〇第二十四話 絶妙すぎるアシスト


 式神に襲い掛かっていったのは、漆黒の妖――クロだった。



 先刻と同様、黒スーツの喉笛を喰いちぎり黒砂にしてしまうと、クロは雛子の前に降り立った。


《乙女よ、無事か!》

「あたしは大丈夫!それより、あいつが!」


「ちっ」

 式神使いは闇灯籠を抱え、割れたガラス戸から外へ飛び出して行った。

「闇灯籠が!追わなきゃ」

 立ち上がった雛子の肩を、大きな手がつかんだ。


猫鬼びょうき、俺は闇灯籠を追う。彼女を頼む」

《承知》


 静は「ここにいろ」と軽く雛子の肩を叩くと式神使いの後を追っていった。


「クロ!」

 雛子はクロの首筋に抱きついた。ふさふさとした毛並みは涙が出るほど温かい。


《無事でよかった、乙女よ》

「傷は大丈夫なの?」

《うむ。問題ない》


 確かに、背中の大きな傷はほとんど目立たなくなっている。


「どうしてここがわかったの?」

 クロが急に、言葉を詰まらせた。

《そ、それは……ほれ、あれだ、乙女のにおいとか、気配とかを追ってだな》

「……?」

《とにかく無事でよかった。乙女よ、行こう》


 雛子はかすかに違和感を覚える。


「行くって、どこへ? 静さんがここにいろって――」

《社に戻るんだ。社へ行っていれば静は後から来る》

「そう……だね」

 なんとなく腑に落ちない。

 しかしクロは急かすように鼻面はなづらで雛子の足を押す。雛子は押されるままに割れたガラス戸から外へ出た。

 芝生の庭はしん、としている。どこからか犬の鳴き声が聞こえ、夕飯時の匂いが漂ってきた。庭を回りこめば最初に入ってきた門へ出る構造のようだ。

 石畳の通路を回りこんだとき、静がちょうど門から入ってきた


「静さん!」

 雛子は静に駆け寄る。わずかに、クロが身じろぎした。


 静は、クロと雛子を見て紺碧の双眸を険しくした。


「どこへ行く?」

《ほ、ほら、や、社へ。社のほうがここより安全だろ。だから、戻ろうかって》

「……ここはもう『核』を破壊した。ただの住宅に戻っているから安全だ。それに、俺は呪力を封じられている。今は社への道を開けないし、俺が張った結界が解けている可能性もある。ここにいた方がいい」

《そ、そうか、呪力を封じられていたのか、知らなかった》


 探るような静の視線を避けて、クロは静と雛子の間をうろうろした。

《そ、そういえば静が標的に逃げられるなんて珍しいな》

「自動車で逃げられたら生身では追いつかん」

《じゃあ我が追ってこよう、うん》


 まるで逃げるようにクロは門から出ていった。


「クロ、どうしたんだろう……」

 呟いた雛子に、静が怪訝気けげんげに眉を上げた。

「クロ?」

猫鬼びょうきのこと。名無しじゃ呼びにくいから」

「君がつけたのか」

「つけたっていうか……最初、道で会ったときに黒猫の姿だったからクロって呼んだだけで」

 そう言うと、静はどこか嬉しそうに表情を緩めた。

「それでも立派な名だ。妖にとって、名を付けてもらうというのは特別なことだからな」


 そういえば、と雛子は思い出す。最初にクロ、と呼んだ時のクロの柔らかい表情や鳴き声。

 我に名を与えし乙女、とわざわざ言っていたのは、うれしかったからなのか。


「名を付けたのが君なら、あの猫鬼は君が使役できる」

「使役って……使うってこと?」

「そうだ。名は、呪だ。妖にとっては特に、名を与えられることは行動を縛る呪となる」


 縛る、と聞いて、雛子はどきりとする。


「縛るって……ど、どうしよう、あたしが闇灯籠を気にしたから、だからクロは闇灯籠を追っていったってこと?」

 とんでもないことをしてしまったのだろうか。

「猫鬼は――クロは、嫌がったか?」

「いや、そんなことはないような……なんだかうれしそうだった、けど」


 雛子の肩に、静がそっと手を置いた。


「ならば問題ない。妖が使役主に好意を持っているなら、良好な主従関係といえる」

「でも」

 静が軽く肩を叩いた。

「妖火は、妖にとっては闇を照らす希望のともしび。クロはどこに行っても君のところに戻ってくる。案ずるな」

「灯……」


 自分が、誰かを照らすともしびだということ。

 それは、なぜか泣きたくなるほど雛子を温かい気持ちにした。

 それがたとえ、ヒトならざるもの――妖のためだとしても。


 左手をそっと胸に当てたとき、雛子の腹の虫が盛大に哀しそうな声を上げた。


「あ……」

 顔が一気に熱くなる。思い返せば、昼食の後から何も食べていない。食べてないけれど。

(こんなシチュエーションでお腹鳴るとか、あり得ない!!)


 静は一瞬驚いたように眉を上げて、くすりと笑った。


「あ、今笑いましたねっ」

「笑ってない」


 静は割れたガラス戸をまたいで部屋の中へ入り、肩越しに振り返る。端整な顔は、やっぱり笑みを含んでいた。

「作戦中の腹ごしらえは、できるときにすることを推奨する。何か食べられる物がないか、探してみよう」


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