ずっと人との関わりを断ってきたというのに。

 今さら、誰かに手を差し伸べたいだなんて。


――この世でただ一人の大切な存在も、紅蓮ぐれんの炎の中に置き去りにしたというのに。


「静さん?」


 ハッと顔を上げると、雛子が心配そうな顔をしている。


「大丈夫ですか? 顔色が」

「いや……なんでもない」


 静は立ち上がって、食べた物をキッチンに持っていった。


「クロはまだだな。戻ってくるのを待つ間、ここで仮眠を取ろう。毛布を探してくる」

「えっ?! いやあのっ……」


 雛子が呼び止める間もなく、静は部屋を出ていってしまった。


「こ、ここで二人で寝るってこと……?!」


 確かにソファセットは大きく、静と雛子が二人でベッド替わりにしてもじゅうぶんに余裕がある。


 しかし非常事態とはいえ、男性と――しかも静と――同じ空間で寝ることを考えただけで、心臓が跳ね上がり、耳の奥で大きな音をたてた。

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