〇第二十三話 足手まといはいやだ
式神使いは灯籠の上に手を置き、灼熱の炎に照らされたような双眸で静を見据え、口の端を上げた。
「さすがだな、弥勒院静。教祖様が用意した『匣』を破壊するとは。それから、小娘」
鋭い視線が雛子を捉えた。
「ここに左手を入れ、早く妖火を戻せ。それはおまえが持っていても益の無いものだ。戻さねば、おまえは死ぬぞ」
雛子は式神使いを睨んだ。
「知ってます。だから早く闇灯籠を返してください」
「ふん、馬鹿な小娘だ。早く妖火を返して立ち去ったほうが身のためだぞ」
「返すって、盗んだのはそっちでしょう!」
「黙れ!」
式神使いが素早く指を動かす。宙を切るその動きは、どこかで見たことのある陰陽師の《結印》という動作だ。
そう思った瞬間、雛子の顔の傍に白い紐が出現――しかしすぐに溶けるように消えた。
「な、なに今の?!」
「ちっ、そうだった。この小娘、妖火を持っているから術が効かない」
「……わかっているなら無駄なことはやめて、灯籠を返せ。今すぐ返せば見逃してやる」
静が呪刀に手をかける。式神使いは高らかに笑った。
「貴様こそ、小娘をこちらに渡せ。妖火は正統な所有者の元へ。我らが教祖様こそが《最後の妖火》の正当な所有者だ」
「妖火に所有者などいない。妖火は妖のものだ。俺はそれを管理しているに過ぎない。あいつはそれを理解していない」
「教祖様を愚弄するな!!」
式神使いが手を合わせ、十指を素早く動かす。
部屋の空気が陽炎のようにゆらりと揺れて、黒スーツの男たちが現れた。
「かかれ!《殺》」
刹那、一斉に黒スーツの男たちが襲い掛かってきた。
(この黒いスーツ姿の人たちは式神だったんだ)
雛子は一つ目小僧と座敷童のことを思い出した。彼らはこの家に術で縛られていると言った。
(ヒトにでも家にでも、式神が縛られているのは同じこと。だったら、試す価値はある)
「雛子! 逃げろ!」
静が叫んだが、雛子は襲い掛かってきた黒いスーツの式神に左手をかざした。
――瞬間。
地の底からの地鳴りのような音と共に、雛子に呪刀を振り上げた黒いスーツが崩れ落ち、床で黒砂になって霧散した。
「なんだと?!」
式神使いがソファから立ち上がった。
(やっぱり!)
雛子は確信した。妖火は式神にも効果がある。縛られた者に作用する。
次に襲ってきた黒スーツもかざした左手の前に、その呪刀が雛子に到達する前に霧散する。
「やめろ!!妖火を燃やせば命を削るぞ!!」
静が叫ぶと同時だった。
自分の左手から放たれた強烈な光に雛子は思わず目をつぶる。
「目がっ……」
「小賢しい小娘が!!!せめておまえだけでも持ち帰らねば教祖様に顔向けできん!!!」
式神使いの手が雛子の手を引っ張った。
「放して!」
雛子は必死で振り払う。しかし雛子の腕をつかんだ手はびくともしない。式神使いはもう片方の手を宙で素早く躍らせた。
すると、大きなガラス窓に奇妙な模様の円陣が描かれていく。
「しまった! 転移術か!!」
気付いた静は追いつこうとするが、式神が行く手を阻んだ。斬り伏せるが、ソファから湧き出るように次々と黒いスーツ姿の式神が現れる。式神は横から、背後から、同時に静へ襲い掛かる。
「ふはは! 希代の呪術師と言われた男も呪力を封じればちょっとばかり刀の使えるただの若造だ」
式神使いは哄笑し、窓に近付く。描かれた円陣の部分だけ、窓が黒い沼のように揺らいだ。式神使いがそこへ手を入れると、ゆっくりと沈むように手が入っていく。
「――っ!」
「小娘よ、おまえは妖火ごと教祖様の元へ行くのだ。妖火を宿したおまえに教祖様は興味もおありのようだしな」
「いやだっ、離して!」
「無駄な抵抗をすると、左手だけを落とすぞ!」
刀の切っ先が雛子の左手に突き付けられた。
「早く歩け! 教祖様がお待ちに――」
式神使いの言葉が、耳を劈く粉砕音によって消された。
「なに?!」
リビングの大きな窓ガラスに何かが激突し、粉々に割れた。
黒い沼のようだった窓ガラスは粉々に砕け散り、生ぬるい六月の空気が奇妙な現実感を室内にもたらした。
「くそっ、どういうことだぁっ!!」
雛子の手をつかんでいた式神使いの力が緩む。すかさず雛子はその手を振り払い、その拍子に床に転倒した。
「っつ……!」
割れたガラスが右腕を切った。思わず押さえた左手を透かして、腕を流れる血が見える。そこへ黒いスーツの式神が呪刀を振り上げて迫ってきた。
(左手を)
とっさに掲げようとしたが、右腕を押さえていた左手の動きは一瞬、遅れた。
(間に合わない――)
全身から血の気が引いた、その瞬間。
真っ黒な影が、式神の喉笛に喰らいついた。
式神は床に引き倒され振り回され、断末魔の咆哮を上げて砂と化した。黒い影は雛子の前に立ちはだかり、襲ってくる新たな式神に獰猛な唸り声を上げた。
凄まじい勢いで床を蹴り、式神の喉に再び喰らいついていったのは――
「クロ!」
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