〇第十九話 やさぐれシンデレラは気付く


――呑まれた!


 そう思った瞬間、浮遊感、のちすぐに落下、雛子は地面に投げ出された。


「うっ、ごほっ、ごほっ」


 背中を打ち付けた衝撃に思わず咳込む。


 雛子は手をついて立ち上がった。床は柔らかくて弾力性があり、湿っている。

周囲を確かめようとして、ここが暗闇であることに気付く。


 途端に呼吸が荒くなる。心拍数が跳ね上がり、額から汗がにじんだ。


――が、そろりと雛子の中に入ってくる。

暗い玄関に、きちんとそろえておいてあった、母の黒いハイヒール――


(まずい)


 パニックの兆候ちょうこうに雛子は焦った。


(灯り、灯りは)


 手探りでリュックからスマホを取り出す。

 ホッとしたのも束の間、画面に大きく空になったバッテリーの赤表示が出て、真っ暗になった。


「そんな……ここで電池切れ?!」


 血の気が引いていく。速度を増す心臓音が耳の奥で大きくなる。が雛子を侵蝕しんしょくし始める。脳裏に浮かぶ、黄昏時の赤い陽の光に染まった風景。

 どうしよう、どうしよう――。


(そうだ!)


 雛子は震える右手で左手の手袋を取った。


 暗闇の中にぼう、とほのかなあかりが出現する。

 だいぶ周囲が見えてきたが、まだ暗い。

 暗い、暗い闇。それは雛子をへと引き込む。


(もっと明るくなって……!)

 そう願った瞬間。

 左手が強く発光した。


 その眩しさに一瞬目をかばい、また左手を見てハッとする。妖火ようかは先刻よりかなり明るさを増したが、蝕化しょくか――透け感が左肩まで進んでいる。セーラー服から出ている腕は虫の薄羽のようになっていた。


『放っておけばその蝕化は全身に広がり、やがて君のたましいは妖火とともに幽世かくりよへ渡ることになる。すなわち、君は死ぬ』


 静の言葉が脳裏をよぎる。


 蝕化部分が増えたということは、これでまた一歩、死に近付いたことになる。

 そう思うと、じわりと背筋が冷えた。


 そうは思うが、今はいろんな意味でこの明るさがありがたい。

 周囲の状況をまずは確認しようと、ぐるりと左手をかざす。


 薄桃色うすももいろの壁。れて湿ったそれには小さな突起とっきがいくつもあり、脈打って動いていた。


「ここ、蛇の身体の中ってことだもんね……」


 急激にこみあげる酸っぱい嫌悪感をなんとかこらえ、自分に言い聞かせる。

「生き物の身体の中なら密室じゃない。入口と出口が必ずあるはず」


 雛子は左手をかざし隅々まで観察した。


「……あった!」


 床と壁の接合部分に小さな穴がある。

 手を入れて確認する。穴は小さいが、柔らかいので伸縮性がある。身体を滑り込ませることができそうだ。壁の向こう側に突き出た手が、風を感じた。


「穴の向こうに風が通っている……てことは、どこかで外へ通じているのかもしれない」

 もう一度穴へ手を入れた――その瞬間。


「きゃああ?!」


 ものすごい力で、手を引っ張られた。

 ずるりと身体が穴を通り、投げ出される。


「いったあ……」


 打ったおしりが痛むのは、下が硬いからだろう。ひやりとした石の感触に手をついて立ち上がると、目の前に小さな影があった。


 息を呑み、左手をかざす。

 かざした灯りの中、その小さな子どものような影がゆらり、と近付いてきた。


《オマエ、イイモノ、モッテル》


 高い声。ふくれたはら不釣ふつり合いな棒きれのような手足。いびつつのの生えた頭部の下、しわしわの顔の真ん中の大きな一つ目がぎょろりと雛子を見上げる。


「ひっ……!」

あやかし!妖だぜったい!!)

 雛子は震える足を叱咤しったし、近付いてくる小さな鬼から遠ざかろうとした。


《マテ、ソレ、サワラセロ。イタイノ、ナオル。サワラセロ》


 小鬼こおには早口で言った。指差しているのは雛子の左手だ。


(触らせろ……? そうか、妖火のことを言っているんだ)


 妖火は妖の荒魂あらみたま和魂にぎみたまに変えるという。和魂の意味はよくわからないが、静の話によれば妖を救う、という意味のようだった。

 醜悪な異形が必死な様子は、むしろあわれを誘う。


(攻撃してくるわけじゃないし)

 雛子はおそるおそる、左手を前に出した。

 すると、小鬼もおそるおそる、雛子の左手に触れてきた。

 かたい、れ枝のような感触が雛子の手に重なる。

《アア、イタイノガ、キエテイク――》

 小鬼の大きな一つ目から、ぽたぽたとしずくが落ちた。


 刹那せつな、雛子の手を握っている枯れ枝のような手がほのかに光り、ふっくらとしたやわらかな子どもの手になり、やがてそれは小鬼の身体からだ全体に広がっていった。


《ああ、生まれかわれた》


 小鬼が言ったとき、小鬼の頭に角はなく、御伽噺おとぎばなしに出てくるお寺の小坊主こぼうずの衣装を着た、可愛らしい一つ目小僧こぞうになっていた。


《闇よ、ありがとう》

「?闇?」


 ここには雛子と一つ目小僧しかいない。一つ目小僧は、はっきりと雛子を見上げて言っている。


「闇って、あたしのこと?」

《そうだ。おまえ、闇。内にも外にも闇ある。真っ暗闇》

「なっ」


 暗闇におびえる雛子にとって聞き捨てならない発言だ。


「あたしが闇ってどういうこと?」

《おまえ、闇にとじこめられている。だから、妖火もってる。妖火は、闇てらすもの。妖のともしび。だから闇灯籠にある》


――闇にとじこめられている。

 その言葉は、暗闇に怯えて生きる雛子の胸をえぐった。と同時に、どういうことなのか無性むしょうに気になる。

 外側はわかる。それは自分の生活環境のことだ。それは確かに、闇だ。

 では、内側というのは。


(……もしかして)

 脳裏をよぎったのは、から雛子の中にずっとある、の記憶。


(まさか、いくら妖だからって、記憶まで見えるはずはない)


 思考を遮ったのは、小さな子どもの手がぐい、と雛子の手を引いたからだ。


「おまえ、仲間たすける。こっちこい」

「えっ? あっちょっと」


 一つ目小僧は、雛子の右手を引いてどんどん進んでいく。


 ここは地下のようだ。窓がなく、暗い。壁も床も石を組んで造られている。風が通っているので風穴があるのだろうが、出口らしきものはなく、いびつに曲がった通路が続く。まるで洞窟のようだ。

 脇道もなく逃げようもなく、また逃げる必要もなくなったので、雛子は一つ目小僧に手を引かれるままに進んだ。

 目の前をちょこちょこと歩く妖は、可愛らしくすらある。

 会話ができるようなので、雛子は聞いてみることにした。


「ねえ、あたしも助けてもらいたいんだけど、ここから出るにはどうしたらいいのかな」

 雛子を呑んだ大蛇が式神らしいということはなんとなくわかった。だからここは大蛇の身体の中というより、式神を操る術の中だということもなんとなくわかった。静が妖火を守っている社みたいなものだ。だから一つ目小僧にも遭うし、こうして石造りの場所を歩いていることも納得できるのだが、出ないといけないということははっきりしている。


「みんな、ここ出たい。でも式神ここかってに出られない。仲間喰わないとでられない。いちばんにならないと、消える」

「?」

 一つ目小僧の言っていることはよくわからない。けれど、雛子の手をぎゅっと握る小さな子どもの手は熱く湿っていて、何かを訴えている。


「あたしもここを出たいんだけど、どうすれば出られるの?」

「式神でいちばんつよくなる。そうすれば出られる」

「あたしは式神じゃないんだけど……」

 この家にいる異形いぎょうは、妖ではなく式神と呼ばれるらしい。雛子にとってはどちらでも同じだ。

「ねえ、強くなるってどうすればいいの?」

「仲間喰う」

 雛子は思わず身を引く。仲間を喰う?何かの表現の間違いか?

「それしか方法ないの?」

「仲間、きた」


 問いに答えず一つ目小僧が指した先。

 こごった闇の中に、誰かが立っている。


「ワタシ、キレイ?」


 華やかな着物姿だった。花魁おいらん、という言葉が雛子の頭に浮かぶ。

 紅色の着物を見事に着飾ったその女の白い顔で、耳まで裂けた口がにたあ、とわらった。


「きゃあああ!!!」

 雛子は思わず叫び、一つ目小僧の手をぎゅっと握って引っぱり、走り出した。

 一つ目小僧は素直に雛子に手を引かれて走る。

「我、仲間喰いたくない、おまえ、助けろ」

「助けてほしいのはこっちでしょ!!」


 どうやってあんな重そうな衣装で走るのか、花魁あやかし物凄ものすごいスピードで追ってくる。


「ワタシキレイィイイ!!」

 雛子はセーラー服のえりをつかまれ、引き倒された。

 花魁妖がおおいかぶさるようにして載った。

「うっ……!」

 人一人の体重とは思えない重さで、身動きができない。息が苦しい。


「キレイデショウ?」

「いやぁあああ!!」

 真っ赤な目と裂けた口が間近に迫る。雛子は、腕で顔をかばった。


 刹那、鋭い叫び声が上がった。


「ソレ、ソレハ……」

 こおるように冷たい手が、雛子の左手をつかんだ。

 振り払おうとして、雛子は手を止めた。

 花魁妖の真っ赤な目から、ほろほろと雫が頬を伝っていたからだ。


「アア、アタタカイ……!」


 雛子の上に乘った花魁妖は雛子の発光した左手を握ったまま、ほのかな光に包まれている。のしかかる重みが、みるみる軽くなっていく。


「あ……」


 いつの間にか、花魁妖は小さな女の子に変じていた。

 牡丹ぼたん柄の着物姿やおかっぱ頭が愛らしいが、瞳が赤いままなのは妖だからだろう。どこかで見聞きしたことのある、座敷童ざしきわらしに似ている。


「ありがとう」

 妖少女は、にっこりと雛子の左手をぎゅっと握り、そっと離した。


(さっきと同じだ)


 一つ目小僧の時と同じ。

 雛子の左手に触れた瞬間、凶暴な妖は大人しくなり、無害になる。


「これだわ! 一つ目小僧と座敷童にはできたんだから、ここに潜む他の式神にも通用するはず!」



――妖火で荒魂あらみたま和魂にぎみたまに変えて、式神を無害化する。


「そうとわかったら出口を探すわ」

 戦い方を見つけた雛子に怖いものはなかった。







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