第23話

 翌朝学校に行くと、真っ先に木山先生から職員室に呼び出された。教室から先生に連れられて職員室へ。心当たりしかない私は内心震えながらついて行った。先生の背中がいやに大きく見えた。

 先生たちが忙しそうに動き回っている職員室は何だかミツバチの巣を連想させた。木山先生はそんな中を通って私を自身の机に案内した。先生はどっかり椅子に座った。

「体調はもう大丈夫か」

 先生はそう、私を気遣ってくれた。昨日は体調不良のふりをして休んでいる。多分そのことを気にかけてくれたのだろう。

 私が「はい、大丈夫です」と答えると、それから先生は私を見上げて一言つぶやいた。

「どうして呼ばれたか分かってるな」

 私は沈黙を守った。だが、黙秘も無意味と小さく頷いた。先生は続けた。

「この間昼川を社会科準備室でどついたな」

 事実なので否定はできないが、しかし私はやはり沈黙を守った。先生は淡々と続けた。

「昼川は背後の棚にぶつかった。そして棚の上にあった大量の荷物が降ってきて昼川を襲った」

 こうして起こったことを陳列されるのは何だか裁判に似ているような気がして――実際そんなの受けたことないが――私は少しおかしい気持ちになった。もちろん、笑いはしないが。

「昼川は大怪我をした。複数の打撲に額に切り傷」

 ひどいもんだ。私はそう思った。でも、あいつは水堂さんをいじめたわけだし、私に言いがかりをつけてきたわけだし、私が百パーセント悪いとは言い切れないわけで、あいつにだって非はあって……。

 しかしそんなことは口に出せず、私はただ悔しい思いをして唇を噛みしめただけだった。先生は続けた。

「昼川は怪我のせいでしばらく学校に来れない」

 そっか、と思った。そりゃそうだろうな。天罰だ。しかし木山先生はそうは捉えなかったようだ。

「恋本の親御さんと、先生と恋本の三人で謝りに行こうと思う。お母さんの都合のつく日を聞いてきくれるか。なるべく早い方がいい」

「……はい」

 そう言うしかない。状況がそこまで大きくなければ黙り通すという手も、あったかもしれないが、ことが大きすぎる。黙秘は不可能だろう。

「生徒会長の恋本がこんなことをしたのには何か理由があると思っている」

 先生は滔々と続けた。

「先生に話してくれないか」

 私は迷った。オカルトのせいでこんなことになった。そう話すことは一応できた。しかし何だか馬鹿げていると思った。ぬばたま様のせいでこうなった。怪異の、この世ならざる者のせいでこうなった。

 でも、もしかしたら、先生なら。

 そう思って意を決して口を開いてみた。それから「ぬばたま様」と告げた。

 一言で。そう、たったその一言で。

 先生の顔が凍った。おかしいことだった。先生はよそから来て個人的にぬばたま様の話について調べただけの、言わば私と同じ立場の人間であるはずなのに、しかしぎょっとした顔で私を見た。私はそれが怖かった。だから訊ねた。

「ぬばたま様の噂が立ってから妙なことばかり起こるんです。私がこんなトラブルを起こしたのも、全部全部、ぬばたま様の噂が……」

「そうか」

 先生は深刻な面持ちで頷いた。それからふと目を上げると、私の顔をしっかり見て告げた。

「文芸部には行ったことあるか」

 文芸部。

 オタクの集まり。部誌の制作にかまけて学校が禁止しているゲームやら何やらで遊んでいる、不良とは違う意味で校則違反を繰り返す悪い人たちの集まり。

「文芸部のロッカーの中に、何代目かの部長が残した日記があるらしい」

 それから先生は小さく断りを入れた。

「先生も他の先生から又聞きしただけだから真偽は確かめてない。でもその日記にはぬばたま様を追い払う方法が書かれているそうだ」

「ぬばたま様を追い払う方法……」

「残念だが、恋本にはぬばたま様が憑りついていると思われる」

 何となくそう思っていたことだが、いざ宣告されると大きな影に飲み込まれるような気持ちになった。先生は続けた。

「恋本の親御さんと都合付けるのに少し時間がかかるだろう。今日の放課後にでも文芸部に行ってみたらどうだ。もしかしたらそこで、解決策が見つかるかもしれない」

「あ、ありがとうございます」

 私は本心からお礼を言った。

「日記、試してみます」

「どの道昼川の件はしっかり謝らないといけないからな」

 先生が念を押してくる。

「減刑になると思うなよ」

「はい……」

 それはまぁ、仕方がない。

 そういうわけで私は少し明るい気分で教室に向かった。机に着くと、中に紙切れが入っていることに気が付いた。引っ張り出し、読む。「死ね」。そう書かれていた。いよいよいじめが始まったか。そう、不快な気持ちにさせられたが、やはり気持ちは明るかった。ぬばたま様。ぬばたま様の呪いを解ける。

 授業中、意識はもう文芸部のある部室棟に飛んでいた。放課後、あそこに行って確かめる。私を苦しめる呪いの根源を。怪異の尻尾をつかんでやる。



 待ちわびた放課後。私は急ぎ足で部室棟へむかった。文芸部のある場所は二階の角部屋。それなりに広い部屋を使っている。部員が何人いたか忘れたが、二年生では三人。いずれもクラスの端っこでいやらしい笑い方をしている変な連中。私はつかつかと文芸部室に近づくとドアをノックした。

「はぁい」

 男子の声が聞こえる。私は返す。

「生徒会長の恋本ですけど」

 途端に室内の雰囲気が騒がしくなる。抜き打ちの部室検査だとでも思われたのだろう。どたばたと何かを隠す気配があった後、ドアが開かれた。細渕の眼鏡をかけた出っ歯の気持ち悪い男子が顔を覗かせた。

「どうかしましたか?」

 私は返した。

「昔の部長が残した日記っていうのに用があってきたんだけど」

「日記……?」

 と考えた男子はすぐに思い至った顔をして、「北森先輩の日記ですかね」とつぶやいた。名前までは知らなかった私は「ぬばたま様の対処法が書かれてるやつ」と素直に告げた。

 すると男子は困った顔をした。

「あるにはありますけど……」

「じゃあ見せて」

「ちょっとしんどいと思いますよ」

 と、男子がつぶやいたところで彼の背後から声が聞こえた。


 ――恋本がぬばたま様の対処法を? 

 ――マジ? 

 ――さぁて、今更通じるか……。


「どういうこと?」

 私が部室の中に声を飛ばすと中にいた部員たちはみんな知らん顔をして、私を無視した。だが一人の部員がすいっと指を持ち上げて部室の奥を示した。そこには縦長のロッカーがあった。部員が続けた。

「二段目。左の奥」

 どうやらそこに日記があるらしかった。

「読んだら戻せよ。持ち出し禁止」

「分かった」

「あっ、そうだ。それと……」

 別の部員がにやっと気持ち悪く笑った。

「今度の文化祭で発表する部誌、検閲甘くしてくれよ」

「どういう意味?」

「えっ、そりゃ、ほら」

 部員同士顔を見合わせる。

「サニーちゃんの魅力を伝えたくて」

「サニーちゃんって誰?」

「そりゃさ。モリコーの主人公で……」

 何だアニメか。アニメのキャラクターを部誌で出したいと。まぁ、そんなのは著作権の範囲で好きにすればいい。

「許可します」

 私がつぶやくと部員たちはまた顔を見合わせた。それからにっこり笑ってロッカーを示した。

「どうぞ心行くまで」

 言われるまでもなく私はロッカーに近づく。ドアに手をかけ、ゆっくりと開く。

 雑多なロッカーだった。部誌と思しき冊子が大量にあって、中段には女の子のフィギュア。これ持込禁止でしょ、とは思ったが目を瞑ることにした。今は日記だ、日記を読まなければ。

 二段目。左奥。

 辞書みたいな本の横に一冊のノートを見つけた。これか。そう思って手に取ると「北森記」と書かれていた。北森さんの日記だから北森記。ダサいネーミング。

 ぱらぱらとページをめくる。ぬばたま様。ぬばたま様に関する記載は……。

 目を光らせながら探していると、あった。ページの上にでかでかと「ぬばたま様」とある。私は目を通した。そこにはこんなことが書かれていた。

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