第5話


 狼栄との練習試合終えた次の日、犬崎のバレーボール部員達は昨日の疲れをとるため、部活を休みにしていた。疲労した筋肉を休めるのも大切なことだと、狼栄のコーチに言われたからだ。狼栄も毎週月曜日は部活が休みらしい。


 授業が終わり久しぶりに早く帰れるなと、莉愛が校門にさしかかると、何やら校門前に人だかりが出来ていた。


 どうしたのかしら?


「わー。あの背の高い人、イケメン」


「手足長い。カッコいい」


 そう言われている人物の方へと視線を向け、莉愛はギョッとした。


 ん?


 なっ!


 あれは……。


 すると、莉愛に気づいたその人物が近づいて来くる。


 うそ……。


 こっちに来る。


 莉愛は背の高いその人物の顔を確認し、思わずその名前を叫んだ。


「大崎大地!!」


 驚愕で固まる莉愛を見つめ、大地がおもむろに頭を下げた。


「昨日は申し訳なかった」


 えっ……。


 何?


 どうでも良いけど、こんなに人の多い所で、頭を下げるなは止めてほしい。莉愛は大地の腕を掴むと、人目を避けるように走り出した。





 ここまで来れば大丈夫かしら?


 全力で走った莉愛は息を整えると、大地の方へと振り返った。


「大崎さん一体何しに来たんですか?」


「いや、だから昨日のことを謝ろうと……」


 昨日のこと?


 ああ、私を男と言ったことだろうか?


「別に、いつものことなので気にしていません」


 フイッと視線を逸らし、冷たく言い放つ、すると大地がもう一度頭を下げてきた。


「すまなかった。きみを傷つけるつもりは無かったんだ」


 頭を下げ続ける大地の姿に、いたたまれなくなってくる。


 この人はどうして、こんなに必死になっているのかしら?


 はぁ~。


 莉愛はたまらず、ため息を付いた。   


「本当に気にしていませんから」


「いや、しかし……」


「大丈夫です。次はうちが勝ってリベンジするので、気にしないで下さい」


 莉愛がニッと笑うと、それを見た大地が眩しそうに目を細めた。


「ところで、きみの名前は?」


「あっ……私は姫川莉愛です」


「莉愛……」


 えっ……。


 いきなり下の名前で呼ぶ?


「俺は大地だ」


「いえ、知ってますけど?」


 何だかものすごく近い距離感に、体がソワソワしてしまう。


「莉愛は来週うちのコーチに相談に来る予定なんだよな?」


「よく知っていますね。そう、今週は忙しいらしくて、来週の火曜日に行く予定です。練習法方とかいろいろ聞きたいので」


「そうか、俺も練習法とか相談に乗れることがあるかもだから、連絡先教えてくれる?」


「ほぇ?」


 思わず、莉愛の口から変な声が出てしまった。


 狼栄のエースの練習法が聞けるとか、嬉しいけど本当に良いのだろうか?


 莉愛はカバンからスマホを取り出し、連絡先の交換をした。


「大崎さんは、こんなことをして大丈夫なんですか?」


 そう大崎大地に聞いてみると、少しムッとした表情になってしまったため、莉愛は焦った。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか?


 すると……。


「……大地だ。さっきも言ったけど、俺の名前は大地だ」


 怒るところ、そこ?


「えっと……」


「俺も莉愛って呼ぶから、莉愛も大地って呼んで」


 呼ぶからって、もうすでに読んでますけど?


 嫌がるそぶりを見せても、大崎大地に「莉愛」と呼ばれると、嬉しく思ってしまう。


「……大地」


 ためらいがちに大地の名前を口にすると、大地が嬉しそうに笑った。



 *



 家に帰ると、早速大地からメールが届いた。無事に家に着いたかどうかのメールだった。突然の女の子扱いに、何だかくすぐったく思ってしまう。


 莉愛は急いで家に着いたことをメールすると、すぐに返信が返ってくる。案外マメなんだなと思いながら、ふふふっと笑ってしまった。


 それから毎日のように大地とのメールが続いた。たいした内容では無いのだが、大地からのメールを心待ちにしている自分がいた。


 *


 火曜日、狼栄のコーチに話を聞くため、莉愛は狼栄大学高等学校へとやって来ていた。狼栄の門をくぐり抜け、体育館を目指す莉愛の姿に、男子生徒達の視線が釘付けとなる。


「ヒュー。誰あれ?モデル?手足長っ」


「すっげー、美人」


「あれって、犬崎の制服?」


 それは莉愛を見た生徒達の声なのだが、こうなった理由が遡ること一週間前、大地が犬崎に謝りに来た次の日の事だった。


 朝、教室の机に着くと、二人の女子生徒が近づいて来た。


「姫川さん、昨日校門の所にいた人って彼氏?」


「すごく格好良かったよね?」


 そう聞いて来たのは立橋理花(たてはしりか)と宮内美奈(みやうちみな)だった。


「彼氏じゃないよ」


 莉愛そう言うと、二人が残念そうな声を上げた。


「えー。違うの?どういう関係?」


 興味津々の二人は恋バナが好きそうで、瞳をキラキラさせて前のめりに話を聞いて来た。


 そんなに瞳をキラキラさせても、二人が期待しているような話はできないけれど……。


「部活の練習試合をした相手チームのエースってだけで、何も無いよ」


「エースがわざわざうちに来るの?何しに?」


「……それは」


 大地がどうしてここに来たのかを話すには、あのことを話さないといけないんだけど……。


 まあ、良いか。


「日曜日に練習試合があったんだけど、その時に私を男と間違えて勝負を挑んできたのよ。だからあの人はそれを謝りに来たの」


 そう言うと、二人が顔を見合わせて「あー」っと残念そうに言った。


 まあ、大体そういう反応になるよね。


「ところでさ、姫川さんの眼鏡って度は入ってないよね?」


 その通り、莉愛の眼鏡は度が入っていない。男っぽいこの顔を隠すために掛けているだけの眼鏡なのだ。


「うん。度は入ってないよ」


「ちょっと取って見せて」


 そう言いながら、理花がヒョイと眼鏡を取ってしまった。すると教室がシンと静まり返る。そこで、叫んだのは美奈だった。


「ちょっと!!姫川さん、超イケメンなんですけど!!」


 だから男顔なのは分かっているんだってば。


 なぜか、こちらを見ている女子の顔が赤くなっているのが目に入る。莉愛は前髪を掻き上げながら、困った様に眉を寄せた。そんな仕草さえも格好良く、周りにいた女子達から溜息が漏れる。


「イケメンて……男顔なのは分かっているよ。だから眼鏡を掛けているんだから」


「「眼鏡なしの方が絶対良いって!」」


 理花と美奈の大きな声がハモった。


 *


 そして今日の放課後。


「莉愛、今日って狼栄大学高等学校に行く日だったよね」


 莉愛は美奈と理花に呼び止められていた。三人はいつの間にか、名前で呼び合うほど仲良くなっていた。


「うん。そうだけど?」


 それを聞いた美奈と理花は何やら頷き合うと、莉愛の腕を引っ張った。


「莉愛ちょっとこっちに来て」


「私達が莉愛に魔法をかけてあげる」


 美奈と理花に無理矢理椅子に座らせられると、理花が莉愛の髪をほどき、クシでとかしだした。美奈はその隣で自分のポーチからファンデーションを取り出し、莉愛の顔に塗っていった。


「莉愛の肌って、凄くきめ細やかでファンデーションのノリが最高なんですけど」


「髪もサラサラだよ。ちょっとアレンジしちゃうね」


 そう言うと、二人はテキパキと仕事をこなしていく。



 そして……。



「キャーー!!莉愛最高ーー!!」


教室に二人の声がこだました。


「「これで絶対男なんて言わせないんだから」」


 双子の様に重なる二人の声。


 ん~?


 ホントかな?


 *


 半信半疑で狼栄にやってくると、何だか視線がめちゃくちゃ痛い。見られてる……ものすごく見られてる。今の莉愛は艶やかなストレートの黒髪を、両サイドから三つ編みにしハーフアップにした、理花いわく清楚かつ可憐なお嬢様風らしい?になっていた。


 ものすごく見られているけど、狼栄の人たちの反応からして、やっぱり似合わなかったかな?


 不安に思いながら大地のいる体育館へとやって来た。ガラガラと扉を開きバレーコートに向かって挨拶をする。


「こんにちは、犬崎高等学校の姫川です」


 すると、すでに練習していた人達の視線が、ボールから莉愛へと移る。そして、また刺さるような視線。


 うう……痛いよう。


 チクチクと刺さる視線に戸惑っていると、大地がバレーコートからこちらへ走って来るのが見えた。大地の姿に莉愛はホッと胸を撫で下ろす。


「大地、早く来すぎちゃったかな?コーチはまだ?」


 なぜか大地は右手で口元を覆うと、スッと視線を逸らしてきた。


 どうしたんだろう?


 莉愛は逸らせれた視線を追いかける様に、大地の顔を覗き込もうとした所で、それを大地に止められた。


「莉愛ごめん、今まともに莉愛の顔見れない」


 どういうこと?


 似合わないことして、気持ち悪かった?


「ごめん大地、気持ち悪かったよね」


「いや違う」

 

 そう言って右手を大地に掴まれた。


「可愛すぎ」



 かっ……可愛すぎって……。


 大地の思いがけない言葉に、胸がドキドキと高鳴っていく。


 何これ……恥ずかしすぎる。


 恥ずかしさに固まる莉愛の元に、キャプテンの赤尾がやって来た。


「あれ~何なに?二人いつの間に仲良くなったの?それにしても犬崎のマネージャーさん、この間と随分雰囲気が違うんだね。誰だか分からなかったよ」


「あはは……そうですよね。友達に男に間違われた学校に行くって言ったら、張り切ってこんな感じにしてくれたんです」


「あの時はホントにごめんね。それにしても、その友達センスいいね」


 仲良く赤尾と話す莉愛を見ていた大地が、不機嫌そうに低い声を出した。


「正隆はあっちに行って練習してろよ」


「ヘイヘイ、邪魔者は消えますよ」


 からかうように、ニヤニヤと笑いながら赤尾が練習に戻っていった。


「大地も練習でしょ。ほら、早く行って」



  *


 狼栄の練習が始まり、そこから有意義な時間を過ごさせてもらった。大地達が練習しているのを見学しつつ、コーチからのアドバイスを聞いた。練習法はためになるものばかりで、こんなに他校の生徒に教えてしまって大丈夫なのかと心配になるほどだったが、他校でもこれぐらいのことはやっているのだと言ってくれた。狼栄のコーチ金井貴広(かねいたかひろ)さんは、普段とても厳しい人らしいのだが、熱心にノートを取る莉愛にとても丁寧に沢山のことを教えてくれた。そしてコーチが首を捻る。


「ところで姫川さんは、女子バレーボールのチームには入らないのかい?」


 金井コーチの問いに、莉愛は頬を掻きながら「あーっ」と、少し眉を寄せながら答えた。


「女子バレーにはライバルがいないから、つまらないんですよね」


 莉愛の答えに、金井は絶句した。


 ライバルがいないからつまらない。そう言うものなのだろうか?これだけの才能が有ればトップに立てるというのに……。勿体ないと思ってしまうが、本人にその気が無いのだから仕方がない。


「そうか……。何かあったらいつでも来なさい。アドバイスぐらいはしてあげられるから」


「本当ですか?ありがとうございます」


 莉愛は深々と金井コーチに頭を下げた。


 *


 狼栄の練習が終わり、莉愛が帰ろうとしていると、大地に呼び止められた。


「莉愛、ストレッチが終わったら帰れるから待ってて。送ってく」


「ん?大丈夫だよ。そんなに遠くないし」


「外は暗いからダメ。女の子一人で歩かせられないよ」


 外はいつの間にか夕方から夜へと移り変わり、紺色の空に星々が瞬いていた。大地が夜道を一人で歩くことを心配してくれている。あまり女の子扱いされたことの無い莉愛は、大地の言葉に頬が熱くなり、何だかむず痒くなってしまう。


 ホントに大丈夫なんだけど……。


 莉愛が金井コーチに視線をやると、金井コーチが声を掛けてきた。


「姫川さん大地が言うように、もう外は暗いから送ってもらいなさい」


 金井コーチがそう言うなら……。


「はい。分かりました」


 莉愛は素直に金井コーチの言葉を受け入れ、大人しく大地達が最後のストレッチをしているのを見ていると……。


 あれ?


 大地って体が硬いのかな?


 そっとストレッチ中の大地の側まで行き、声をかけてみる。


「大地って、身体硬くない?」


「あぁー」


 莉愛から視線を逸らす大地を見た赤尾が、クククッと笑いながら莉愛に耳打ちをした。


「莉愛嬢、こいつストレッチ苦手なんだよ。特に体を柔らかくする系のやつ……。させるのに苦労するんだ」


 莉愛嬢……?


 赤尾の莉愛の呼び方に突っ込みを入れようと思ったが、今は大地の体が心配だった。


 ストレッチは筋肉を緩めてくれたり、筋肉痛を和らげたり、怪我をしにくくするために、運動の前後には必要なものなのに。


「大地、ちょっと良い?」



 *


「大地って、身体硬くない?」


 莉愛にそう言われ俺は顔をしかめる。すると莉愛が床に座り、一人前屈をしていた俺の後ろから覆いかぶさってきた。それから体を密着させると、全体重を掛けて背中をゆっくりと前へと押されていく。大地は後ろから莉愛に覆いかぶされるように背中を押され、背中に感じる莉愛の柔らかい胸の感触と、温かさにたじろいだ。


「えっ、ちょっ……莉愛、ちっ……ちょっと待って」


「待たないよ。大地、大丈夫だから、体硬くしないで、ゆっくり息吐いて」


 莉愛の優しい声が、俺の鼓膜を刺激する。


 そんな声で囁かれたら……体が熱くなる。

 

 更に莉愛がグぐぐっと大地に体を預けてきた。すると莉愛の長く柔らかい髪が、大地の頬をくすぐてきた。


 待て、まて、まて、何だこれは……。


 思わず逃げ出そうとする大地だったが、莉愛にそれを止められる。


「大地、抵抗しないで、あっ……まだ硬い。ほら、力を抜いて、んっ……まだ硬い。硬くしちゃダメ。大丈夫だから、私にまかせて……大地、もっと……もっと……んっ……あっ……まだ硬い……」


 いや、いや、いや……。


 いろんな意味で言葉のチョイス、おかしいだろう。


 大地の脳内に、卑猥ひわいな言葉が飛び回る。


「ほら、大地ふ~だよ。ゆっくり息を吐いて、ほら……んっ……あっ……まだ硬い」


 ふ~っと莉愛が息を吐くたび大地の首筋に、莉愛の吐息がかかる。


 これは一体何の拷問なのか……。


 莉愛から女の子特有の良い匂いまでしてきて、大地に限界が近づく。それを見ていた狼栄の部員達の喉が、ゴクリとなった。


「うわー。えっろ……」


「やばい、エロすぎだろ」


「てか、生殺し……エグ……」


 ザワつく部員達の様子に気づくこと無く、莉愛は大地から一度離れた。すると、疲労と困憊で大地は床で丸くなり、両手で顔を隠しプルプルと震えた。


「大地、ストレッチは大切なんだから、キチンとしないとダメだよ」


 痛みで震えていると勘違いした莉愛が、腰に手を当て怒り出すと、大地を起こそうと腕を引っ張った。


「ほら、もう一度」


 その声に、大地の体がピクリと跳ねる。


「莉愛さん、勘弁して下さい」


 両手で顔を隠し丸まる大地を起こそうとする莉愛だったが、大地の心や、いろいろな所が限界だった。


「もう、まだまだこれからだよ」


 無理矢理に大地を起こすと、莉愛はもう一度大地に覆いかぶさろうとした。すると大地が何かに思い当たり、ハッとした様子で莉愛の顔を見つめた。


「莉愛……もしかして、このストレッチを犬崎でもやっているのか?」


「うん。そうだけど?」


 莉愛の答えに大地は焦り、顔を青くさせた。


 いや、いや、いや、ダメだろう。


「莉愛はストレッチ禁止!絶対に犬崎でストレッチしたらダメだから」


 大地の悲痛な叫びが響いた。



 *



 大地の叫びに莉愛はキョトンとしていた。 


「えっ……どうして?ストレッチは大切だよ?」


 莉愛がチラリと金井コーチに視線を向けると、苦笑しながらコーチがこちらにやって来た。


「姫川さん……その……確かにストレッチは大切なんだが……その……」


 一体何がいけないのか首を傾げると、金井コーチが言いにくそうに口を開いた。


「高校生の男女がそこまでくっ付くのは、その……どうなのかと……」


 へっ……。


 男女がくっ付く?


 大地に覆いかぶさった状態で固まった莉愛は、慌てて大地から体を離した。


「ご……ごごごごっ、ごめんなさい大地。嫌だったよね」


「いや、その……嫌では無いんだけど、犬崎ではしてほしくない……というか……その……俺にとってはご褒美で……」


 最後の方は声が小さすぎて良く聞こえなかったが、嫌では無かったようでホッとした。しかし、今までやって来たストレッチを思い出し、莉愛は青ざめた。


 私ってば今まで何も考えずにストレッチをやっていたけど、みんなに嫌がられていたのかな?


 んー?


 そう言えば……。


「犬崎のみんなは、このストレッチを地獄のストレッチって呼んでたなー」


 莉愛の呟きに、今度は大地が青ざめた。


「確かに地獄……やっぱりダメだ。莉愛はストレッチ禁止!」


 普段聞かない大地の叫びに、狼栄の部員達は驚きを隠せずにいた。


「うわー。姫川さんのあれって、天然で言ってるんだよな?」


「アザとさが無い分、何も言えねー」


 普段大地に尊敬の眼差しをを向けている狼栄の部員達だったが、現在同情の眼差しを向けていた。


 頑張れ、大地さん。


 俺達はいつでも大地さんの味方ッス。


 ご愁傷様ッス。大地さん。


 そんな風に後輩たちに憐憫れんびんに思われているとは、知りもしない大地であった。




















 










 















 










































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