第26話
何かがおかしい。
村長にもその自覚はあった。
いや、それは些細な違和感だった。
何がおかしいとも言えない。だがおかしい。違和感。
頭の中に、流れる童謡。
――庄屋の甚兵衛
――娘をころし
――知らんぷりのぷぷいのぷい
――ぬばたま様に
――
ここから先が、思い出せない。
小さい頃はあんなに遊んだのに。
「あなた」
おたまに呼ばれる。村長は振り返った。おたま。妻のおたま。
「こんな時間にいかがなされました」
「いや、何でもない」
夜。灯の油も勿体ない、と、村長は行燈の火を消した。途端に辺りが闇に飲まれて、部屋の中も、おたまの顔も、見えなくなった。
――庄屋の甚兵衛
――娘をころし
――知らんぷりのぷぷいのぷい
――ぬばたま様に
――
*
日が暮れた頃。
最終下校時刻間際。辺りがすっぽり闇に包まれた頃。
私は一人歩いて二年三組の教室に向かった。荷物を置きっぱなしにしていたからだ。あれを持ち帰らないと、明日の朝何をされているか分からない。カバンごとごみ箱に捨てられているかもしれない。窓の外に放られているかもしれない。そうして飛び散ったカバンの中身を、自分の手でかき集めるのはさぞかし惨めに違いない。それだけはどうしても避けたい。
いや、もう手遅れかもな。吹奏楽部とかが私の荷物を荒らしていたりして。
そんな懸念をしながら辿り着いた教室にいたのは、市木さんの机を借りてノートパソコンで作業をしている木山先生だった。先生は教室の入り口に私を認めると顔を上げた。
咄嗟に私は逃げようとしたのだが、見つかった以上は仕方がない。腹をくくって教室の中に入ると、木山先生がそっと立ち上がった。それから告げた。
「心配したぞ」
温かい言葉だった。
「何かあったなら先生に話してみてくれないか」
話すって、何を。ぬばたま様? ぬばたま様のせいでみんなにひどいことをしました? 合阪さんに男をけしかけて、赤須さんを階段から突き落として、昼川さんを屋上に閉じ込めて……。
いや……いや。
目の前のこいつはまだ知らない。私が一連の騒動の犯人だということを知らない。だからしらを切れば問題ない。むしろ、そうだ。誰か他の人物に罪を着せればいい。三隅あたり、いや、生徒会の西本と薬井でもいい。誰か私以外の人間に、私の罪を、私の行いを……。
「どうした?」
先生が顔を覗き込んでくる。私は意を決して――という体で――告げる。
「私、一連の騒動の犯人だと思われてて」
木山先生が驚いた顔をする。
「一連の騒動って……」
「合阪さんとか。赤須さんとか、昼川さんとか」
「恋本がやったのか?」
私は首を振る。もちろん、横に。
「じゃあ堂々としていたらいいじゃないか」
私は黙る。
「堂々とできないのか」
「だって……だって……」
作戦を変える必要がある。私は上目遣いに先生を見て、それから続けた。
「だって私、実際にあの三人がひどい目に遭えばいいって思ってたし……」
「そうなのか」
「だって人を殺したんですよ。何か罰が下るべきでしょ」
「水堂の件か」
私は頷く。先生はため息をついた。
「殺した、は大袈裟だな」
「でも似たようなものです」
「仮にそうだったとして、罰を下すかどうかは恋本が決めることじゃないな」
「そうです。そうですよ」
「恋本が三人に手を下したのか?」
「いいえ」
――これは嘘。
「合阪さんは男子に人気だから男子の手でひどい目に遭えばいいと思いました」
――これは本当。
「赤須さんは運動神経がいいから足が悪くなればいいって……」
――これも本当。
「昼川さんはいつもスカートが短いから凍えればいいって、思いました」
――これはまぁ、こじつけだけど本当。
「でも先生、私、やってないんです。確かに不幸を願いは……呪いはしたかもしれないけど、私断じて、やってないんです」
――これは嘘。
私は嘘をついていた。いや、本当のことに混ぜて嘘をついていた。何かで読んだ。これは嘘を見破られにくくするテクニックのひとつらしい。どこかで本音を、どこかで虚偽を。本音は真実なので、嘘をつく当人も自信を持って言える。嘘をつく時の後ろめたさを誤魔化せる。そんな策らしい。そんな方法らしい。
「恋本がやってないなら堂々としていればいい」
「呪った事実はあります」
「呪いなんてないんだ。恋本らしくないぞ。そんな非科学的なことを信じるなんて」
と、全部話した後に木山先生は「いや」と言い淀んだ。
「ごめんな。先生恋本のこと何も知らないくせにこんな」
「いえ、いいんです」
やった。
もしかしたら。
優位に立てた。
「とにかく私、やってないんです。やってないのにやってる風に扱われて……」
「昼川にもそうされたのか?」
「昼川さんに呼び出されたんです」
先生は沈黙した。それは「それで?」と先を促しているように見えた。
「社会科準備室に行きました。そしたらそこで、昼川さんが『お前がやったのか』って……」
「誤解は解こうとしたか?」
「しました」
――まぁ、嘘じゃないだろう。
「そしたら、昼川さんぬばたま様の話を始めて……」
「ぬばたま様?」
木山先生の表情が曇る。
「なんでぬばたま様?」
と、つぶやいてからすぐ、先生は唇を噛んだ。それから心底困ったような顔をして、私の目を見た。
「なぁ、恋本」
一歩、こっちに寄ってくる。
「何か先生に隠してないか」
いきなり本心を突かれて私はぎょっとした。どうして。どうして。
「ぬばたま様は罰の神だ」
先生は続ける。
「何かしたんじゃないか。何か後ろめたく思ってないか。三人のこと以外に何かあるんじゃないか。話してくれないか」
私は首を横に振った。
「話すことなんて、ない!」
「なぁ、恋本」
先生は縋るような調子だった。
「先生含め、他の生徒たちも、極論ぬばたま様のせいで恋本がどうなってもいいんだ」
それは衝撃的な言葉だった。私は噛みついた。
「どういう意味ですか?」
「変化がないからだ」
木山先生は静かに続けた。
「恋本は恋本のままだ」
だったら、だったらなんで?
「何で私はこんな目に遭わないといけないんですか?」
「言っただろ。ぬばたま様は罰の神なんだ」
「罰だって言うんですか」
「そうだ。罰だ」
だから訊いてるだろう。
木山先生は続けた。
「何か隠してないか。ぬばたま様は罪を認めない限りずっと恋本を責め続ける。何か隠しごと、何か嘘をついていること……」
と、言いかけて先生が思い至ったような顔になる。
「三人のことか」
先生は静かに続けた。
「ぬばたま様の噂が出たくらいに合阪が被害に遭ったもんな」
ああ、そうだ。そうだとも。
私は内心認めた。自分の罪を、やったことを認めた。
私が合阪をハメるプランを練り始めてからぬばたま様の噂が学校中を駆け巡ったのだ。それまでは「先生の冗談」だったり「学校新聞に載っていた」程度の存在だったのが、合阪赤須昼川が水堂いじめの主犯だと分かり、私が三人をハメる計画を練り出した頃にぬばたま様が生きた存在となって学校の中を走り始めた。ぬばたま様は常に私の行動と共にあったのだ。私が三人をハメればぬばたま様がそれに呼応するかのように姿を現した。だから私はぬばたま様を、あの黒い女を追いかけて、探って、調べて……。
「さっきも言っただろう。罰の神だ。罪を認めない限り追いかけ続けられる」
木山先生は必死に私を説得した。
「三人の件を認めて謝るんだ。そうすればぬばたま様から……恋本は助かる」
「ぬばたま様に呪われたらどうなるって言うんですか」
長らくの疑問を私は木山先生にぶつけた。しかし先生は黙った。
「言えない」
「どうして」
「ぬばたま様が俺に移ったら困る」
先生は怯えた目をしていた。
「第三者が当事者にぬばたま様の話をする時は、関係者……ぬばたま様を知っている人間全員で当事者に教えなきゃいけない……いや、そうするべきってだけでそうしなきゃいけないわけじゃないんだが、とにかくそうするべきなんだ。そうじゃなきゃ教えた人が呪われ……」
そう言いかけて先生は口をつぐんだ。
「これも教えたことに、なるのだろうか」
震えている。さっきまで私を助けようとしてくれていた先生が、自身の安全のために、震えている。
「な、なぁ恋本。ぬばたま様の一件を黙っていた奴は他にもいると思うんだ。むしろ先生は教えてやった方なんだから、決して恨むことなく、穏やかに……」
「だから何の話なんですか!」
「ぬばたま様は死の間際に印を結んで憎い奴を思い浮かべると契約できる」
木山先生は、それだけ告げると静かにつぶやき始めた。
「いや? ぬばたま様のせいで消える時っていうのは死ぬわけじゃないから、直前に印を結んでも無意味なのか? ……いや、でもそうだとしたら第三者全員縛りなんて発生するわけがないから……」
「いいかげんにしてください!」
「すまん」
先生は意味のない謝罪をした。
「でも、言えないんだ」
私は沈黙に耐えきれなくなると、自分の机に駆け寄りカバンをひったくった。
それから荒い足取りで教室を出た。木山先生が引き留めてくれるかと思ったが、やっぱりさっきの職員室での時と同じように、先生は私を追いかけてはこなかった。私は暗い廊下を歩いて靴箱へ向かった。
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