第2話 安城美代はカタリストを気取る。

 放課後。

 いつも通り、隣人は教室に姿を現すことはなかった。

 だから俺は机を二つ占領して、一日を過ごした。

「さて。放課後だし…………はぅ。……………………帰るか」

 欠伸が一つ出る。眠たい目を擦って、立ち上がるとカバンを持つ。

 正直今日の授業の内容は入っていない。なんなら入学してからの一か月。真面目に授業を聞いた覚えはなかった。あぁ、代わりに提出物はしっかり出している。もっとも、家に帰ってから教科書を読み漁ったり、なんなら人類の英知に力を借りて解くことが多い。少なくとも中学校はそれで乗り切った。だから高校も何とかなるだろう。

「……ん? なんか、聞こえる?」

 と、廊下へ一歩。比喩でもなんでもなく本当に一歩出したところで、何か歌声が聞こえた。

「これは……合唱部?」

 ド素人の俺が称するのはおこがましい気もしたが、つい足を止めて聞き入ってしまう歌声だった。透き通った高音からして女子だな。この学校。いや、羽間町で一番綺麗な声を出していると言っても過言ではない気がする。そんな歌を聞きながら、止めていた足運びを再開する。

「すげぇなぁ。あんだけ歌がうまかったら、期待とかされてんのかねぇ」

 俺は誰かに期待されたことがない。誰にも期待されず、のほほんと今を生きている。それが俺の今のところの人生だった。夢もなければ、特にしたいこともない。適当に過ごして、人生をただひたすら消費する。親も二人とも安定した収入があるからなのか、基本家に居ることはない。常に仕事で何処かに行っている。両親にすら、期待をされていない自分は価値なんてものないのではないだろうか。

「……あれ? うち合唱部なくねぇか?」

 と、自分の価値について考えていた所で思い出す。高校にしては珍しいことではあるが、我が校には合唱部と言う部活が存在していなかったのだ。いや、正確には名前だけが存在してあるが、顧問も居なければ、部員も居ない幽霊部活となっている。

 噂では、幽霊が出るとかなんとか。おかげで香蘭高校には珍しい七不思議が存在していた。


 一つ、香蘭高校の合唱部には幽霊が出る。

 二つ、夜の香蘭高校には鬼が出る。

 三つ、香蘭高校には願いを叶える墓石がある。


 ……………………あとはなんだったか。忘れてしまったのでこれ以上は思い出せない。だが、そうだ。幽霊が出ると言う噂が立ちすぎて、合唱部は事実上の廃部となっているらしい。

「そりゃ、お化けが出たら怖くて部活動どころじゃないよな」

 俺は帰宅部だけど。と、考えてからやはり立ち止まってしまう。

 では、誰が歌っているのか。幽霊だろうか。だとしたら興味がある。周囲に人影はなく、この気持ちを共感してもらえそうな状況ではない。確認する手段は、自分で見に行くしかない。

「……んー。行くしかないのか、これ」

 歌はまだ続いている。歌っているのは――

「……聞いたことのないジャンルだなきっと。分かんねぇ……………………」

 おそらくは学校で習うような曲ではなかった。だが、あまりこの手のモノに詳しくない俺にはわからない。

 仕方なく玄関へ向かおうとしていた足を返す。

 音楽室は三階。うちの校舎は何故かは知らないが、学年が若いほど階が高い。つまり、階段をまだ降りていない俺にとっては少し遠回りをする程度で済むのだ。

 これくらい、灰色の高校生でも気まぐれでするだろう。するよな?

「誰も居ねぇから聞けもしねぇ。ま、何はともあれ向かいますか」

 とりあえず、もそりもそりと歩く。どうせ教室の前を通るなら、カバンでも置いておこうかなんてことを考えて、名前の知らないクラスメイトの机に置く。

「……身軽だぁ」

 適当な呟き。歌はまだ聞こえている。

 放課後になってまだ久しいはずだが、ここまで人が居ないとなると俺は異世界にでも飛んだのだろうか。だとしたら異能の一つでも欲しいところだな。そうだ、例えば家と学校を往復できる能力とか。あぁ、そんな局所的な能力なんかじゃなくて瞬間移動でいいか。

 と、馬鹿らしいことを考えていると歌声もはっきり聞こえるようになり目当ての音楽室にも辿り着く。やはり歌声はここから聞こえていた。

「さて、ここに居るのはお化けかそれとも……」

 超絶歌上手女子高生か。

 ガラガラ。と、建付けの悪そうな音を立てながら戸を開く。

「――おや? 来客とは珍しい」

 すると歌声とは反対に、低くカッコいいと言う表現が似合う低音な声がする。もっとも、女生徒にしては低いと言うだけで、重低音が響くほど低いと言う訳でもない。だが、俺は好きな落ち着いた声音だった。

「……えぇっと。……………………あぁ、先輩すみません。歌声が気になって。その、お邪魔しました、アンジョウ先輩」

 見上げると長い黒髪に、整った顔立ちの三年生が居た。

「ほぉ。私が年上であると言うことに加えて、名前まで理解できる知能があるようだな君は」

「は? え、そりゃあ…………名札を見れば学年と、名前くらい――」

「――はは、天才だ。すごいな、君は」

「…………初対面の俺のこと、馬鹿にしてます?」

 彼女の名札には、安城と書いてあった。

 大体小学三年と六年生くらいで習う漢字だったはずだ。

 高校一年生ともなれば、おそらく城が書けないことはあっても、読めないことはないだろう。

「まさか。馬鹿になんてしてないさ、カンザキセイヤ君?」

「本当っすかね。………………あれ? なんで下の名前知ってるんですか?」

 自然に呼ばれて一瞬流しかけたが、よく考えればおかしなことだ。

 先輩とは完全に初対面で、少なくとも俺からこの人を見かけたことはない。

「ふふ。なんでだと思う?」

 だから、名前を知る機会なんか、なかったはずなのだ。だが、彼女は知っていた。

「はは、もしかして――」

 適当に笑って、線を引く。もし、知られる機会があるとすればなんだろう。例えば部活で優秀な成績を収めている場合ではないだろうか。だが、生憎俺は帰宅部で部活動には仮入部すらして居ない。だから俺の名前が人知れず拡散されることはないはずなのだ。では、何故先輩が知っているのか。

「――俺のファンですか? サイン要ります?」

 それはもう俺のファンである可能性しかない。と、思ってもいない軽口を叩きつつ、俺は一歩下がる。ファンとオブラートに包んで表現したが、言ってしまえば愛が重い人の可能性があった。だから下がる。だが、その歩数よりも多く彼女が近づいて来て、無言で腕を伸ばしてきて、

「ちょ、まっじ!?」

 身の危険を感じ、顔の前で腕を交差させていると、もう一度後ろからガラガラと言う音がした。

 視線だけを動かし、確認すると聞いての通り引き戸は閉められている。続けて、かちゃりと音がして、顔を上げると彼女の顔がすぐ近くにあって。

「では。頂こうかな、その君のサインとやらを」

 耳元でそう言われ、背筋がぞっとする。

「あ、あははは……」

 どうやら、俺はある種の監禁を喰らったようだ。あ、手足は自由だから正しくは軟禁か? とは言え、まだ軽口を叩く余裕は自分にもあるようだな。と、冷静に考えていると、先輩が離れていく。

「そこの席に座りたまえ。この教室は自由に使っていいぞ」

 と、安城はブレザーのポケットに忍ばせていた携帯を見ながら言う。

「……お、お言葉に甘えて~」

 そもそも教室は全校生徒の共有財産――ではないが、全校生徒が自由に使えるものだ。どんな権限を以てこの人はそんなことを言っているのだろうか。まるで自分のモノのような言い方だ。

 とは言いつつ、とりあえず自分の近くにある椅子に腰を下ろす。

「さて。では、まずは君が疑問に思っているだろうことに対して応えてやろうか」

「疑問、ですか?」

 俺があんたに抱いてるのは疑問じゃなくて疑念だ! と、内心反論してから、適当な椅子に座る。

「名前を知っている理由だが、簡潔に言って妾がお前に興味を持っていたからだ」

 あ、マジで? そーゆう感じ? 怖いなぁっと、脚が少し震えてしまう。

「だが、それは君が思っているような。厄介なものではなく、至極単純な話なのだよ」

「それってつまり?」

 そう聞くと安城はにやりと口角を上げて言った。

「君が、【探偵】であるからさ」

「……………………ですよねぇ」

 心の奥底からため息が出た気がする。こんな美人な人が、理由もなく俺に近づいてくる訳がなかったんだ。どうせならまだファン、基愛が重い人の方が良かった。

「おや? 残念以外の感情は持ち合わせていないようだな?」

「はは。なんか俺の心読んでます?」

「まさか。私にはそんな異能持ち合わせていないよ」

「はは……そうっすよねぇ」

 今、この人なんつった?

 異能? ここは、現実の世界だぞ。そんなのまるで――

「――まるで。異世界に迷い込んだようだって? 君こそ、聞いたことくらいあるんじゃないか? 空想種の存在くらいはね」

「知ってるも何も。当たり前じゃないですか。まじで馬鹿にしてます?」

  空想種。分かりやすい言葉に置き換えるなら、異世界人。人の形を持ちながら、人間とは異なる特徴を持つ存在。人間の完全なる上位種で、名家だ。

「ならば説明してみせよ。知っていることをな」

「……空想種は、異能と言える力とそれ相応の身体的変化を持っている」

 とは言え、それは分かりやすいものが多かった。

 例えば、吸血鬼の血を引く者は、目が赤く。ドワーフはかなり背が小さかったりする。

「他は?」

「……。名家である」

「…………他には?」

「……美男美女が多い」

「……………………君。その言い方知っているな?」

「はぁ。勝負事に勝てば、なんでも願いを叶えてくれる。これしか知りません」

 嘘くさい話だ。いくら名家とは言え、出来ないことくらいあるだろう。例えばもし地球をくれと言ったら、どうする? くれるのか?

「……そうか。では、もう一つ。君が知らなかった情報を与えてあげよう」

「はぁ? まぁ、聞いてもいいですけど。なんです?」

 俺が内心ふざけていると安城は至って真面目な顔で前に座っていた。

「空想種には。言霊の異能が標準的に備わっているのさ」

「……それが、『なんでも願いを叶えてくれる』の由来ですか。なるほど、じゃあ、いきなり地球をくれと言っても、すぐには貰えないんですね」

 その表情が少し怖くて、俺は逃げるように目を動かし、言葉を発する。

 場の雰囲気を柔らかくしたい気持ちで一杯だ。なんでこの人は急に、冷たい圧を発しているのだろうか。

 と、思っていた時。彼女が言った。

「……【君】はその【椅子】から立てない」

「は?」

「ふふふ。どうだ? 立てるか?」

「立てるに決まっているじゃないです……か。あれ? おか、しいな。背中が、椅子から剝がれない……!?」

 重心の移動は出来ている。前に立とうとして、足のつま先に体重を乗せることは可能だ。だが、後ろに引っ張られる感覚があって、立つことが叶わない。

「言っただろう? 空想種には、言霊の異能を持っていると。さて、君は今なんで動けないんだろうねぇ?」

 安城がいやに笑う。

「……うっそだろ。いやいやあり得ない。あんた、空想種なのか!?」

 逃げたい。だが、椅子から立つことが出来ない。

 そんな俺に近づいて来て、安城は。

 彼女は、また耳元へ顔を近づけると言う。

「私は、君の世界に色を付ける――そう。言わば、カタリストなのだよ」


 

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