〇第十一話 やさぐれシンデレラのトラウマ



 不思議に青みを帯びた双眸が、雛子を怪訝気けげんげに見下ろす。

 その瞳には先刻先刻までのつめたいうたがいやいかりでなく、困惑こんわくの色が浮かんでいる。


「な、なんでしょうか」

「さっきから、なぜ君は俺の服をつかんでいる?」


 喉元のどもとまで心臓がね上がり、顔がカッと熱くなる。


「本当にすみません!!」


 思わず叫ぶが、静の軍服のすそをつかんだ手はかたく握られたままだ。


「?」

「あたし、そのっ……実は、暗いところが苦手でしてっ。反射的にこうやって誰かにつかまってしまうんです。決してわざとじゃないんです! 嘘じゃありませんからっ」


 静の表情がわずかに動いたように見えた。


(おかしいと思うよね……痴女ちじょって思われかねないよね……うぅーでもどうにもならないこのもどかしさ!!)


 離したくても手は意志とは反対にじっと軍服の裾を握ったままだ。

 しかしこうなってしまうと、雛子の意志とは無関係に手の動きをやめさせることはできないのだった。


 ほんのさっき知り合ったばかりの人間に服の裾をつかむほど接近されたら、誰でも怪訝に思うだろう。しかも自分の大切なものを盗んだかもしれない人物に服の裾などつかまれたら、どんなにか嫌な気持ちがするだろう。雛子は恥ずかしさと申し訳なさで消えてしまいたかった。


 こうなったら、いっぽん一本、指を引きはがすしかない。

 雛子が左手で右手の指を懸命に開こうとすると、静が立ち止まった。


「何をしている?」

「いえ、だからそのっ、ほんと、ごめんなさい、すみません。今、離しますからちょっと待っていてくだ――」

「必要ない」

「え?」

「子どものような習性しゅうせいだが、特に害は無い。好きなだけつかんでいればいい」


 無表情で言ったきり、静は黙って歩いていく。

 気のせいだろうか、先ほどより歩調をゆるめたように思えた。


(……子どもって。一言よけいだし)


 隣を歩く長身を見上げる。190cmはあるだろう。相変わらず表情はなく、精悍せいかんととのった横顔は作り物めいてさえ見える。


「まだ何か?」

「い、いえっ」


 そのまま鳥居まで、静が口を開くことはなかった。それでも、雛子はほんの少しだけ黒い軍服を握った手に温かさを感じていた。


***



大正二年 五月 東京府、某所。


 広大な屋敷やしき青々あおあおとした広い芝生しばふの庭に、白いガーデンテーブルが並ぶ。

 その上には西洋風のめずらしい食べものや葡萄酒ぶどうしゅが並び、燕尾服えんびふくの紳士やパーティードレスに身を包んだ淑女しゅくじょがグラスを片手にダンスや会話を楽しんでいた。


 その広い庭の隅、人々の賑わいから遠ざかった場所。


 桜の木が青葉をしげらせる木陰こかげに、籐長椅子とうながいすの上で読書をする青年がいた。


「こんなところで読書とは、いけないねえ、君はホストなのに」


 青年が顔を上げると、白皙はくせき麗貌れいぼう悪戯いたずらっぽく笑んでいた。銀髪なこともあり、欧米人の血が混ざっているかと思わせるが、五百年以上続く名家めいか御曹司おんぞうしだ。

 青年は美形の御曹司にちらと目をやり、本に視線を戻す。


「ホストは俺じゃない。父だ。他の兄弟もいる。俺は関係ない」

「そんなこと言ってえ。近々ちかぢか弥勒院みろくいん家は当主交代するんだろ。次の当主は、当然君だよね、静」


 青年――弥勒院静みろくいんせいがゆったりと座っていた長椅子に、銀髪の美形は無理やり座ってくる。


「せまい。じゃまだ。おまえの妄想を聞いている時間はないんだがな、かおる


 薫、と呼ばれた銀髪の美形は、妖艶ようえんに微笑んだ。


「妄想? やだなあ、君以外、当主にふさわしい者はいないじゃないか」

「俺は妾腹しょうふくだ」

「関係ないでしょ、もはや。明治期以降、陸軍近衛このえ特別隊になった五術師家ごじゅつしけは、高い呪力の者を家に残すことに必死だ。それが御家存続おいえそんぞくのための必須ひっす条件だからね」


 薫は、長い指で静の黒髪をいらった。


「容姿端麗すぎ、頭脳明晰すぎ、武術に秀で、おまけに希代きたいの呪術師とうたわれるその才能。今日の君んちのこのパーティーは、君のお披露目ひろめのためだと言っているお偉方えらがたが多いよ。それなのに本人がこんな所で読書なんかしてちゃあ駄目じゃないかってことさ」

「俺は承諾しょうだくしていない」


 静は本を閉じた。


「俺が出した条件を父が呑まなければ、俺は当主にならない」

「えー、なんなのさ。条件って。気になるなあ。五術師家の筆頭、弥勒院家の当主になるのに、何の不満があるんだよぅ」

「うるさい。おまえはパーティーでもなんでも楽しんでこい」

「わかったわかった。でも、10分経って僕のところに来なかったら、お集まりの御令嬢ごれいじょう方に君の居場所を教えちゃうからね。御令嬢方は君を血眼ちまなこで探しているんだから」

「おまえも探されている立場だろうが。早く去れ」


 腐れ縁の――それでも静にとっては唯一、友と呼べる男は、早く来てねーとひらひら手を振ってパーティーの喧噪けんそうへともどっていった。


「……仕方ない」


 静は立ち上がる。薫はともかく、他人にここまで庭の奥へ入ってほしくない。


 静は庭のさらに奥へ目をやる。そこには、青々とした芝生とアイビーのつたで隠された地下への扉がある。


「待っていてください。必ず、貴女あなたを闇から解放します」


***


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