〇第十五話 教祖と呪術師はやさぐれシンデレラに闇をみる


 ヴィクトリア調の家具も瀟洒しょうしゃな部屋。一人の青年が湯気の上がるティーカップに口をつけていた。


 銀色の髪に、高い鼻梁びりょうに長い睫毛まつげが揺れる、繊細な顔立ち。異国の血が混ざっていることを思わせる青年の大きな双眸は、しかし異邦人いほうじんにも見当たらない色彩しきさいを放つ。

 鮮やかな金色が、濃淡を変えて揺らぐその瞳は、瞳孔どうこうが幾重にもなっていて、ヒトのものでも獣のものでもない。


 その瞳を、つ、と細め、青年はマホガニー材の執務卓にティーカップを置き、スマホを手に取った。


「あーあ。静は相変わらず天然っていうかさ……無自覚なんだよね、自分が衆目しゅうもくを集めちゃうっていうことを」


 青年は、長い指でスマホの画面を弾いた。


「さっそくSNSに投稿されちゃってんじゃん」


 そこには漆黒の軍服姿の美形とセーラー服の少女が写っている。


「静の呪力は封じてくれたんだね」

 青年は、SNSの画面を拡大する。静の額には、金色に燃える青年の瞳孔と同じ、重なった瞳孔の印が赤々と刻まれている。


 青年が座る大きな革張りの椅子の背後で、影のように立っていた黒スーツの男が慇懃いんぎんに答えた。


「はい。教祖様よりたまわりし呪符じゅふにて」

「御苦労。でも、静は呪力使えなくても強いからなあ。僕と違って、マッチョな体育会系だからさ。君、だいじょうぶ?」

「今度こそ《最後の妖火》を手に入れて参ります」

「ごめんねえ。病弱な僕は外出するとお肌が荒れちゃうからさ。代わりに素敵なはこを作っておいたから存分に活用してくれたまえ」

「はいっ。ありがたき幸せ」

「任せるよ。で、このかわいいセーラー服の子が妖火の宿主?」

「はい」


 若き教祖はスマホの画面にじっと目を凝らす。


「……すごい闇だ。深く、堅牢けんろうな」

「は?」

「ねえ、この女子高生も一緒に連れてきてくれる? 妖火が宿る人間なんて、ちょっと興味あるな」

「は、はあ……」

「じゃあ、がんばってね」


 ひらひらと手を振る若き教祖に、男は深々と頭を下げる。

 男の腕には、金色の灯籠――闇灯籠やみとうろうがあった。



◇◇◇



 住宅街の中を、静と雛子は歩いていた。


 閑静かんせいな住宅街には、人影もまばらだ。帰宅する人がそれぞれの家に吸いこまれていくと、道路はひっそりと静まり返る。


 雛子はスマホを片手に地図とにらめっこをしながら歩いていた。静は隣を歩き、周囲を警戒していた。


「あっ、もうっ、また曲がるところ間違えた。この青い点、ちょっと動きがずれるんだよね、もー腹立つ!」

「さっきから君はよく腹を立てるな」


 静はあきれて言う。


「だって本当にむかつくんですよ、この青い点!」


 雛子は思いきり顔をしかめる。

 静に慣れたのか、よく表情を変えるようになった雛子を見て静はかすかに笑う。


(――闇そのもののように見えたが)


 結界内の参道で初めて見た時、彼女を取り巻く闇の濃さに少し驚いた。普通の少女が背負うものとはとても思えなかったからだ。


 あまりに闇が濃かったため、呪力で闇を引き寄せているのかと錯覚さっかくした。結界を破った術師は彼女だと疑ったのは、そのためだ。


 だが、行動を共にしてみて、彼女が結界を破ったのではないという確信が持てた。


(彼女には、呪力はない)

 彼女から呪力の流れは感じないし、呪術をこめた手袋は邪心じゃしんある者に反応するが、貸した手袋は彼女に順応じゅんのうしている。


(それに……彼女はあまりにも純粋だ)

 闇灯籠を探さねば命はない――その事実を突きつけた時、泣き叫ばれるかと思った。

 しかし、彼女は泣かなかった。

 泣くのを必死にこらえて、闇灯籠を探してみせる、と言った。その姿に、胸をしめつけられた。こんな想いは初めてで、静は正直、戸惑った。

 ひたむきな想いに支えられた強さ――そういう彼女の純粋さが、静の胸をしめつけたのだ。

 

(しかし、この闇の濃さはどうだろうか)

 彼女のような純粋さを持った少女は本来、か弱く、周囲に助けられることが多い。

 異国の御伽噺『シンデレラ』のように。

 しかし、彼女の周囲にこごる闇が、彼女の雰囲気をものにして、周囲を遠ざけている。まるでいばらさくのように。


 孤立無援のシンデレラ。静は、雛子の周囲を取り巻く闇にじっと目を凝らす。


(……これは彼女に対する、呪詛じゅそだ)


 雛子に呪詛をかけている者がいる。それも日常的に。


(そして、呪詛が彼女の内側にある闇を育て、彼女を取り巻く闇を大きなものにしてしまっている)


 この世に生きるものは皆、その内側に闇を持つ。

 個人差があるその闇は、時に外側から呪詛を呼び寄せ、それによって内側の闇も肥大する。雛子は、その典型だと思えた。


(それが、彼女に妖火が宿った原因なのだろう)


 妖火は妖の灯。本来、闇にあるもの。それを神の火を現世に留めるため、妖匠ようしょう呉剛ごごうが闇灯籠を作った。

 闇灯籠は、完全なる闇の器。だから妖火が宿る。


 雛子を取り巻く闇は、妖火が宿るほどに濃いということだ。


 一般の人間がそこまで濃い闇に囚われていることが驚きでもあり、不憫でもあった。


――が。


(……俺が関わるべきことではない)


《最後の妖火》から解放されれば、雛子は彼女の日常に戻る。それでいい。彼女の日常がどうであれ、現世げんせい万象ばんしょうはそうあるべき姿で存在しているのだ。理由はどうあれ、自分が干渉かんしょうするべきではない。自分は、神ではないのだ。


(だが、本当にそれでいいのだろうか?)


 前を向いて歩いていくために強くなる、と雛子は言った。それはかつて、静自身も身を焼かれるほどに欲したこと。


 だからこそわかる。


 そう思うのは、生きるのが辛く苦しいからだ。


 己の力ではどうにもならない運命。それが、地獄の業火ごうかのようにこの身を焼く。だから、強くなりたいのだ。前を向いて歩いていけるように。


 そうでなくては、生きていけないから。


(彼女の内側にある闇は、そういった種類のものなのだろう)


 雛子を放っておけない気になるのは、静も同じ苦しみをかつて――いや、今でも抱えているゆえかもしれない。

 そしてその苦しみは、前を歩く少女が抱えるにはあまりにも重いものに思えた。


(ヒトらしい感情など、とうの昔に無くなったと思っていたのに)


 雛子の存在は、長く人との接触せっしょくってきた静の胸の奥底を揺さぶる。

 それは決して不快なものではない。

 しかし、越えてはならない一線を越えてしまうかもしれないという不安が、静に警鐘けいしょうを鳴らしている。


(彼女の内側の闇をのぞくかどうかはともかく)


 今一つだけはっきりとわかっていること。


「なんとしても、彼女を死なせてはならない」


 妖火は、今この瞬間にも雛子をむしばんでいる。無関係な一般人である彼女を、早く妖火から解放することが何においても最優先だ。


 そのとき、雛子が静を呼んでいることに気付いた。


「静さん? 聞いてます?」

「……いや、すまない。考え事をしていた」

「もう。ほら、見てください」

 雛子が指した先。

「支部、たぶんあそこです」

 

 周囲よりも大きめな白い家が、住宅街の薄暗い闇にたたずんでいた。


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