第12話
それから薬井くんは意地悪な笑顔を浮かべるだけのマシーンになってしまった。
ぬばたま様は罰の神なのか、罰の神だとして、それはどのような形で災いをもたらすのか。
しつこく訊いたが、薬井くんはずっと「その内分かる」としか言わなかった。そしてそれからだった。
薬井くんの私を見る目が、明らかに変わったのは……。
まるで泥だらけのかわいそうな生き物を見るかのような目に変わったのは。
*
アプローチを変えるしかない。
私は少しの間時を待った。合阪さんが退院して学校にやってくるそのタイミングを。彼女の面会謝絶が解けるその瞬間を。
果たして西本ちゃんとの病院訪問から二週間後、合阪さんは学校にやってきた。私は彼女に近づいてみることにした。休み時間。私は三組の教室に赴いた。
教室の端に、彼女は座っていた。目はずっと伏せられたまま。休み時間の喧騒をただただやり過ごしているかのように見える。
いきなり話しかけると、この間みたいに取り乱されるかな。
私は教室の真ん中で雑談している吹奏楽部の戸中さんに声をかけると、合阪さんに取り次いでくれないか、頼んでみた。戸中さんはちょっと怪訝そうな顔をしながら、「合阪さん、生徒会長が」と繋いでくれた。合阪さんは一瞬肩を震わせたが、しかし私の何かを……いや、ぼんやりと私の姿を見ると、小さく頷いた。近づいても大丈夫そうだ、と私は合阪さんの傍に寄った。
「ごめんね、急に」
合阪さんは首を横に振った。私は本題に入った。
「訊きたいことが……」
「……ぬばたま様でしょ」
合阪さんの無機質な目に、私は少し気圧されながら答えた。
「そうだけど……」
「復讐の神様。罰の神様」
「それは、知ってるの」
「じゃあ、何が知りたいの?」
「ぬばたま様って何者なの? もしかしてぬばたま様に何かされたの?」
合阪さんは黙っていた。しかし私は、それを肯定だと受け止めた。
「何か、きっかけはあったの?」
この問いは合阪さんの中の何かに触れたらしかった。彼女は声を震わせながら答えた。
「きっかけは……」
合阪さん。目を合わせてくれない。
「黒い女に付きまとわれるようになったことなの」
「黒い女?」
私が訊ねると合阪さんは大きく頷いた。
「黒い女の噂。聞かない?」
そういえば聞いたことはあった。空き教室で、放課後のトイレで、真っ黒な女の子の影を見たことがある。そんな噂。そんな話。髪でブラジャーが作れるくらい髪が長い子だって言ってたのは、あの薬井くんだっけ。
「あれにまとわりつかれたの。行く先々で姿を現したの」
「黒い女につきまとわれる……」
と、合阪さんはようやく、ちらりと目を上げて私の存在を視野に入れた。
「水堂だよ。水堂が呪ったんだ」
「水堂ってあの……」
と、言いよどむ。自殺した、という言葉は続きそうで続かなかった。私はつばを飲んだ。
「気を付けて」
合阪さんがハッキリと、ほとんど叫ぶように、告げた。
「ちゃんと考えてみて」
「考えるって何を……」
と、訊ねた頃になってチャイムが鳴った。次は移動教室だ。仕方ない。教室に帰らなければ。
「また、話聞かせて」
私が頼み込むと、合阪さんは肯定とも否定とも取れない目で私の腰の辺りを見つめた。
私は後ろ髪を引かれる思いで合阪さんの傍を離れた。振り返ると、彼女はさっきとは打って変わって、私のことをしっかりと、ハッキリと、見据えていた。
*
水堂さんについて調べればいいのだろうか。
私は少し、慎重になった。何か知ってはいけないものがある気がした。覗けば覗くほどこちらを侵食してくる何かがある気がした。
だが、好奇心には勝てなかった。ある日の帰宅後、私はスマートフォンを使って調べた。水堂さんの、噂について。学校裏サイトを使って。
――正直あいつは何考えてるか分からない。
これはとある、水堂さんのクラスメイトと思しきアカウントの書き込みだった。ミカミカくん。察するに、水堂さんの隣の席だったみたいだ。
――落とした消しゴム拾ってもお礼すら言わねぇ。
――まじ? 人として終わってるじゃん。
――正直そういうの凹むよな。
――女子から嫌われてるんだっけ?
どうもこのスレッドに続いているのは同じクラスの男子か、ミカミカくんと親しいうちの学校の生徒らしい。
おしゃべりは続く。
――何で女子に嫌われてるん?
――花沢と仲良くしたらしい。
――花沢って六組のイケメンの?
――らしい。家が近くて幼馴染みたいだ。
――あー、嫉妬ってやつ?
――ぽいな。
花沢くん。確かに人気者。スラっと背が高くて頭がいい。
――水の話してんの?
いきなりスレッドに入り込んできたのは、どうもうちの学校の女子生徒らしかった。男子生徒二人が――ポポくんとマダヲくんが応じる。
――水ってw
――あいつ水って呼ばれてんのw
――影薄いじゃん。あいつといるとキャラが薄まる。
――あんまりにも捻りのないネーミングで笑うw
スレッドの日付を見るに水堂さんが死ぬ数週間前。まだこの人たちはあんな悲劇が待っていることを知らない。
――水堂って花沢に近づいたからいじめられるようになったってマジ?
ミカミカくんが訊ねる。すると女子生徒――はなぴーが答えた。
――それもあった。三組の高山さんや桐野さんが水を嫌ってたのはそれが理由。でもクラスから嫌われたのは別の理由。
――別の理由って?
――何か内申点に響くことだったらしいよ。私同じクラスじゃないから知らない。
――知らねーくせに話してたのかよw
――もっとまともな情報持ってこい。
――ねー、それよりさ。ミカミカくんって三上くんでしょ? 今度うちら、勉強会開くんだけど来ない?
――ここでナンパかよ。
――逆ナン!
――そんなんじゃないから。三上くん数学学年一番じゃん?
――マジ?
――この間の鬼ムズいテスト何点だったの?
――九十四点。
――はー? 学年一人の九十点台ってお前?
それから話はテストの話へとずれていった。私はしばらく画面をスクロールさせると、水堂さんが自殺したその日の書き込みを見た。
――学校やばくね?
――自殺ってやべーよな。
――いや、それもだけど。
――他に何があんだよ。
――テスト前にこれはまずくね? 授業数減るじゃん。
――それは別に良くね?
――よくねーよ。俺授業で覚えるタイプなんだよ。
あんなことがあった後も自分のことしか考えてないのか。私は少し呆れながらも、続くスレッドに何か面白い話がないか調べて回った。
そうしてそれは、そんな調査の途中に目に留まった。
――水堂の死体撮影した奴いるらしいんだけどさ。
――えっ、何それ見たい!
――マジ? グロ苦手なんだけど。
――それはある意味心配ないと思う。
――どゆこと?
死体の写真。すごい話だ。
私は俄然興味を持った。いや、それは決してぬばたま様に繋がる話でないことは分かっていた。だが、好奇心が、興味が、私の本来の目的を差し置いてでもそれを見たいと告げていた。
と、続く画面には四角く切り取られた画像が出てきた。コンクリートの地面、古ぼけた駐輪場。校門入ってすぐの駐車場エリアだとすぐに分かった。
えっ、マジ? 本当に水堂の死体が……? なんて恐怖に少し飲まれたが、見たい気持ちの方が強かった。怖いもの見たさ……最初のぬばたま様への興味はどこへやら、私は水堂の死体を見るべく画面をスクロールさせた。
そうして目に入ったのは、おそらく死体があると思しき場所が黒く潰れた、奇妙な画像だった。
――おい、修正済みかよ。
――無修正よこせ。
――これ無修正なんだよ。
画像の提出主は、それから数分のブランクを開けてから再び書き込んでいた。
――黒く潰れてるんだよ。いわゆる、心霊写真ってやつ? 撮った奴も怖がっててさ。
――え、マジ? 心霊写真? 本物初めて見た。
――俺も。
私は再び、掲示板を支配するあの画像を見た。
先生らしき人、複数の生徒、警察官かな? 青い制服の人。
そして、中央にあったのは、それら全てを飲み込むブラックホールのような、黒い影だった。
先生の頭の一部が闇に飲まれている。生徒の頭が丸々飲まれて首無しみたいになっている。警察官の広げる手が闇に飲まれている。とにかく闇が何もかも吸い込んでいる。ねじれて、すっぽり、何もかも、すっかり。
そうして私の頭には、あの言葉が蘇った。
新聞部で新里さんに教えてもらった言葉だ。
「真っ黒……ぬばたま……」
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