第18話
「ぬばたま様に関することを調べる方法は二通り……」
私は野田山先生の言葉をオウム返しにした。先生は頷いた。
「ひとつは『今降りかかっているこの災いはぬばたま様によるものか?』を調べるというものだ。鏡を使う。黄昏時に『自分が醜く見える格好で』鏡を覗く。鏡が割れると『注意されたし』。ぬばたま様を含め様々な怪異の影響を受けているおそれがある」
私は黙って野田山先生の話を聞いていた。是枝先生はため息をついたが、木山先生は静かだった。
「鏡に変化がなければ『今降りかかっている災いはぬばたま様によるものではなく、その他怪異による影響は一切受けていない』。安全だということだな」
「また非科学的な……」
と、つぶやいた是枝先生に構わず、野田山先生は続けた。
「そして鏡の中の自分が黒く染まると……」
「染まると?」私も是枝先生に構わず話を続けさせた。
「『お前がぬばたま様だ』」
いきなり発せられた断定形に、私は少しびっくりした。だが質問を続けた。
「それとは別の、もうひとつの調べ方、というのは……?」
「ぬばたま様に所縁のある人間と二人並んで鏡の前に立つ。鏡の中の像が黒く染まった方が……」
「ぬばたま様である」
木山先生が突然口を開いたので私はびっくりしてそちらを見た。先生はにかっと笑った。
「私もここに赴任してすぐその話を聞きましたよ。面白いですよね。『この学校のある土地ピンポイントにしかない』怪異伝説」
「ぬばたま様には面白い話がまだあってな」
しらけた顔をしていたと思っていた是枝先生が、急に口を挟んできた。
「明治の頃、この土地に住んでいた華族がぬばたま様に憑りつかれたんだそうだが……」
私がじっと先生の顔を見ていると、しかし先生はにっと笑った。
「何もなかったそうだ」
「何も……?」
私が訊くと是枝先生は笑いながら頷いた。
「この御滝中学校がある土地には明治時代、平田子爵という人物が住んでいたことがあるそうだが、この子爵の娘がある日屋敷にいるかたわの女中にぬばたま様の呪いをかけられた。女中が死の間際に残した遺書に『お嬢様をぬばたま様に』と書かれたものが見つかったのと、発見された女中の遺体が印を結んでいたのでこの点は間違いないらしい」
「『かたわ』って何ですか?」
「身体障害者のことだな。差別用語だから使わないように」
先生が使ったくせに。と思いつつも、私が黙って話を聞いていると、是枝先生は目を細めて続けた。
「お嬢様とやらはしばらく『部屋の中なのに誰かの視線を感じる』だの『屋敷の中で黒い人影を見た』だの訴えていたらしいがしばらくすると何も言わなくなったそうだ」
「はぁ」
オチも何もない話に私は拍子抜けした気分になった。と、野田山先生が口を挟んできた。
「平田子爵のご令嬢様。もしかすると『足ずりお嬢』ですかな」
是枝先生がまたも眉をひそめた。
「俗称でしょう。屋敷の周りに住む放浪者たちがそう呼んでいたのだとか」
「はぁ」
何だか歴史の話みたいになってきたのでこの辺にしよう。私は暇を告げる。
「とりあえず、昼川さんの件、ご報告まで」
*
とはいえ、昼川さんが割れた鏡を持っていたというのは、考えようによっては大きな意味を持っている気がした。
昼川さんはぬばたま様に関して調べたのだ。鏡を使って。スカートにジャージ。この上なく醜いとまではいかなくても、まぁあまり品のいい恰好ではないだろう。当人にその自覚があったのかはさておき、制服という「正装」を台無しにする恰好であることは間違いない。その姿をした昼川さんが黄昏時、鏡を覗いて調べた「この災いがぬばたま様に起因するかどうか」。そして分かった。鏡は割れた。つまり「注意しろ」。災いの原因がぬばたま様である可能性がある。
手鏡による検査。
私は家に帰ると、洗面台にある鏡で私自身のことを見た。ぬばたま様。鏡での検査。私も何か、調べてみた方がいいのだろうか。
家にある手鏡を思い浮かべる。母が使っているものがひとつある。何でも母が学生の頃から使っているもので、かなり古いものらしい。あれを使って調べるか……調べてみるか。
……いや。
思い直す。もし私に降りかかっている災いがぬばたま様の影響を受けてのものだったとしたら、鏡は割れてしまう可能性がある。母が大切にしている鏡を割ってしまったとあれば面倒だ。母は粘着質だ。ねちねちねちねち、いつまでも文句を言う。
そして今私が苛まれているトラブルは、検査をするまでもなくぬばたま様の影響だろう。少なくとも否定はできない。だって実際、ぬばたま様が気になって調べていたら不気味な目に遭っているわけだし。しかもその不気味な目、というのも、別段直接的な被害があったわけではなく、ただ周りの生徒が男に襲われたり階段で転んで怪我をしたり、いわば「周りでちょっとしたトラブルが起こっている」程度の話で、ごちゃごちゃ言うことじゃない。ぬばたま様の影響ではあるのかもしれないが――そしてそれ故に検査をすると母の手鏡は無事じゃない可能性があるのだが――実際問題特別ひどい目に遭っているとも言い切れないのだ。
まぁ、そもそもが非科学的な話だし。
ご飯を食べてお風呂に入って、ちょっとだけ勉強をしてスマートフォンを弄ってベッドに入って。
うとうとし始めるころには、ぬばたま様の話の細かいところは忘れてしまった。ただ漠然と、鏡を使えば調べられることだけ覚えていた。
けれどもやはり、本心では怖がっていたのだろうか。
その日の夜、夢を見た。夢の中で私は学校の廊下の真ん中にいて、廊下の向こう側が眩しく光っていた――多分、渡り廊下だ――。そしてその光の向こうに誰かがいるのだが、逆光で影が差しているような状況だったので顔がよく見えなかった。ただ、その影が、言うのだ。
――お前がやった。お前がやった。お前がやった。お前がやった――
*
「先生」
西本ちゃんや薬井くん、その他周りの生徒に訊くのよりも、オカルト好きの先生に訊いた方が効率的だと気づいた私は、ある日の放課後、保健体育のノートを提出する際に野田山先生に話しかけた。先生は「ん」と顔を上げると、一言告げた。
「あれ? 三組のノートは?」
「あっ」
保健体育係の水堂さんが死んでから、三組のノートは私が代わりに集めることになっていたのだ。
「持ってきます」
「ん」
そういうわけで、一旦三組の教室に行って教卓の上に積まれているノートを取り、また職員室に戻ってきたところで、野田山先生が訊いてきた。
「で、何か質問でもあったのか?」
そう言われて私は気を取り直した。先生にぬばたま様の話を聴きに来たのだ。
「ぬばたま様について聴きたいんですけど……」
すると野田山先生がぱっと顔を明るくした。
「恋本も興味が湧いてきたか」
「ええ、この学校に関すること、知っていてもいいかなって」
適当なことを言う。
「この間ぬばたま様を調べる方法に鏡があるって言ってたじゃないですかー」
野田山先生はうん、と頷く。
「この辺の土地に『ぬばたまかがみ』っていうのがあるって聞いたんですよね。それも何か関係してるんですか?」
「ああ、『ぬばたまかがみ』について知ってるのか」
野田山先生はキャスター付きの椅子を回転させると私の方に向き直った。
「『ぬばたまかがみ』は通称『罪を映す鏡』だ。何か罪を犯している人間がその鏡を覗くと黒く映る。鏡が罪人を嫌っているんだ」
「罪……」
私がつぶやくと、野田山先生は頭をぼりぼり掻きながら続けた。
「何でも『鬼のような』人を嫌う鏡らしいな。『鬼のよう』の捉え方には諸説あるらしいが、共通する点として『人を虐待した』的なニュアンスがあるらしい」
「人を虐待した……」
私が繰り返していると、野田山先生は頷きながら続けた。
「『人の肉を食った』だの、『そのために人を殺した』だの、『人の尊厳を踏みにじった』だの、な。で、この『ぬばたまかがみ』が『ぬばたま様』とどう関係するかと言うと」
野田山先生が身を乗り出してきた。
「『ぬばたまかがみ』は『ぬばたま様』も映すらしい。で、だ。さっき言ったな? 『罪を犯した人間は黒く映る』。『ぬばたま様』の『ぬばたま』の意味は……」
「黒」
私がつぶやくと、野田山先生は笑って「正解」と告げた。
「罪を犯した人がぬばたま様なのかもな」
先生はそう締め括った後に、「ノートありがとうな」と机の上のノートを叩いた。私は一礼すると職員室を出た。それからあれこれ、考えた。
罪を犯した人がぬばたま様。
罪を犯した……水堂さんをいじめた……そして死に追いやった……あの三人が、ぬばたま様なら。
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