〇第二話 やさぐれシンデレラは黄昏時に黒猫に出会う



 シンデレラだってもうちょっとソフトにこき使われてたんじゃないだろうか。


 いつも雛子ひなこはそう思う。


 べつに自分の境遇きょうぐうあわれむわけではない。現実を見て公正な判断のもと、心からそう思う。


 例えば、たった今LINEに送信された買い物リスト。


 十センチ近くあるそれには、今日の夕飯の材料のほかに、米や牛乳、ジュースやワインなど、重い物、高い物がたくさんリストアップされている。


(あたしの分は、いのにね)


 雛子が食べることを許されるのは、叔母たち家族の残飯ざんぱんだ。


 中学生までは残飯をもらう食事スタイルで、残飯がなければ白飯しろめしだけという時もあった。それでも、食べられるだけマシだった。


 高校に入ってすぐアルバイトを始めた。それ以来いらい、食事は自分のアルバイト代でまかなっている。アルバイト先のファーストフードを安く購入こうにゅうしたり、叔母に小言を言われないように簡単な自炊じすいをしたり。


 今日も、店内改装のため急遽きゅうきょアルバイトが休みになったので、できた時間を活用して作り置きの食事を作るつもりだった。


 それなのに、なぜ自分の口には入らない夕飯の買い物に行かなくてはならないのか――胸の奥で渦巻うずまく思いをやり過ごすように、雛子は夕暮れの空を見上げた。


「――しょうがないじゃん?」


 この世はいつも、不条理にあふれている。


 都立高校へ進学して二年、部活も入らず友だちもく、毎日21時までファーストフードでアルバイトをしてくたくたに疲れ、窮屈きゅうくつな階段下で丸くなって眠る。


 アルバイト代から高校の授業料、光熱費として、叔母に一定額を毎月納め、残ったお金で日々の食費や雑費ざっぴ捻出ねんしゅつしていた。


 それもこれもすべて「しょうがない」。


 そして、不条理にあらがっても「意味がない」。


 雛子のような小さな存在にできることは、不条理に抗うことでも、克服こくふくすることでもない。

 不条理なことがあっても、前を向いて歩いていけるように強くなることだ。


 叔母の家で暮らしたこの十年で、雛子が心にきざんだことだった。


 そして強くなるために、雛子が心の支えにしている目標があった。


――いつか必ず、猫をう。


 それは、き母との約束。

 猫を飼うには、自分の部屋が必要だ。自分の部屋を持つには、叔母の家を出なくてはならない。


 そして母との約束をかなえるためのその一歩は、もうすぐ実現する。

――はずだったのに。


「まさか出ていくなって言われるとはね……」


 叔母があの「闇呪文」を唱える限り、雛子にとって叔母の命令は絶対服従だ。

 あれは雛子をしばる呪文だった。


(――これからも、あれに耐えなくちゃいけないんだ……)


 いつかこの沼底ぬまそこのような生活に終わりがくると思っていた。

 そして実際、終わりは見えていた。

 進路希望調査票に記入をしているときは夢心地ゆめごこちだった。がんばって生きてきてよかった、と思った。心の中で神様にあやまった。今まで神様なんかいないと思ってごめんなさい、と。


(だけど、やっぱり神様なんかいなかった)


 もう一度大きな溜息ためいきをついたとき――ふと足元があたたかいことに気付いた。


 見下ろすと、いつの間にか黒い猫がいた。雛子に寄り添うように一緒に歩いている。


「うわあ、かわいい!」


 雛子は思わずしゃがんで、黒猫にそっとれた。

黒猫はうれしそうに、にゃあ、と鳴く。


 漆黒しっこくの毛並みはつやつやとかがやいている。そのつやつやの背をでてやると、黒猫は雛子のひざに顔をこすりつけた。


「あたし暗闇は嫌いだけど、あなたは好きよ、クロちゃん」


 両手で顔をきゅっとはさむと、黒猫はごろごろとうれしそうにのどを鳴らす。


「お母さんと、よくこうやって野良猫をでたなあ」


 保育園の帰りに。日曜日の午後に。母も雛子も猫が大好きで、近所で日向ひなたぼっこしている猫を見つけては撫でて遊んだ。


『お母さん、お家で猫ちゃん、飼っちゃダメ?』

『そうねえ。まず、生き物をおうちで飼うには、準備をしないとね。家族が増えるんですもの。猫ちゃんがよろこぶように、お部屋を作ったり専用のおトイレやお皿を用意したり』

『ふうん。そっか。じゃあ、お母さんと雛子で準備したら、猫ちゃん飼える?』

『そうね。準備をして、雛子がもう少し大きくなったら、お家で飼おうか』

『うん! 家族だもん、雛子、お世話ちゃんとするよ! 約束ね!』


 母とのやりとりが、昨日のことのように思い出される。


 やわらかい身体をもみもみする。立派な猫だ。骨格もしっかりしているし、毛並みもいいし、傷もない。けれど、首輪はしていない。


「クロはどこかの家の子じゃないの?」


 にゃあ、と黒猫は鳴いた。まん丸のハチミツ色の目が、じっと雛子を見上げる。雛子はその首筋を優しくでた。


「ごめんね。ずっと一緒にいたいけど……駄目だめなんだ」


――出ていくことは許さない。


 叔母の闇呪文が脳裏のうりをよぎり、呼吸が苦しくなりかけた――そのとき。


 にゃあ、とクロが鳴いた。


「……あっ」


 一瞬だった。手に持っていた進路希望調査票を、クロが口にくわえた。

 そして雛子の手からするりと抜けて、走り出した!


「クロ!」

 雛子は慌てて後を追う。


「クロ! 待って!」

 しかしクロは止まらない。雛子は懸命けんめいに走った。




――こうして、クロと雛子は黄昏時たそがれの住宅街を、追いつ追われつしているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る