第27話

 ――庄屋の甚兵衛

 ――娘をころし

 ――知らんぷりのぷぷいのぷい

 ――ぬばたま様に

 ――たたられた

 ――たたられた


 ――枡屋の官兵衛

 ――親父をころし

 ――知らんぷりのぷぷいのぷい

 ――ぬばたま様に

 ――たたられた

 ――たたられた


 ――錠前屋の新兵衛

 ――子供をころし

 ――知らんぷりのぷぷいのぷい

 ――ぬばたま様に

 ――たたられた

 ――たたられた


 ――庄屋の甚兵衛

 ――枡屋の官兵衛

 ――錠前屋の新兵衛

 ――ぬばたま様に

 ――かえられた

 ――かえられた


 村長はようやく思い出した。

 幼い頃に遊んだ手毬唄。唄に合わせててんてんてんと毬を突く。

 実際に、一人毬を突いてみて完全に思い出した。

 人殺しをした庄屋の甚兵衛、枡屋の官兵衛、錠前屋の新兵衛はぬばたま様に祟られる。

 そうして彼らを待ち受けていたのは、ぬばたま様に――

「ほほ」

 いきなり背後で戸が開いて。

 おたまが姿を現した。

 きっと夫が誰もいない間で毬を突いているのが面白かったのだろう。

 おたまは笑って訪ねてきた。

「何をなさっていますの」

 その笑顔を、見た時。

 村長は全てを悟った。

「……昔の手毬唄を思い出したくなってな」

 素直に気持ちを告げた。そうする方がいいと本能が告げたからだ。

「おかしなこともあるもんですねぇ」

 おたまはころころ笑った。村長は震えた。



 視線が強くなったのは翌日からだった。

 先生にぬばたま様について聴かされた翌日からだった。

 クラスのみんなから向けられる侮蔑の目線とは明らかに異質な、へばりつくような、まとわりつくような、陰気で、不気味で、味の悪い、目線を感じる。

 それはクラスから離れて図書室や保健室に行っても同じだった。誰かがじっとこっちを見ている。どこかからじっとこちらを見ている。

 しかし相談する相手がいなかった。

 教員の間でも私の噂が回ったのだろう。

 誰も私と目を合わせなくなった。保健室の仁科先生でさえ私と目を合わせなくなった。私が保健室に来ても、要件を聞いて「休みたいならベッドに行きなさい」と素っ気なく対応するだけ。私は孤独だった。誰からも相手にされない。誰からも見てもらえない。でも妙な視線は感じる。周囲からの腫物に触るような目と、それから不気味な……。


 ――ぬばたま様らしい。

 ――うわ。関わらないようにしなきゃ。

 ――ってかそもそもさ。

 ――やりすぎ。


 いじめられていても、生徒会の仕事はやらなければならない。生徒会室に行く。西本ちゃんと薬井くんがいる。

「掃除行ってくる」

 まず西本ちゃんが逃げた。私はその背中に「うん」とだけ返すと、椅子に座って小さくなった。もう駄目だ。

「おい」

 薬井くんがこちらを覗き込んでくる。それから続ける。

「ミディアムカットにしたのっていつだっけか」

 記憶をたどる。それから答える。

「は、半年前……?」

 ようやく人から話しかけてもらえたというのに、私はつまらない受け答えをしてしまった。薬井くんは静かになった。

「じゃあ、まだか」

「まだって……?」

 しかし薬井くんは黙り込んでしまった。沈黙が流れて、気まずくなったところで、いきなり薬井くんがまた口を開いた。

「女になったら、ってこと、考える奴いると思うんだよな。俺はそれを考えたことがある。結構切実に」

 いきなり妙な話題で私はびっくりした。

「女でもいるのかな。男になったら、って人」

「い、いると思う……」

「そっか」

 薬井くんはまた黙り込んだ。だがしばらくして――時間的には数秒程度だろうが――また口を開いた。

「俺が女になったら、俺は困るだろうなぁ」

 さっきから何の話をしているのだろう? 私が困惑していると、薬井くんはいきなり私の顔を見てこう告げた。

「お前はその心配ないから大丈夫だよ」



 結局薬井くんの話しは訳が分からないまま終わってしまった。彼がだんまりしたからだ。嫌気がさして頭がくらくらしてきた。学校全体でグルになって私をいじめているとしか思えなかった。何だ。何なんだ。何だって言うんだぬばたま様が。教えることができない? 巻き込まれたくない? 呪われたくない? 

 ――と、そこまで考えて思い至った。

 私がぬばたま様と契約して死んだらどうなるだろう、と。

 ぬばたま様。死ぬ前に印を結んで憎い奴の顔を浮かべ、「ぬばたま様」とつぶやけばいい。簡単だ。簡単なことだった。

 そして今の私に生きている意味などなかった。人気をなくした生徒会長、それも学校中のいじめの対象ともなればもう存在している価値なんてない。終わりだ。おしまいなのだ。いっそのこと誰かを憎んで死んでやろうと思った。いや、冷静に考えれば合阪赤須昼川とハメた挙句に自死を選ぶなんて迷惑極まりないし意味不明なのだが、しかしもう、解決策はない気がした。リセットだ。一旦電源を切る必要がある。

 屋上から飛ぶという手はあったが、寒そうだった。なので私は学校最上階にある女子トイレに向かった。用具入れにあるであろうホースを使って首を吊ろうと思ったのだ。

 排気口の真下にある個室を探す。

 中に入る。

 本校舎のトイレは洋式なので、便座の上に立った。

 排気口に、ホースを通す。

 淡々とした、味気のない作業だった。

 輪っかを作って、結んで。

 心は動かなかった。死ぬことへの恐怖もなかった――といえば、嘘にはなるが、しかしこれが救いのような気がしていた。こうやって私が死ねば、ぬばたま様とやらの呪いも解けて、逆に私が呪ったことで他の誰かがぬばたま様の呪いに苦しんで……ざまあみろという気持ちになった。そうして便座の上に立って、いよいよ、という段になって急にトイレに人が入ってきた。それは気配で分かった。私は息を止めた。

 私がいる個室以外はどこも空いていた。空いていたのに、何故かその人影は私のいる個室の前に立った……立った気配があった。実際ドアの下から見える影は私の前に二本あった。間違いなく、この個室の前に立っている。

「……ならぬ」

 低い声がした。心臓が凍った気がした。

「……ならぬ」

 不気味な声だった。

 しかしどうも――。

 私が死ぬのを、止めようとしているようだ。

「ならぬって、何よ」

 私は返した。

「何だって言うのよ。私が何しようと……どこで終わりにしようと勝手でしょ。あなたに何が分かるって言うのよ。私に命の大切さでも説こうと思ってるわけ? 私は人をひどい目に遭わせた。それだけで、とんでもない、問題児で、もう生きている意味なんて……」

「……ならぬ」

「だから何だって言うのよ!」

 私は叫んだ。それから便座の上から降りた。

「あんた何よ。何様なの? いきなりやってきて説教なんて……」

 と叫んで、ドアを開けたその先。

 誰もいなかった。誰もいなかったのだ。声は確かにしたのだが、誰もいなかった。誰も立っていなかった。

 心臓に続いて、肺まで凍った気がした。ひゅっ、という息の音もしていたと思う。私はしばらく呆然とした。やがて、薄暗いトイレの中という状況が怖くなって、慌ててトイレから出た。先程の状況を振り払うように頭を何度も振って歩く。自然と涙が零れてきた。だけど誰も私を助けてくれない。私なんか、私なんか――。

 でも。

「……ならぬ」

 頭の中で、響くあの声。



 家に帰ると誰もいなかった。父も母も仕事。一人っ子の私は家でも一人。部屋に入ると、カバンを放ってベッドに突っ伏した。息を吸うとベッドのカビ臭いような汗臭いようなにおいが肺に流れ込んできた。気づけば、私は泣いていた。

 だが、いつまでも泣いていたところで、何も変わらない。

 ひとしきり泣き終わると私は窓辺に寄って空を見た。私の悩みなんてどうでもよくなるくらいの大きな空だった。あの彼方に行けたらどれだけ楽だろう。どれだけ楽しくてどれだけ幸せだろう。水堂さんがあの一歩を、最後の一歩を踏み出した理由が分かった気がした。楽になれるのだ。楽に、なれるのだ。

 ――それを見つけたのは、空から目線を下ろした時だった。

 私の家の前に、立っていた。

 明るい空とは対照的な夕闇の底。それは漠然と人であることしか分からなかった。いや、髪が長いから女性であることも分かった。そして服は……夕闇の中で見えたそれは、おそらくだが御滝中学校の制服だった。私は小さく息を呑んだ。それから、一旦部屋の中に身を隠した。

 誰。誰だろう。

 私に用だろうか。私に会いに来たのだろうか。状況を考える。ただの生徒が母や父に会いに来ることは考えにくい。どう考えても私に用があるんだ。私は少し考えた。インターホンの音さえ待った。しかし何もなかった。たまたまうちの生徒が下校中に私の家の傍にいただけか? そう思って再び窓の傍に近づき、外を見た。やはりそいつはいた。

 黒髪の長い、御滝中の制服を着た女の子。

 髪に隠れて顔はよく見えない。ますます気持ち悪い子だった。何だ。何だろう。何がしたいのだろう。気づかれたくない。こっちを見るな、こっちを見るな……。

 しかし、私がそう思ったタイミングで。

 人影がつい、と顔を上げた。そうして髪の毛の向こうにある目が、私をしっかり捉えた――気がした――少女の影はいきなりすっと右手を上げた。それから私の方を指差した。私はいよいよ怖くなった。

 カーテンを閉めて再びベッドの上に行く。ブランケットをかき寄せて丸くなるとひたすら「どうして……どうして……」「許して……許して……」とつぶやいた。何をどうしてほしいのか、何を許してほしいのか、自分で言っていて謎だったが、しかし自然とそうつぶやいていた。

 気づけば母が帰ってくる夜中まで、私はずっとそうしていた。

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