〇第二十話 出口トラップ  


 を回想した静は、大きく息を吐いた。


――そう、あの時と同じ。

 あの大きな闇祓やみはらい。あの時の妖屋敷のときと同じだ。

 この建物には《核》がある。

 呪力を封じられていても呪力や妖気を感知することはできる。《核》は、二階のどこかにあるはずだ。


 式神を相手にすればきりがない。《核》を見つけて滅する。それがこの迷宮を脱出する最善の方法。


 わかってはいるが、次から次へ式神が湧くように出てくるので、振り払わなくては前へ進めない。


 静は息を整えつつ、周囲の様子をうかがう。

 屋敷は、物理法則を無視した構造になっている。階段がねじれ、もつれあい、廊下が不自然につながり、外から見た屋敷の広さよりはるかに広い空間になっている。

「どこにある……屋敷の《核》は」

 暗い廊下を歩いていると、ずっと先の暗がりに、まるでスポットライトを照らしたかのようにぽつりと明るい部分が見えてきた。

「なんだ……?」

 近付いて、静は思わず身を引いた。

「ここは……!」


 記憶のままの光景に戦慄せんりつした。

 これは、別邸の庭にあった、隠し階段の入り口。

 青々とした芝生に隠された扉の向こうには、地下へ続く階段がある。


解呪かいじゅの基本は、幻術が見せる幻影げんえいまどわされないこと。なぜなら、術者じゅっしゃによって仕掛しかけられるその幻影は、己にとって最も嫌悪する記憶を元にしているからだ」

 静はあえて声に出して言った。隠し扉に手を伸ばすと手が震え、全身に鳥肌が立った。


 静の全身全霊が、この先へ行くことを拒否している。


(馬鹿が。これは幻影だろうが!)

 自分を叱咤し、しかし抑えきれない嫌悪感に手を引きかけた――そのとき。


 静の脳裏に「スマホ」なる物を片手に笑う、この時代に生きる少女が思い浮かんだ。

 彼女なら、こう言うだろう。「こんなの幻ですよ。気にしないで行きましょう」と。


 彼女の言葉は、時代の言葉。


 古く、り固まった静の思考を仰天させつつもゆるりと解かしていく。


(……この先におそらく《核》がある。《核》を壊し、闇灯籠を取り返し、俺は――)

 ここへ来るまでの彼女が見せた表情。それらのひとつひとつが、静の中に新鮮な風を吹かせた。

 驚きに心躍ったのはいつぶりだろう。人を気遣ったのは、笑みが自然と浮かんだのは。

 もう、思い出せないくらい昔の、とても大切な何かを、雛子が一つ一つ思い起こさせてくれた。

 そしてそれはおそらく、この先も妖火を守っていく宿命を負った自分に、必要なことだ――静は、本能的にそう感じていた。


(――雛子を妖火から解放しなくては。妖のためだけじゃない。ヒトのためだけじゃない。彼女のためにも、俺のためにも)


 気が付くと、手は震えていない。

 その手で芝生をどけ、鉄の扉を開いた。

 鼻腔びくうから、冷たい空気と湿った臭いが体中へと染みていく。


 静は、地下の闇へ吸い込まれていく階段を、ゆっくりと下りていった。



◇◇◇



「出口、出口は……」

 雛子は左手をかざしつつ、洞窟のような通路を進む。

「……ていうか」

 雛子は後ろの二人、もとい二匹を振り返った。

「なんでついてきてるの?!」

 雛子の腰のあたりで、大きな一つ目と赤い双眸が見上げてくる。

「おまえ妖火もってる」

「だって、妖火といっしょにいたいもの」

「……あ、そ」

 仕方ない、と雛子は思う。妖は妖火に集まるものだと静も言っていた。

「おまえ、出口みつける」

 へ?と雛子は振り返った。一つ目小僧がじっと雛子を見上げる。

「だから一緒いく。我ここからでたい」

「わちきも。ここは嫌。こわいにおいがする」


 ここから出たいのは、この妖たちも同じらしい。


 妖だが、二匹とも見た目が子どもで可愛らしいので、つい小さい子に話しかけるように雛子はしゃがんで目線を合わせた。

「そっか。じゃあ一緒に出よう」

 二匹は大きく頷く。妖に表情や感情があるのかはわからないが、二匹は

うれしそうだ。それを見て雛子も胸が温かくなったのだが。


「この通路、どこまで続くのかしらね……」

 洞窟のような歪な通路。妖火を掲げても先の闇を見通すことはできない。同じ場所を巡っていると錯覚してしまう。げんなりしてリュックから水筒を出し、ぬるくなった水を飲んでいると、座敷童が雛子の手を引いた。


「……もうすぐ」

「え?」

「もうすぐ、出口」

「え!ほんと?!」

「だけど気を付けて。わちきと小僧は出口にいけない。つかまってしまうから」

「つかまるって……誰に?」

 座敷童はそれには答えず、闇の先を指した。

「迷わないで」

「?」 

「出口は、いちばん嫌な記憶がじょう。迷わずこわす」

「迷わず、壊す」

 オウム返しに問うと、座敷童はうなずいた。

「おまえ、こわす。出口みつかる」

 一つ目小僧も言った。


 どうやら、ここから先に出口があって、そこのカギを壊せるのは雛子だけらしい。


「わかった。ちょっとここで待っててね」

 雛子は立ちあがると、左手を掲げて先に進んだ。二匹がついてくる気配はない。



 喉がからからに渇いて、張りつくように感じる。

 思わず足を止めたくなるのをこらえて進むと、突きあたりに扉が見えてきた。


「出口だ!」

 走り寄る。どこにでもあるような金属の扉で、座敷童が言っていた錠は見当たらない。少々気抜けしてドアノブに手を掛けると、扉は抵抗もなく開いた。

「開いてるじゃん」

 雛子は扉を押して中へ入って――呆然と立ち尽くした。


 左手を掲げなくてもそこは視界がきく。黄昏時の薄暗い玄関。ベージュのシューズボックスの上には古ぼけた造花ぞうかの置物。白い陶器の傘立て。

 雛子は何度も何度も周囲を確認した。


「うそ……なんで?!」


 間違いない。ここは叔母の家の玄関だ。

 確信した瞬間、一気に大きなかたまりが胃を押し上げた。

「うっ……うえっ」

 胃は空なので何も出てこないが、ひどい吐き気がする。


(あたし……嫌なんだ、ここに戻ってくるのが)


 妖火を宿したまま死ぬかもしれないという状況より、この家に帰ってくることの方がつらいという事実に、自分でも驚いた。


 玄関に上がりたくない。戻りたくない。

 戻ったら、シンデレラよりも過酷な生活が待っている。

 シンデレラは王子様が迎えてにきてハッピーエンドだが、現実のシンデレラは迎えなど来ない。

 高校を卒業したら終わると思っていた過酷な生活は、この先もずっと続く。

 仕事に就いて叔母にお金を渡し続けなくてはならない。家畜と呼ばれ、叔母や従姉妹たちに踏みにじられ続ける。

 この先は、出ていくことが許されない、永遠の地獄。


「嫌だ……いやっ」

 身体が震え、足は凍り付いたように動かない。この先に行くことを、全身が拒否していた。

 うつむいた視界に、薄羽のような左手が映る。


(「出口は、いちばん嫌な記憶がじょう。迷わずこわす」)


 ふいに座敷童の言葉が耳の奥でこだました。

「……あたしがやらなきゃ」

 ここから出たい、と雛子を見上げた妖たち。

 縛られた場所から出たいと願う気持ちは、痛いほどわかった。


 雛子はリュックから薄手のカーディガンを取り出した。学校でエアコン対策に使っているそれを羽織り、薄暗い玄関の隅からナイキの黒いスニーカーを引っぱり出してき替えた。雛子の数少ない私物の一つだ。

 最後に、左手に五芒星ごぼうせいの刻まれた手袋をしっかりとはめる。



「一つ目小僧、座敷童、――静さん」

 雛子は神に祈らない。神に祈ることはとっくの昔にあきらめた。代わりに二匹と一人の名を呟く。

 よし、と雛子は左手を握り、スニーカーで薄暗い廊下へ一歩上がった。


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