〇第十八話 妖屋敷を仕掛けるのは


「間に合わなかったか……!」

 

 直後だからと望みをかけて斬ったが、雛子の姿は無い。大蛇の首も霧散した。


「くそっ!」


 大蛇の鎌首が消えた床を蹴りつける。

「大蛇はこの家の一部。雛子は家の深部へ取りこまれたに違いない。やはり、この家全体が呪力の満ちた式神の巣!」


 敷地に入った途端とたんに鼻を突いた死臭。あれは、多くの式神を呪術で無理やり縛ったことで生じる、怨嗟えんさの臭いだ。

 そして、この家に縛られた式神は、共喰ともぐいをすることでより強大きょうだいな式神になる。

 即すなわち、式神は呪縛じゅばくの対価として、この家の中で消滅した他の式神の妖力を吸収でき、結果、生き残った式神がより強大になる。

 故に、潜んでいる式神は妖力しさにより凶暴になり、戦闘にてきした攻撃性を備える。


 式神ノ匣しきがみのはこ――蟲毒こどくに近い呪法で、古来より籠城ろうじょう戦で高位の陰陽師が使った、かなり高度なもの。個々の式神をめっしても意味がなく、呪法の《核》を探し出して滅しなくてはならない。


 静は舌打ちをした。

「これは、あの式神使いの仕業じゃない。こんな高度で悪趣味なことをするのは――」


 再び奇声が鼓膜を刺激する。先ほどよりは小さいが、醜い蝦蟇が数匹、豪華絢爛なシャンデリアから生まれ出るように這い出してくる。


 それらを次々に斬り伏せ、静は玄関ホールから優美なカーブを描く階段を上った。

 壁や階段にも常に何かがうごめくような感覚がある。式神ノ匣は、家そのものが生きている。


「《核》のある家……。おまえを最後に見たあの日と同じということか――かおるよ」


 階上に再び現れた蝦蟇を睨み、静は呪刀を抜く。


 静の脳裏に、ずっと頭の隅でほこりをかぶっていた、しかし絶対に忘れることのないよみがえった。


***


 大正二年 十二月 夕刻 東京府 某村。


 事前に避難を促したので、村民はいない。

 すみを塗りこめたような夜闇の中、松明たいまつの火だけが赤々あかあかと燃える。

 今夜の闇祓やみばらいは大規模なもので、標的ひょうてきは、とある村はずれにある大きな古い屋敷だった。そこが、まるごと妖の巣になっていて、村民からも鬼火が出るだの、鵺が出るだの、苦情が出ていた。


 そこにむ大妖から雑魚ざこまですべて狩り尽くし、闇祓いせよ――それが今回の指令だった。


 突入を前に、屋敷周辺にいる小妖しょうようを狩る。妖が集まる場所には「むし」と呼ばれる小妖がまっていて、それを狩るのは下級呪術兵の仕事であり、修行だった。


 静たち指揮官や上・中級兵は手を出さず、蟲狩むしがりが終わるのを待っていた。

 蟲狩りをしない上・中級兵たちが、突入を前に、武器の最終確認をしている。

 そんな中、この作戦の指揮官を任された静と副官の薫は、兵たちと離れた松明の傍で二人、だんを取っていた。


 捕えた蝦蟇がまを三人がかりで、下級呪術兵たちが軍用車両に運び込んでいく様子に、薫は優美な眉をひそめた。

「本当にあんな雑魚まで狩るのか……知ってた? 今回の闇祓い、戦争のためらしいよ」

「戦争?」

 静は思わず眉を上げた。

「キナ臭いのは欧州だろう。我が国や今夜の任務と何の関係がある」

「それがそうでもないみたいだよ」


 薫は、白い手袋をした手をひっくり返す。五芒星が松明の炎の色に染まった。


「かつて明治政府は富国強兵、近代化のために呪術を排除したけど、その影で呪術界の精鋭である僕ら五術師家は残した。その目的は、御上おかみ呪詛じゅそから守りたてまつることと《闇祓い》をする――妖を滅し、民間に染み付いた古い因習いんしゅうを打破する――こと。でも実はそのほかにもう一つ目的があるって、知ってた?」

「……さあな」

 静はそう呟いただけで、腰に下げた水筒を飲んだ。その腕を、薫の肘がつつく。

「またまた、しらばっくれちゃって。静は勘が良いんだから、ほんとは気付いてるんだろ? 狩った妖はどうなってるんだろう? 東京府郊外のどこかに集められているようだけど、集めてどうするんだろう? ってね」


 楽しそうに話す友人に、静は深く溜息をついた。


「……異国が持たない非科学的エネルギーの獲得かくとく妖力ようりょくを結晶に封印し、動力として使う。日露戦争末期において、ロシア軍の機関銃攻撃に対抗する手段として妖力による広域結界の展開をテストしている」

「ほらあ、知ってるじゃないか」

 薫はうれしそうに静の肩に腕を回した。

「だからさ、今回の《闇祓い》が大掛かりなのは、もうすぐ起こる戦争への準備ってことらしいよ。それだけこの屋敷には、大物がひそんでいるってことさ」


 薫は、白い手袋で銀髪をかき上げ、静にささやいた。


「これは、上層部の噂だけどさ。妖火ようかがあるんじゃないかって」

 静は軽く目をみはる。

「妖火はもう存在しないと聞いている。妖火を持つほどの大妖は、この国には残っていないと」

「それが、残っていたみたいだよ。最後の妖火だろうね、おそらく」

「まさか、妖火も動力に?」

「もちろん。だって、妖火は神が下された火だよ。これを広域結界に応用できたら、機関銃の攻撃も通用しないどころか、火炎放射みたいにエネルギーを発動させて反撃もできるんじゃないかって」

「……くだらん」

 静は唾棄だきするように言った。

「妖を狩るのは御上おかみのため、国や民のためだ。その結果、妖を集める妖火を消すのもな。しかし、それを他国との戦争に利用するなど、バカげている。国や民の安寧あんねいを願って狩ったもので他国を襲い人の命を奪うなど、理屈が合わない」

「まったく君の言う通りだけどね。お偉方は明治政府からの呪いである富国強兵政策に洗脳されているからね。下手をすれば世界中を巻き込むかもしれない戦争で大きく戦果と利益を上げて、列強に並ぶどころか一歩も二歩も前に出たい、っていうのが本音じゃないかな」

「くだらない。戦争など、相手も自国も、人が死ぬだけだ。やって良いことなど何もない」

 静が顔を背けると、薫はおどけたように肩をすくめた。

「いやあ、君の言うことはいちいちもっともだよ。戦争ではたくさん人が死ぬ。それって、よくないことだよね」

 でもさ、と薫は静の肩に腕を回してささやく。

「世の中にはたくさんのしかばねの上で金をもうけたいと願うイカれた人間もいて、それで世界が回っているっていうのが現実さ。そう考えると、僕らの生きる現世げんせいこそが地獄なんだなあって思うよね」

「……そうだな」


 静は、標的の妖屋敷あやかしやしきを見上げる。


 田舎にしては大きな屋敷で、とある華族の別邸だということだった。かなりの妖気を発している。

 屋敷が妖の巣になっているということは、呪術の『核』が作られているということ。それができるのは、確かに大妖なのだ。


「この屋敷を掃討して、得られる妖力は大きいな。妖火があるなら、なおのこと」

「でしょ。列強との戦争に使えるほどの動力だもの、金や鉄鉱石の鉱脈を見つけるのと同じくらいの価値がある。ますます陸軍上層部が戦争したがっちゃうかもね」

「戦争など、くだらん」


 ここで狩った妖や妖力が異国との戦争で使われ、多くの命を奪う。そう思うと気が重くなった。


 しかし、静には選択肢がない。呪術師として、軍人として、任務遂行に徹することがこの場での最善の行動だ。


 特に今回の作戦は、最大の戦果を挙げる必要がある。

 弥勒院家当主として、初めて指揮を執る作戦だからだ。


 五術師家筆頭の当主として、陸軍に所属する者として、完璧に任務を遂行し、陸軍における五術師家の有用性をアピールする必要があった。


――あの人のために。

 父は、静の提示した条件を呑んで、地下牢からあの人を出してくれた。だから、静は父の命令を受け入れ、弥勒院家当主となったのだ。

 ずっと地下に閉じ込められていたので療養が必要で、すぐに会うことはできないが、今日のこの作戦が終わったら面会できるように計らうと父は言った。


 思考の淵から静を引き離したのは、騒々しい音だ。馬の嘶き、車両のエンジン音、武器や武具を準備する音。それらの音が静を現実に引き戻した。

 呪術兵たちが準備を終え、一か所に集まり始めている。

 その光景に目をやる薫の双眸は、不思議な色に輝きはじめていた。薫が呪力を発動している証だ。薫は、千里眼が使えた。

 松明の灯を赤々と映す薫は恍惚こうこつとして、ここではないどこかを見ている。


「この作戦、成功したら軍部での君の地位はゆるぎないものになるだろうね。あぁ、なんだかゾクゾクしちゃうな」

「くだらんこと言ってないで、行くぞ」

 赤々と燃える松明を背に、静は立ち上がった。


***



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