〇第十七話 式神襲来


「うわ、大きい扉」


 雛子は黒々とした扉を見上げた。一般家庭の二倍はある。両開きで、草花模様の重厚な彫刻が施してあった。


 静がドアノブに手をかけると、音もなく扉は開いた。

 静は、表情をけわしくする。


「後ろからついてくるように」


 静は短く言うと、中へ滑りこんだ。


 入ってすぐ、玄関ホールは吹き抜けになっている。

 二階から下がるシャンデリアが、妖しく煌びやかにホールを照らしていた。


「誰もいませんね」

「いや、気配はある。――しっ」


 どこからか、風が吹いてきた。


 その拍子に、重い玄関扉が大きな音をたてて、閉まった。


 雛子はびくっとして思わず玄関扉から離れる。

 無数のガラス粒が連なった葡萄のようなシャンデリアが、風に揺られて、ちりん、と鳴った。


「――来る!」


 静は雛子の手を強く引いた。

「きゃあ?!」

 その勢いで雛子は向こう側の壁に投げ出され、とっさに壁に手をつく。


「ちょっ、危ないじゃないですか!」

「あれに喰われてもよかったのか」

「え?」


 静が指さす先に、黒々とした巨大な何かがうごめいている。


「な、に、あれ……」


 先ほどまで静と雛子がいた場所。

 そこには、岩ほどもある巨大な蝦蟇がまが、茶黒い身体を震わせていた。


(こ、これ現実だよね?)


 思わず鼻をおおいたくなる生臭い異臭。ちゅうを震わす不快な鳴き声。

 粘着質な音とともに黄色い目玉がぎょろりと動いた。

 次の瞬間、大きな口から真っ赤な舌が飛び出し、呻りながらこちらへ高速で向かってくる。


「下がれ!」


 静は叫び抜刀。目視不能もくしふのうな速さで刀が動いた。

 むちのようにしなる蝦蟇の舌が重い音を立てて床に落ちた。不協和音のような不快な鳴き声が響く。


「静さん、あれ!!」


 蝦蟇が再び口を開くと、そこには数本の赤い舌が蛇のようにゆらゆらと蠢いている。静は舌打ちした。


「しつこい!」


 舌は物理法則を無視して多方向から飛び出す。静は縦横無尽に刀を振るい、次々と斬り落としていった。

 しかし次の瞬間、変則的方向から飛んできた舌が静の斬撃をわずかに掠め――雛子へ迫った。


「っ!」


 咄嗟に静が左腕を伸ばし、舌がそこに絡みつく。じゅう、と嫌な音がして、軍服とその下の皮膚が溶けた。


「静さん!」

 思わず駆け寄ろうとしたが、

「君はそこにいろ!邪魔だ!」


 そう叫ばれて立ちすくむ。


 確かにそうだ。武器も戦う手段も持たない雛子が傍に寄っても、足手まといになるだけだ。

(あたしも、何か助けになれればいいのに……!)

 雛子は唇をぎゅっとかみしめ、蝦蟇と対峙する静を見守った。



 蝦蟇は獲物を捕らえたことで、愉悦ゆえつに満ちた鳴声を上げた。



 耳障りな音が空気を震わせる。蝦蟇は舌を引き、静は身体を引っぱられた――いや、わざと

(抵抗すればよけいに毒舌が喰いこむ。まずは近付いて――)

 食いこむ毒舌の痛みに顔をしかめつつ、静は岩のような蝦蟇の身体と距離を測る。そして、何事か口の中で言葉を紡ぎ始めた。


 読経のようにそれは、聞く者が聞けばわかる、呪法発動のための《真言》。


 蝦蟇の口に近接した刹那、静は腕に絡みついた舌を斬り落とした。



「!!」


 雛子は思わず耳を塞ぐ。ひび割れた不快な反響音で、鼓膜がきんと痛んだからだ。

 しかし次の瞬間、その耳障りな音を断ち切るように、拡声器を通したような澄んだ声が響いた。


《オン・マユラ・ギランティ・ソワカ――動くな》


 瞬間、静止画像のように蝦蟇の動きがぴたりと止まった。

 静が跳躍、そのまま大きく呪刀を振り上げ、素早く刀を払う。

 断末魔の咆哮が上がったかと思うと――蝦蟇は黒い砂となって瞬時に消えた。


「厄介な式神だ」

 溶けた軍服の下、赤黒くただれた痕を見て静は顔をしかめた。雛子はどうしていいのかわからない。むごい傷に身体の芯から戦慄せんりつする。

「す、すいません!どうしよう、こんなひどい怪我……」

「君のせいではない。避けきれなかった俺の落ち度だ」


 静は無表情で刀を収めたが、問題のないような傷には見えない。


「とにかく消毒を。どこかに水道……洗面所は」

 雛子が一歩踏み出したときだった。


「待て! 行くな!」


 みし、と床がきしんだ瞬間、雛子の前に何かが飛び出してきた。


 床から現れたのは、天井に届くほどの巨大な蛇の鎌首かまくびだ。

 威嚇音いかくおんと共に、どす黒い舌が不気味におどる。


「きゃああああ!!」


 鎌首をもたげた巨大な蛇が、そのあぎとを大きく開き雛子に襲い掛かった。


「くそっ」


 静は呪刀を振り上げたが――間に合わず。

 大蛇は、一瞬で雛子を呑みこんだ。


「雛子!」


 思わず名を叫んだ刹那、静の呪刀が大蛇の鎌首を切断、乾いた咆哮と共に鎌首は砂となって消えた。

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