第4話


――凶器なき殺人事件――を執拗なまでに追い続けていた週刊誌に、とうとう真犯人ではないかと、伏せ字で新進気鋭の画家のF(=6番目の男・K.O氏)として、俺らしき人物のプロフィールや素行が記されていた。

 記事の内容は脚色されており、俺がキャバクラで遊んだ日は――淫行――として非難し、亜美と会っていると――謎の美女と密会――と書かれていた。

 俺は、過剰な表現に苛立ちを感じるとともに、人間関係に亀裂が生じないか――と不安になっていた。逆に、亜美は週刊誌の表現に信憑性を感じず、ページをめくるたびに首を傾げ「疑いがあるだけで、ここに書かれている人全員が、悪者扱いされている。お気の毒に……」と訝しんだ。

 週刊誌で指弾される画家のK.O氏なる人物は、気取り屋で、ロクでもない遊び人で、空想癖のある怪しい人物として描かれていた。K.O氏は美形の男で口が旨く、名うての女たらしだ。俺の実像と虚像が入り混じり、得体のしれない悪党としてのK.O氏は、さながら闇の世界の魔物を想像させた。

 綾香は、俺が手にしている週刊誌を覗き「兄貴の話が書かれているの? 見せてよ」と、強引に奪い取ると、記事の掲載内容を「画家のK.O氏は新進気鋭の画家として、国内外に知られている。が、凶器なき殺人事件では、もっとも怪しい人物として、本誌ではK.O氏の周辺を取材してきた。そこで、意外ともいうべき、K.O氏の本性が明らかになった」と、声に出して読んだ。

「酷い記事だけに、笑えるよね。絵が評価されると、あれだけ称賛しておきながら、警察に疑いを向けられると手のひらを反すなんてね」

 マスコミは、俺を時代の寵児だとか、画壇の麒麟児だとか言って、称賛していたにもかかわらず、疑惑を持たれると庇護してはくれなかった。現実は、虚飾に満ちた世界だと気づきながらも、他人事となると酷薄に振舞える――世間――と呼ばれる魔物に、俺は身震いした。

 綾香は「マスコミ対策が必要だと思う。言動にはくれぐれも注意してほしい」と、気をもんでいた。さらに、外に出るときは、スーツにネクタイ姿で出向くよう指図した。俺は世間の目を意識すると、キャバクラ、競馬場、パチンコ店などに出向くのを控えていた。芸術家らしからぬ自分の小市民ぶりに、俺は忸怩たる思いだった。

 酒場に出向き、大酒を飲んで憂さ晴らしをしたい心境だったものの、それも控えて家飲みが主体となった。深く悩んでいると、高級酒ではなく、焼酎やリキュールなどの安酒を浴びるように飲みたくなる。

 外では良識人として振る舞い、家の中では酒に飲まれて呂律の回らぬ口調で綾香に絡む日もあった。

       ※

 事件の発生以来、気分が晴れなかったにもかかわらず、俺は祭日に開かれた画商主催のパーティーに招待された。俺の作品のお披露目パーティーとの名目なので、今後の展開を考えると、欠席するわけにはいかなかった。

 パーティー会場の大広間は、天井から豪華なシャンデリアが吊り下げられ、五人掛けの丸テーブルの白地のクロスの上には、皿やカトラリーが並べ置かれていた。食事はバイキング方式で、和・洋・中の料理とデザート、飲料が多彩にそろっていた。

 会場で演壇に立つと、俺は月並みなスピーチをした。「本日はお忙しい中、就任祝賀会にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。 ご紹介にあずかりました――自称・ 天才画家の大友小六――でございます」と、自己紹介した途端に、場内はザワザワし、笑い声が聞こえた。

 俺は週刊誌の報道でナーバスになっていたので、思いのほか明るい反応にほっとしていた。

 パーティー会場は、画商や知り合いの画家やファンの他に報道陣が集まり、熱気に包まれていた。何人ものカメラマンに取り囲まれたときは、余計な質問が飛び交わないかと肝を冷やしたが、杞憂に過ぎなかった。あくまでも、画家としての俺に対するインタビューだけが飛び出し、俺は丁寧に質問に答えた。

 綾香と亜美は、パーティーの間中俺の両隣に居て、他の出席者に対して明るい表情で挨拶していた。

「お前も、しぶとい男だな。とてもじゃないが、画家としてこんなに長く生き残れるとは思わなかったよ。たいしたもんだ」伊達はいつもの毒舌で俺を喜ばせた。

 綾香は、伊達の言葉を聞くと楽しそうに声をたてて笑い、亜美は対照的に「くすくす」と口に手を当てて笑っていた。

 四人で歓談していると、大企業の社長や会社役員たちが近づいてきて、名刺を差し出した。

「先日は、当社の常務がお世話になりました。個展で購入した、大友先生の大作『サクレクール寺院の遠景』は実に見事です。私も、パリには何度も行った経験があって、先生と同じ場所から、あの寺院を見たのですが……。実物の魅力をうまく引き出せていると思いました。目利きの常務に任せておいて正解でした」と、社長は俺の技量を認め、絶賛してくれた。

――これがあるから画家はやめられない――と、俺は率直に感じていた。美術評論家の見識ぶった意見よりも、素直に「美しい」「素晴らしい」「見事だ」と褒められる方が、今の俺には励みになった。

 会社役員たちが自席に戻ると、伊達は、俺に向き直り「お前には、大企業のパトロンが存在する。有難く思って気を引き締めろ」と忠告した。

「何を偉そうに……。それは言い過ぎだろう?」俺は、反発して見せながらも、伊達の裏表のない言動に信頼を置くと同時に、忌憚ない意見に感謝していた。

 パーティー会場に展示した作品は、花火大会の油絵で、夜を彩り空中に大輪の花を咲かせる花火と見物人をリアルな筆致で描いていた。俺は山下清の素晴らしいちぎり絵の花火を意識しつつも、夢幻的かつ涼しげに、花火大会を描画していた。

 俺の心の中では――「日本のゴッホ」とも「天才」とも称された山下清のちぎり絵に負けない出来栄え――と、自負していた。

 俺は週刊誌記事を分析し、画家として信頼されるのが命脈になると判断した。方針が固まると、綾香に協力してもらい、個展やパーティーの出席者に手製の絵ハガキで礼状を送付した。さらに、絵の購入者にはサイン入りの色紙をプレゼントした。

 記者の質問には、想定問答集を作成し失言が命取りにならないように、諳んじて言えるまで練習した。俺は一流画家のプライドを捨てて、一兵卒の心境で事に臨んだ。

       ※

 マスコミ対策やファン・サービス、支援先への配慮が奏功し、俺の絵の評判は広範囲なものになり、観光地の絵ハガキの制作依頼や彫刻の制作依頼まで受ける展開につながった。電話が鳴ると、激励を受けたり、講演依頼だったりというのが、当たり前の日常になった。画廊に展示している絵も、順調に売れていた。

 絵を描き終えるたびに、俺はインスタグラムで公開した。フォロワー数は、現時点で人気タレントを上回り、三百万人を超えていた。

 俺はイメージが湧き気分が高揚すると、制作期間が短くても秀作をものにできるタイプだった。クライアントの依頼を受けて、一日で水彩画を完成させたときは、出来栄えの良さに相手から驚かれた。ちょうど、今がそんな気分だった。俺は、親友を亡くした喪失感や不充足感を芸術的に昇華すると、自ずと創作意欲が高まっていた。

 亜美とカクテル・バーのカウンター席に並んで座り、俺がジン・トニックのグラスに浮かぶ氷とライムをかき混ぜていると、若い女性たちに取り囲まれた。俺が立ち上がり、身体の向きを変えると、女性たちは

「画家の大友先生にここで会えるなんて、今日はツイてる」と、いきなり腕を組んできたり、「並んで写真を撮らせてください」と、豊満な胸を斜めから俺の肘に押し付けてきたりした。女性たちは、アルコールが入って大胆になっていた。

 俺は画家にしては、世の中の動向を気にする性分なので、流行を取り入れたり、国の内外のライバルたちが、何に関心を持っているかリサーチしたりしていた。若い女性受けする絵をインスタグラムの目立つところに配置したり、女性誌の求めに応じてファンタスティックな挿絵を掲載したりもしていた。

 ファン・サービスと言っても、ホテルに誘い込むわけにはいかなかったので、俺は、マスターからボール・ペンを借りると、コースターに女性が好むような妖精の絵を描いて手渡した。

「あの子たち、どういうつもりなのかしら? 私が、あなたの隣に腰かけているのを知りながら、あんな態度をとるのよ」亜美は不満そうに呟いた。

「俺ぐらい有名になると、一般人とは異質な経験をする。だけど、俺はうぬぼれてはいない。無暗に、他の女と特別な関係を持ったりはしない」俺はグラスを手にすると、氷の音を響かせながら、亜美の目をじっと見つめた。

       ※

「大友小六さん、警察署までご同行をお願いします。重要参考人として、どうしてもあなたにお聞きしたい件があります。よろしいですね」

「分かりました。お手柔らかにお願いします」俺は、黙秘権の保障や――疑わしきは被告人の利益に――と言われる法律上のルールを思い出した。

 警察署の古い建物に入ると床板から、小学校の頃に匂ったのと同じ臭気が鼻粘膜を刺激した。俺は、場違いな懐かしいムードを頭に中に想起していた。

 署内の一室に招き入れられると、硬い椅子に座らされた。担当の刑事から、聴取を受けていると――何か重大な言い間違いや、言葉の上の矛盾が命取りにならないか――と、得体のしれぬ恐怖心に責めさいなまれた。

 質問されたのは、被害者との関係、事件当日のアリバイ、何か被害者との間で軋轢がなかったか――といった簡単な内容だ。三つの質問のうち、仕事柄当日のアリバイだけが思い出せなかった。

 念のため、固定電話の通信履歴や確定申告用に残しているレシートに印字された時刻を確認したものの、事件当日の犯行が行われた時刻に自分がどこにいたかの証明にはならなかった。同時刻はパソコンも開いていなかった。

 刑事たちは、嫌疑を抱いた者の有罪を証明するために力を尽くして行動するだろう――と、綾香は予想していた。逆に、自分たちが怪しいと睨んだ相手の無実のアリバイを探すのには、全力で臨んでくれそうもない――と判断していた。疑惑の目を向けられると、アリバイは自分で必死に探し、合理的に無実を証明する必要があると告げた。

       ※

――凶器なき殺人事件――に関する週刊誌の報道は過熱し、巻頭の特集記事が注目を集めた。週刊誌の記事には、俺の知らなかった内容まで記されていた。佐々の周辺の人間は、重要参考人を含めたA~Fのアルファベットで記されていたが、それが誰を示しているのか見当がついた。

 俺は事件の真相を知るために頭の中を整理し、何か重大な見落としがないか考え続けた。警察の捜査では、事件現場の釣り堀周辺の川や藪の中を何日もかけて調べ、凶器のナイフを見つけられなかった。傷跡から判断して、ナイフは市販のものと同タイプの果物ナイフと見られていた。

 強い日差しを浴びて、路面に落ちている葉陰が、そこだけ涼しそうに見えた。俺は佐々の無念を晴らすために、自分を除く五人の重要参考人の周辺を綾香の協力を得て調べた。

 芦原美術出版の保坂信夫は、事件当日に佐々と言い争っていたという証言が原因で事情聴取を受けていた。警察署から情報を入手したところ、他愛ない諍いだったのが判明し、今のところ確たる証拠は見つかっていなかった。

 佐々の後輩の小山田直樹は使用していたナイフが、殺人で用いられたのと同形と考えられていた。小山田が犯人だと、当局は長くは考えなかった、小山田のナイフは、捜査の早い段階で凶器ではなかったのが判明し、嫌疑は晴らされていた。

 中津企画の営業部長・村芝賢太にも捜査が及んでいた。村芝はすでにアリバイが成立していたが、虚偽の証言がないか念のために調べていた。村芝の周辺を調べると、金や女がらみの醜聞が驚くほど出てきた。が、俺がもっとも怪しいと睨んでいた村芝のアリバイは崩せなかった。村芝は事件の当日も昼間から大勢の女とホテルの一室を借り切って乱痴気騒ぎをしていた。

 スナックのホステスの畑沼里奈の行状も捜査対象になっていた。伊達は「里奈が犯人だ。あの女は、男を弄ぶ悪女だ。警察は、里奈を疑いさえすれば、すぐにでも事件の真相は解明し、あの女のやった悪事も露見するだろう」と強弁していた。

 俺は――里奈は完全にシロだ――と考えていた。むしろ、里奈に対する同情心で胸に痛みを感じていた。

 伊達一志も、警察から疑いをかけられていた。伊達とは幼い頃からの付き合いで、俺は小学三年生のときに校庭で遊んでいて、大ケガをさせていた。当時の伊達は華奢な体格をしていた。俺は、本気で相撲を取り思い切り投げ飛ばすと、伊達は倒れるときに突き指して、左手の薬指が変形性指関節症を発症した。伊達の薬指は、今でも第二関節からくの字に曲がっている。

 俺は、負い目を感じると、罪滅ぼしのつもりで伊達をかばい、何かあるとサポートしていた。伊達の実情を知っている俺なら、警察からの嫌疑を晴らしてやれると考えていた。

 六人目の重要参考人は、他ならぬ俺自身だ。俺が犯人ではないのを俺自身がもっともよく知っていた。俺は自分の内心が他人にうまく伝わらずに、嫌疑を感じられているのに憤懣を感じていた。

       ※

 画家の仕事は、収入が安定しないために、サラリーマンのような生活設計を立てるのは難しい。スランプに陥ればたちまち不安に襲われる。さらに、絵の具や絵筆、画布、画用紙などの画材にも費用が結構かかる。人物画となるとモデル代、風景を描く場合には滞在費もかかってくる。個展を開けば会場費、コンクールに応募するには出品料が発生するため、制作前に先行費用がかかる。有名になると、他人から羨望されるが、苦労が多く、好きでなければできない職業だ。

 俺が、恋人の亜美へのプロポーズを遅らせていたのは、彼女を末永く幸福にできるかどうかに迷いがあったのが原因だった。だが、名声を博し十分な資産形成ができた今なら、亜美と結婚できると考えていた。皮肉にも、佐々の事件は、そんなタイミングで起きていた。

 俺は、自分の才能を信頼してここまでやってきたが、会社員の佐々の立場が羨ましくなる日もあった。俺には、近世ヨーロッパの宮廷画家のような高い身分の保証もなければ、固定給や豪華な邸宅をあてがわれる状態でもなかった。佐々は、俺の才能を羨んでいた。俺は逆に、佐々の御囲の生活でありながらも、奔放とした雰囲気が、楽しそうに見えていた。

 博学で温厚な佐々は、俺の尊敬できる友人の一人だった。佐々は国の内外の画家や、美術史、美学など幅広い知識があるので、何かと俺にアドバイスしてくれていた。俺が褒めると、佐々は

「俺の仕事は、美術全般に通じていないと記事が書けない。お前と同じで、専門職だ」と答えていた。

 いったい誰が何のために――何度も問いかけてきた疑問が、またしても俺の心を捉えていた。俺は大きく息を吸うと、頭の中を整理した。自分まで捜査の対象になっている状況で、犯人を特定し、嫌疑を晴らす動きが可能だろうか――と、思いをめぐらせた。下手な動きをすると、当局に察知され、偽装や隠蔽工作を疑われるのではないか――と憂慮した。

「とにかく行動あるのみ。天才画家さんは、家に閉じこもりがちだけど……、事件を解決するには、情報を集めないとね」

「素人には危険が多すぎる」

「失礼ね。こう見えて、私はプロの探偵なのよ」

「お前を巻き込みたくない」

「今は言えないけど、私には秘策があるから、兄貴の正式な依頼がなくても、勝手に調べてみる」

「二人兄妹だからな。俺には、お前は大事な妹だ。ケガをされたら、親に申し訳が立たない。ほどほどにしてくれ」

 絵の生産性が高くなるのは、気分転換のために外で遊んでいる時間を減らし、アトリエに引きこもって絵筆を握る時間を増やす生活にあった。が、一日中、家で過ごしていると、創造性の限界に行き当たった。

 退屈と孤独は、人を不安にさせ気が滅入る状況ばかりを想起させる日があった。身体を動かす事、他人と接する事、美しいものを鑑賞する事、外に出て自然に触れる事が、画家にパワーを供給し、能力を高めてくれるのを俺は知っていた。

       ※

 少年時代の俺は、周囲から奇妙な子どもだと思われていた。小学生の時、俺は授業中に真っ直ぐに黒板を見て、ノートに筆記し、先生が指摘する教科書のページを開き、誰よりも熱心に集中していた。だが、俺はその間、先生がチョークでコツコツと音を立てるのを聞き、教科書をめくる感触を味わい、情景をまるごと記憶に留めていた。

 そのくせ、試験の時には知識に関する記憶が曖昧になり、酷い点数をとり親や教師に叱られた日があった。俺は、世界を直感で捉え、美的なムードに戯れ、味わっていた。大人になるとともに、世界は芸術的な美しさから離れ、言葉や光景に宿る意味を分析するのが当たり前に思えるようになった。

 俺は人間として成長したものの、芸術家としての才覚は、少年時の感性の中にこそあったと、今でも信じていた。芸術的価値とは、知識や分析ではなく直感的に全体を丸ごと把握する力であり、味わいであった。

 依頼の有無にかかわらず、俺は一つの仕事が終わると次の仕事に向き合ってきた。一日に何枚も描けるものから、何か月もかかる大作まで、絵を描くか彫刻を手掛けるか、とにかく手を動かさないと、腕が鈍りそうな強迫観念にとらわれていた。

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