〇第七話 呪術師は状況を分析する


 社殿しゃでんの中はひんやりと湿っていて、暗かった。


 しかし、不思議なことに雛子の身にはパニックが起きなかった。呼吸も心拍数も変わらない。いつも通りだ。


(手が、光っているからか)


 暗い社殿内しゃでんないがうっすら明るくなるくらい雛子の左手は光っている。そのおかげでまったくの暗闇にならずにすんでいた。

 しかしこれは異常事態だ。

 奇妙きみょう数珠じゅずを付けられたら左手が懐中電灯のように光った。そんな話、聞いたこともないし、まだ信じられない。

 でも、いくら目をこすって見ても現実だった。


 だからこそ、雛子は青年についてきた。

 なんでもいいから、この異常事態の説明がほしかった。


「もっと近付いてくれないか」


 低い声に、雛子はハッとする。


「……暗くて手元が見えない。これでは手当ができない」

「は、はい」


 雛子は急いで青年の隣に座り、その手元に左手をかざした。

 クロはぐったりしたままだが、胸元が浅く上下している。息があることに雛子は少しホッとした。


「これは猫鬼びょうきというあやかしだ」

「妖……」


 その単語はあまりにも現実離れしていたが、その単語のおかげで雛子はさきほどまでの出来事がすべてすとん、とに落ちた。クロが黒猫に姿を変えられたことも、血が赤くなかったことも納得がいく。


「君はどこでこいつに会った?」

「どこで、って……」


 雛子は懸命けんめいに頭を整理する。


「最初、道で会って」

「道?」

「お使いの途中で。あ、でもそのときは普通の猫の姿で」


 青年はけわしく眉根を寄せた。


外界げかいじゃないか。 猫鬼、なぜ外界にいた?」


 青年の口調はきびしいが、ぐったりとした黒い身体からだは浅い呼吸を繰りかえすだけだ。


「俺が様子を見にいっている間、やしろを守っていろと言ったのに……」


 青年は一瞬考えこんだが、すぐに腰に下げた小さな袋をさぐる。びんに入った軟膏なんこうのような物を取り出し、猫鬼びょうきの傷口に丹念たんねんに塗りこんでいった。


「――なぜ君がここにいるのか、なぜ君に妖火が宿ったのか、それはわからないが」


 軟膏を袋に戻しつつ、青年が言った。


「君の左手にあるのは、間違いなく妖火ようかだ」

「妖火?」

「その数珠は《最後の妖火》が形を変えたもの」

「さいごの、ようか……」

「妖の世界を照らす灯。妖火は、妖の荒魂あらみたま和魂にぎみたまに変える力を持っている」

「……よくわかりません」


 雛子の頭上ずじょうにはクエスチョンマークが並ぶ。話がまったく見えない。ようか? あらみたま? にぎみたま?

 青年は軽く息を吐いた。


「簡単に言えば、君の左手に宿ったものは、ともしびだ」

「ともしび……」

「真っ暗な場所で遠くにぽつりと灯りが見えたとき、君ならどう思う」

「それはすごく安心します!」


 暗所恐怖症の雛子は即答だ。青年はうなずく。


「妖にとって、妖火ようかはそういうものなんだ。妖というのはいにしえからの禁忌きんきの具現化であったり、現世に流れる負の感情の集合体だったりする。その荒ぶる本性をいやしずめるのが、妖火だ。妖火が失われれば、妖は荒ぶる。そして、現世に災いをもたらす存在となる」

「すみません。やっぱりよくわかりません、けど」


 雛子は懐中電灯のように光る左手を見る。これがどういうものであっても、左手がこのままでは困る。普段の生活ができなくなってしまう。


「それで結局、この数珠、どうすれば外れるんですか?」

闇灯籠やみとうろうを取り戻せば、妖火はそこへかえるだろう」

「闇灯籠って……さっきの男の人が持ってっちゃったやつ?!」


 雛子は身を乘りだした。


「あの灯籠、ここに予備とかないんですか? もしくは買うとか……あたし、全財産出します。足りなかったら後で必ずお返しします。お願いです。あたし、このままじゃ困るんです!」


 青年は精悍せいかんまゆり上げた。


おろかな。あれはあがなえる物ではない。神が妖をあわれんで妖火を与えしとき、妖匠ようしょう呉剛ごごうに打たせて作ったもの。あの灯籠でなくては、妖火を収めることはできない」

「な、なんですかその昔話みたいな理屈」

「事実だ。数珠を君の手から外すには、持ち去られた闇灯籠を取り戻すしかない」

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