〇第二十六話 呪術師の覚悟


 最新式のキッチンに調理器具や食材はなかったが、ヤカンとカップラーメンがあったので湯を沸かして食べることにした。


「うーん、おいしーい」


 雛子は思わず声をあげる。人生で一番おいしいと思ったカップラーメンだ。間違いなく。


 静は背筋をピンと伸ばし、とても美しい箸の持ち方で、しばし湯気を上げるカップラーメンと向き合っていた。そして、おもむろに縮れた麺をつまみ、ためすがめつ見ていたが、意を決したように少しだけすすって――目をみはった。


「美味い……」

「でしょう? よく混ぜた方がいいですよ」


 スマホも知らないのだから、おそらく、カップラーメンも知らないのだろう。そう思った雛子が箸を底へ入れて混ぜてみせると、静はおそるおそる真似をした。


(なんか、ほんとに変な人)


 この世ならざるものを相手に鮮やかに戦ってみせるかと思いきや、スマホやカップラーメンを知らない。


 世間知らずの大富豪か、はたまた妖や式神使いを相手にするリアル呪術師か。


 いずれにせよ、特別な世界に生きる、特別な人。


 透ける左手を見つめる。この妖火が宿るというアクシデントがなかったら、弥勒院静という人物とは出会っていなかっただろう。

 そう考えると、不思議な気持ちになった。

 死へのカウントダウンを刻んでいることは恐ろしいし恨めしくもあるが、静と出会わなかったら、と考えると――。


(やだな、あたしってば、何考えてんだろう)


 雛子は首を振り、カップラーメンをすすり、目の前の静を上目で見た。


 静はカップラーメンの容器を手で持って眺めつつ、無心に麺をすすっている。


(小学生男子みたい)


 雛子はくすりと笑った。おっかなびっくりな仕草は子どものように無垢だ。が、食べているときの伏し目がちな双眸も、精悍な横顔も、すべてが周囲をハッとさせる美しさを放っている。


「……どうした?」

「あ、いえっ、なんでもないです」

「熱湯さえあればこんなに美味で温かな物が食べられるなんて、これは画期的な発明だな」


 静はカップラーメンをかなり気に入ったようだ。すべて食べて容器と箸をきちんとテーブルに置き、御馳走様、と手を合わせ、ところで、と雛子に向いた。


「手袋はどうした?」

「それが、実は……」


 雛子は、大蛇に呑まれたあとの出来事を話した。


「――そうだったのか」

荒魂あらみたなを鎮め、和魂にぎみたまに変える。静さんが言っていた妖火の効果が、わかったような気がします」


 妖火に照らされた瞬間、餓鬼は一つ目小僧となり、花魁妖おいらんようは座敷童になり、凶暴な鬼は燃やし尽くされて叔母たちは元の姿に戻った。

 それは妖火を理屈ではなく、目の前のリアルとして実感できた。

 妖火は、ヒトの負の感情を燃やし、鎮めてくれるのだと。


「それをわかってもらえたのはいいが……進んでしまったな、蝕化しょくかが」

 静が雛子の左手に気づかわしげに眉をひそめた。

「先刻の式神の群れにも妖火を使っただろう。無茶をする」

「はは……つい、必死で」


 必死だったのは本当だ。けれど、それは自分の身を守るということより、静の足手まといになりたくないという想いからだった。戦える力があるのなら、自分も戦って静の負担を減らしたかった。


(でもそんなこと言ったら怒るよね、ぜったい)


 だから雛子は笑ってごまかす。

「ヘンな感じです、透けているのにさわれるし、ちゃんと手の感触があるんですよ」

 へらへらする雛子を、静は呆れたように見る。

「とにかく、このあとはもう妖火の力を使わないほうがいい。危害を加えてくる妖や式神は俺が引き受ける。君は闇灯籠を取り戻すまでひたすら、逃げきることを考えろ」

「でも」

「でもじゃない。闇灯籠を取り戻しても、君が妖火に燃やし尽くされたのでは意味がないだろう」


 静が怖い目で睨んだので、雛子は黙った。


「一刻も早く闇灯籠を取り戻し、君を妖火から解放し、元の世界へ戻す。だからそれまで、命を燃やすな。大事にしろ」

「静さん……」

「何があっても前を向けるように、強くありたい――社で君が言ったことは、俺もかつて強く望んだことだ」

「え……」

「そう思っているなら、今は辛くても、いつかきっと道は開ける。だから、生きることを諦めるな」


 生きることを、諦めるな。

 その言葉は、雛子の胸に優しく強くしみこんだ。


 生きたい。

 でも縛られて生きるのは死んでいるのと同じだ。

 だから雛子は叔母たちに宣言した。「出ていく」と。

 その決意を後押ししてもらえた気がして、雛子は目の奥が熱くなった。


「はい、諦めません」

 頷くと、静は少し笑んだ。

「妖火が君の命を燃やす前に、一刻も早く闇灯籠を手に入れよう。クロが、闇灯籠と五術師教の教祖の居場所を突きとめてくれるといいのだが」

「……あの」

 雛子は、おそるおそる口を開く。

 さっき、ふと思いついたことを言ってみる。なんとなく、怒られるような気がするが。


「妖火を、他の誰かに預けるわけにはいかないんですか?」


 静がじっと雛子を見た。

「なぜ?」

 問うた声は、思いのほか穏やかだ。怒ってはいない。

「なぜって……なんとなく……。静さんのお家の御役目なら、家族とか、親戚とか、他にも代われる人がいるんじゃないかな、って」


 雛子には、静が途方もなく重いものを背負っているように見えたのだ。

 それを静が一人が背負わなければならないものなのか、という疑問がふとわいたのだった。


「役目、とは違う気がする。宿命、というのが一番近い」

「宿命……重いですね」


 苦笑した雛子に、静も苦笑する。


「そうだな。言葉にすると重いな」

 静の言葉はとつとつと事実を紡いでいるように見える。端整な顔には苦しさも痛みも諦めも哀しみもなく、あるいはそれらを全て飲みこみ乗り越えたような、静謐で凛とした表情だけがある。


「俺は、妖火を守っていかねばならない。俺は《守り人》だし、死ぬことを許されていないから」


(死ぬことを許されていない……?)


「静さん、言ってましたよね。妖火が無くなるとヒトの世界でも殺し合いとか戦争が起きるって」

「その通りだ。妖火は妖だけでなく、ヒトの世界にも影響を与える。ヒトにはその存在すら知られていないしヒトの目にも見えないが、妖火はヒトの生きる世界のバランスを保つためにとても大事なものだ。だから《最後の妖火》は守られなくてはならない」


 そう語る静は、どこか寂しげだった。

 きっと雛子とそう変わらない年齢だろう。それなのにスマホも知らず、カップラーメンも知らない。外の世界を知らない。ひたすら妖火のことを考えて生きる人生。

 どんなに大富豪で金に困ることがなく、外の世界と接さずに生きていけるとしても、それは生きづらいのでは、と雛子は思った。


 静もまた、何かに縛られている――雛子はそう感じた。

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