〇第九話 君の名は


 社殿内しゃでんないは外から見るより、はるかに奥が広かった。


 とばりで仕切られた奥には木でまれた祭壇さいだんがあり、五色ごしきの布がけられ、大きな卵を半分にったような金色の容器ようきが置いてある。


「ここに《最後の妖火》があった」


 青年はクロを祭壇のまえにそっと寝かせた。


「この国のあやかしはずいぶんと数を減らした。それでも《最後の妖火ようか》を頼りに、集まってくる妖はいた。妖火は、そんな妖たちにとって唯一ゆいいつの希望のともしびだ」


 祭壇の前に横たわるクロは先ほどより呼吸が安定してきたように見える。傷口きずぐちも、明らかにふさがってきていた。


 青年はそのクロの背に右手をそっとせた。刺繍だろうか、白い手袋の甲には、黒い線で大きく五芒星ごぼうせいが描かれている。


「妖はおのれの内にある荒魂あらみたまに苦しむ。それは妖が、ヒトの負の感情やヒトの社会の禁忌きんき具現化ぐげんかした存在だからだ。妖火はそんな妖の苦しみをいやし、あやかしを妖として存在できるようにする。妖にとってはまさに神のともしび

「そんな大事なものなのに、どうしていとも簡単に、しかもあたしなんかに乗り移るんですか。どうして闇灯籠も、簡単に奪われちゃったんですか」


 思い切り揶揄やゆをこめて雛子は言った。

 瞬間、青年は雛子に鋭い視線を向ける。


「それは俺が知りたいところだ。このやしろは、これまでずっと誰にも気づかれることなく《最後の妖火》を守ってきた。俺が張りめぐらせた結界に守られてな。その結界にけ目を作ったやからがいる」


 その冷ややかな視線に、雛子は気が付いた。


「まさか、あたしのことうたがっているんですか?!」

「君からは呪力を感じない。しかし結界は内側からしかやぶれない」

「だからって」

「外側からあの結界を破れる者は……現世げんせいでは、俺以外にはいないだろう。君は、もともとこの結界にんでいる猫鬼びょうきについてきたことで結界の内側に入れたのだろう?」

「それは、そう、ですけど」

「結界が破れたときに内側にいた侵入者しんにゅうは、君だけだ」

「だからってあたしが犯人?! 無茶苦茶むちゃくちゃだわ!」

「《最後の妖火》は、その存在を知るものにとっては無限むげんの価値がある。ぬすもうとねらう者は少なくない」


 青年はあきらかに雛子をうたがっていた。先ほどからの冷ややかな態度は、この疑惑が原因らしい。


「確かにあたしはクロについてきたけど……あたし、何もしてません!」


 冗談じょうだんじゃない、と雛子は思った。ついさっきまで、妖だの結界だのそんなオカルトなものとはえんもゆかりもない生活をしてたというのに、結界を破るとか妖火を盗むとか、話についていけない。


「あたしは、ただ」


 進路希望調査票を返してもらいたかっただけだ。

 沼底ぬまそこにいる雛子にとって、たった一つの明るいきざし。


「大事なものを、取り返したかっただけです。なのにこんな目にって、死ぬとか言われて」


 鼻の奥がつんとする。が、目をしばたいてこらえる。


 泣いたら負けだと思った。自分がやったから泣き落としでごまかそうとしていると思われるのも嫌だし、疑われたのが悲しくて幼子おさなごのように泣いたと思われるのもくやしい。


(ぜったいに泣くもんか)


 雛子は、ぎり、とくちびるをかみしめた。


「あたし、本当に何もしていません。闇灯籠を取り返して妖火をそこに戻して、あたしは何もしてないってことを証明してみせます!」


 青年は無表情で雛子を見あげていたが、


「いい心がけだ」


 そう言って、ゆっくりと立ち上がった。

 そして今度は、祭壇に置かれた金色の卵のようなうつわに右手を置く。見れば、クロの傷口はさらにふさがっていた。青年は何かを充電するように器にじっと手のひらをせている。


「妖火は、永遠に失われてはならないものだからな」

「……永遠に失われないものなんて、あるわけない」


 吐き捨てるように言った雛子を、青年が鋭い目で振り返る。雛子は負けずに青年を真っすぐ見返した。


諸行無常しょぎょうむじょうって言葉、知らないんですか?」

「そのことわりを知っていてもなお、こだわらねばならない真実がある」

「ふーん、よくわかりました」

「わかればいい」

「あなたが、とってもめぐまれた人だってことが」


 青年は鋭く目をすがめたが雛子は動じない。


「この不条理にあふれた世界で、何かにこだわって追及できる人は、恵まれていると思いませんか?」

「…………」

「神様なんていない。ちっぽけな自分にできることといったら、何があっても前を向けるように、強くなること。不条理なこの世界で生きていくには、それしかできることなんてないんです」


 雛子は腕を組み、青年を睨んだ。


「で? どうすれば闇灯籠を取り戻せるんですか?」


 青年は何か言いたげに視線を泳がせたが、あきらめたように軽く息を吐いた。


「闇灯籠を持ち去ったのは、五術師教ごじゅつしきょうの者たちだ」

「……は?」


 五術師教というのは、有名な宗教団体だ。

 雛子もメディアでその名を聞いたことがある。なんでも、教祖きょうそがどんなやまい怪我けがでも治せるというが、くわしくは知らない。

 なぜそんな胡散臭い宗教団体の名が出てくるのか、雛子は首を傾げる。


「どうして五術師教の人たちってわかるんですか」

「闇灯籠を欲しているのは、五術師教の教祖だ。奴のいる所に闇灯籠もある」

 またどうしてそんなことが言えるのか、と雛子は問おうとして、やめた。青年の言い方は確信かくしん的だ。何か根拠こんきょがあるのだろうが、雛子には関係のない話だし、雛子を疑っている青年が話すとも思えない。

 とにかく、闇灯籠を取り戻しさえすればいい、と割り切ることにする。


「……わかりました。で? その教祖はどこにいるんですか?」

「それを探すのが君だ」

「は?!」

(なんでそうなるの?!)と叫びそうになるのを、雛子はかろうじてこらえた。

「俺は、さっき呪力じゅりょくふうじられた」


 青年は、額に触れる。痛むのか、わずかに顔をしかめた。そこには同心円どうしんえんが重なった奇妙な赤い印がある。


「よって呪術による捜索そうさくができない。頼みのつなは、君の左手にある妖火だ」


 雛子は困惑した。

(えらそうなこと言っておいてノープラン?!)


「そんなこと言われても困ります!あたし、特殊な能力もありませんし、左手は光ってますけど特に何も感じないし!」

「問題ない。闇灯籠に近付けば、そのときにわかる。り返すが、闇灯籠のあるところに五術師教の教祖もいる」


 青年は左手の白い手袋を取った。こうに五芒星の印があるそれを、雛子に差し出す。


「この手袋には呪術が掛けられている。妖火をかくすことができるから、しておいた方がいい」

「え? は、はあ……」


(こんな大きい手袋、しても意味ないんじゃ?)


 しかし青年はがんとして手袋を差し出した手を引っこめないので、仕方なく雛子は手袋を受け取り、左手にはめた。


「うそっ、手袋が!」


 雛子は思わず声を上げた。まるで生き物のように手袋は伸縮し、雛子の手にはかなり大きかった手袋が左手にぴったりおさまったのだ。


(呪術師っていうのは、本当なんだ)


 信じられなかった。しかし、目の前で起きたことだ。

 雛子は五芒星の印が入った手袋をしげしげと眺める。しかし青年がきびすを返したのであわててあとをついていく。


「急ぐぞ。時間がない」


 青年は行きかけて、ふと振り返った。


「俺は、弥勒院静みろくいんせいという。君は」

「……東雲雛子しののめひなこ、ですけど」


 お互いどうでもいいけれど一応名乗っておく、という極めて険悪けんあくな自己紹介だった。



***




 五芒星の手袋は、呪術師の印。


 それは、大日本だいにっぽん帝国陸軍の中における公然こうぜんの秘密だった。


 このもとくにでは、呪術は古来こらい、人間社会と切っても切れない関係にある。

 八百万やおよろずといわれるほど多くの神々、多彩たさいな四季のある気候風土。それらがこの国の民の繊細せんさいな感受性にれたとき、多くの素晴らしい文化が生み出されてきた。


 一方で、呪詛じゅそ怨霊おんりょうといった複雑怪奇ふくざつかいきな影をも生み出した。

 その結果、呪術が発展した。


 明治維新以降、近代化のうねりの中、表向おもてむきは宗教統制しゅうきょうとうせいの名のもとに、呪術は排除はいじょされてきた。


 しかし、ひそかに残された呪術師組織があった。


 五術師家ごじゅつしけ


 古いにしえより、呪詛怨霊じゅそおんりょうから御上おかみまもたてまつってきた五つの家。すなわち、弥勒院みろくいん家、京極きょうごく家、六堂りくどう家、賀茂かも家、百目鬼どうめき家、である。


 その五つの家は明治以降、陸軍近衛このえ師団特別隊――御上直属おかみちょくぞく親衛部隊しんえいぶたいとして引き続き御上を呪詛怨霊から御守おまもりするかたわら、彼らにしかできにない極秘任務ごくひにんむにあたった。


闇祓やみばらい》である。


 闇に生きるまわしき妖をり、古い因習いんしゅうから民を解放せよ、と命じられた彼らは、五芒星の手袋と風変ふうがわりな武器によって、普通の陸軍兵士とは区別されていた。



 ガスとうや電灯が帝都ていとの夜を明るくし、汽車が走り、華族かぞく成金なりきんの屋敷では社交界しゃこうかいのパーティーが頻繁ひんぱんに開かれる――日露にちろ戦争の戦勝にわく日の本の国の闇で、五術師家の者たちは《闇祓い》に暗躍あんやくした。


***

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