〇第六話 そして妖火は宿る


 雛子ひなこより少し年上だろうか。


 190cmはあろうかという長身に、無造作むぞうさに散った短めの黒髪。切れ長のすずやかな双眸は、不思議な青みを帯びた色をしている。精悍せいかんな顔の輪郭りんかくに納まった顔立ちは、おそろしく端整たんせいだった。


 表情の無さがその端整さを際立たせている。


 間違いなく雛子がこれまでの人生で見たことのあるどんな人類よりも、美形だ。


 そのひいでたひたいに目玉のような不気味なしるしが赤々と刻まれている。


(そういえば、さっき逃げた男に何かされてたけど……)


 短冊のような紙を男が投げつけた刹那、爆音がして青年は額を押さえていた。その時にできた傷――というより、何かの印のようだが、雛子にはよくわからなかった。赤い色が血を連想して、まるで何か鋭い刃物で彫ったように見えるのが痛々しいが、青年の顔立ちの中にあってはあまり気にならない。


 それよりも雛子が気になったのは、青年が来ている軍服だ。


 見間違みまちがいではない。青年は軍服を着ている。

 なぜ軍服だとすぐにわかったのかと言えば、社会科の歴史資料集で見たことがあるからだ。

 漆黒しっこくの軍服に、純白の手袋。編み上げの黒いミリタリーブーツ。

 腰に日本刀をいているのが奇妙といえば奇妙だが、大日本帝国陸軍青年将校、といったおもむきの完璧なコスプレだ。


 その軍人風の青年は、雛子を凝視した。軽く眉が上がったように見えたが、気のせいかもしれない。いずれにせよ、雛子の質問に答えてくれる気配けはい微塵みじんもなかった。

 青年の表情からは何も読み取れないが、ともかく雛子は伝えたいことを伝えることにした。


「あの、助けてくれて、ありがとうございました」


 誰かに助けてもらったことが初めだった。

 そのことだけで雛子は胸の奥がぽつりと温かくなり、お礼の言葉が自然とこぼれたのだが。


「助けたわけではない」


 そんな雛子の心など知るはずもない青年はばっさり答える。その端整な無表情からは、本当に青年が人助けをしたわけではないことがうかがえた。

 切れ長の双眸が、冷たく雛子を見下ろす。


「なぜ君はここにいる? なぜ君がそれを持っている?」


 青年の声は、ぞっとするほど低く冷たい。青年が一歩踏み出す。雛子は思わずあとじさりした。


「返してもらおう」

「返すって、何を」

「君が左手にしている物だ」


 青年の声にかすかな苛立いらだちが混ざった。


「こ、これですか? これじつは――」


 雛子は青年の冷たい視線に言葉を呑みこむ。

 さっきの男と同じで、人の手を斬り落とすことなど何とも思ってなさそうだ。「取れない」と言ったら、瞬殺で左手を斬り落とされるかもしれない。


「実は、何だ?」

「い、いえっ、なんでもないです!」


 さっき外れなかったのは気のせいかもしれない。

 雛子は急いで左手首の数珠じゅずを外そうとした。


「あ、あれ?」


 外れない。


 やっぱり外れなかった。どんなに力を入れても多方向から引っぱってもビクともしない。何か留め具やスイッチでもあるのかと思ってよくよく観察してみるが、それらしき物は何もない。真珠に似た玉の中で赤い輝きと青い輝きがマーブル模様のようにあやしくうごめいている。玉はただ、つらなっているだけだ。


「嘘でしょ……」


 数珠は雛子の身体の一部かのように、手首から先に動かない。強力な磁石でくっついているかのようだ。


「どうした」

 怪訝そうに雛子を観察していた青年が、異変に気付いて表情を険しくした、そのとき。


「あれっ?!」


 雛子は懸命にいじっていた左手を思わずかかげた。

 薄闇の中、うっすらと数珠が光ったのだ。


 その光は淡く広がり、雛子の左手をヴェールのようにすっぽりと包みこんでいく。

 そして数珠と共に、雛子の左手も淡く発光した。


「嘘?! やだっ、なにこれ?! 手、手が」


 まるで提灯ちょうちんあかりのように、薄闇の中で左手はほのかに光る。開いても握っても振っても、その光は消えることはなかった。

「手が光ってる!!」

 雛子は半泣きで、青年は驚愕きょうがく怒気どきがないぜになった様子で目を見開いた。

 

「まさか妖火ようかが宿っている……?!」


 妖火ってなんですか、と聞こうとした雛子は、青年に強く肩をつかまれた。

「なんですぐに外さなかったんだ!」

 青年に肩を揺さぶられ、雛子は身をちぢめる。


「そ、そんなこと言われても」


 雛子がひどく委縮したのがわかったのか、肩をつかむ手がゆるんだ。青年は雛子の左手に目をやり、「最悪だ」と首を振った。

 何が何だかわからないが、「最悪だ」と言われれば不安になることこの上ない。


「あの、あたしの左手、どうなってしまうんでしょうか」

「わからん」


 青年の返答は簡潔で無情だ。雛子は光る自分の左手を呆然ぼうぜんかかげる。痛くはない。熱くもない。けれど見ていると言いようのない不安に襲われる。


「はっきりしているのは、今は言い争っているときではないということだ」


 青年は雛子から離れると、地面にしゃがんでクロを肩に担ぎ、立ち上がった。


「一緒に来てもらおう。話をする必要がありそうだ」


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