第11話

 もっとぬばたま様について調べよう。

 そう思った。この気持ち悪いまま、しかもこんなオカルト情報、心に引っ掛けたまま暮らすなんて無理だ。もやもやした霧みたいな存在だからこそ、終わりをきっちり明確にしなければ。そう思って、私は次の日から行動に出た。

 知り合いの女の子、時には馬鹿話をしている男子、とにかく何か知っていそうな人、みんなに話を聞いた。そもそも、ぬばたま様の噂をしていたのは私の周りの人たちなのだ。当人たちに直接訊くのが早いし楽だ。

 しかし、ここでも障壁があった。


 ――ぬばたま様? そんなの信じてるの?

 ――何だっけ、ぬばたま様って。聞いたことはあるけどな。

 ――ああ、合阪さんの件でしょ? 何でぬばたま様が絡んでるの?


「そのぬばたま様について教えてよ!」

 私が強く出ると、話をしてくれていた生徒たちはすっと身を引くのだ。


 ――いや、巻き込まれても嫌だし。

 ――ぬばたま様を知りたいなんておかしいよ。やめた方がいいよ。

 ――こいつやべーんじゃね? あっち行こうぜ……。


 結局誰もぬばたま様が何なのか教えてくれないのだ。唯一、クラスで仲のいい三隅ちゃんだけが私の話を真摯に聞いてくれた。そして彼女は、こんな情報をくれた。

「新聞部の羽山くんがそのことについて記事にしてたよ」

「羽山って部長の方?」

「ううん、平部員だったと思う」

 多分新里さんと組んでたあの男子。あの人羽山くんっていうのか。

「実はそれについては知ってるんだ。もっと直接的に、ぬばたま様について知らない?」

「うーん」

 三隅ちゃんは心底困ったような顔をした。私はこの時、初めて自分の転校生という属性を嫌悪した。中学一年の秋にやってきたようなよそものに、地元の伝説なんて理解のしようがないのかもしれない。

「薬井くん」

 しかし三隅ちゃんはやっとのことでその言葉を紡いでくれた。そして彼女の口から出たその名に、私はちょっとびっくりした。

「薬井って、生徒会の?」

 そう、と三隅ちゃんは頷く。

「薬井くん、一年生の頃ある女子グループに嫌われててさ。いじめとまではいかなかったけど、ちょっとこう、あって……」

 知らなかった。

 そして三隅ちゃんは、くるくるとおさげの先を弄りながらこう続けた。

「ぬばたま様に……」

「……ぬばたま様に?」

「お願いしようとしたんだって」

「それってどういうこと?」

 すると今度は三隅ちゃんが、ハッキリと拒絶の表情を顔に浮かべた。まずい。そう思った時にはもう、遅かった。

「本人に聞いて。ごめん」

 三隅ちゃんが私の前からいなくなってしまった。残された私は、ポカンとして彼女の背中と、揺れる髪の毛を見ているしかなかった。



 こうなったらもう薬井くんに訊くしかない。

 今までの感じ、ぬばたま様について触れると多くの人は嫌がるみたいだけど、生徒会として仲良くしていて、なおかつ実際にぬばたま様に頼ろうとしていた薬井くんなら……。そう思って、私は生徒会室で薬井くんと二人きりになれるタイミングを見計らった。そしてそれは、薬井くんの校内巡回当番と私の校内清掃当番が重なった日に訪れた。

「ねぇ、薬井くん」

 デスクの中を整理しながら何気ない風を装って私が話しかけると、彼は生徒会の腕章を外しながら振り向いた。

「ぬばたま様って、知ってる?」

 すると彼はあっけらかんと答えた。

「知ってるも何も、契約しようとしたことあるよ」

 胸の中にようやく空気が流れ込んできたような気持ちになった。

「ぬっ、ぬばたま様って何なの? どんなものなの? 出てくるとどうなるの? 契約するとどうなるの?」

 すると薬井くんの顔が明らかに、だがどんな色なのかは想像がつかない、何かに染まった。腕章を外した薬井くんは私の方に向き直った。

「どうなると思う?」

 意地悪な返しに私はむっとした。

「それが分からないから訊いてる!」

「お前ぬばたま様に何したんだよ。契約?」

「違う」

「手を変な形にしなかったか?」

 印のことを言っているのだろう。

「印は結んでない」

「何だ、印については知ってるのか」

 するといきなり、薬井くんは何か合点がいった、という顔をした。それからじろりと私を見つめた。

「もしかして……?」

 多分、訊いてきている。だが私には質問の意味が分からない。

「もしかして、何よ」

 そっか、と薬井くんはため息をついた。それから続けた。

「ぬばたま様は罰の神だ」

 罰の神。それは、この間学校裏掲示板でも書かれていた。

「復讐を誓ったが復讐を遂げられなかった者のために、その者に代わって、罰を与え、復讐を遂げる神様のことだ。ぬばたま様は、かなりしつこい。復讐の対象が罪を罪と認めない限り、ずっと、いや、自分の罪を否定すればするほど激しく、執拗に、復讐の相手を追い回す。苦しめる。呪い続ける」

「ぬばたま様って神様なの?」

「いいや、ぬばたま様はぬばたま様だ」

「でもさっき神様って……」

「強いて言うなら神様っていう表現が近いだけだ。ぬばたま様はぬばたま様だ」

 意味が分からない。神様っぽいけど神様じゃない何か。ぬばたま様はぬばたま様。頭がパンクしそうだ。いや、ミキサーにかけられているみたいだ。訳が分からない。何なの、もう! 

「俺さ、今好奇心持ってるんだよ。それに応えてくれたら、俺が知りたいことを教えてくれたら、俺も教える」

 薬井くんがいきなりそんなことを提案してきた。私は飛びついた。

「何?」

「お前、ぬばたま様を見たのか?」

「見てない」

 見てたらこんな質問しない。

 しかし薬井くんはそれで納得がいったのか、満足そうな顔をすると、私のことをほったらかしにするかのように振り向いて、手にしていた腕章をロッカーの中にしまった。そのまま私に背を向けて、ため息をついた。私はその背中に訊ねた。

「私の番。ぬばたま様って何なの? いや、復讐の神様っぽいものってことはもう分かったんだけど、ぬばたま様が現れるとどうなるの? 誰かが死ぬみたいな話は聞いたけど……」

「順序が逆だ。誰かが死ぬとぬばたま様が出る……可能性がある」

 そういえばそんなことを新聞部の羽山だっけ? も言っていた。私は先を促す。

「誰かが死ぬとぬばたま様が現れるってどういうこと?」

「……なぁ、冷静に考えてみろよ。ぬばたま様は罰の神様、復讐の神様。そいつが人の死後に現れるんだぞ。意味、分かるだろ」

 少しの間、私は考える。それから辿り着いた思考について、薬井くんに訊ねる。

「死んじゃった人の代わりに復讐をするってこと?」

 薬井くんは黙っていた。そしてため息をつくと、こうつぶやいた。

「まぁ、そう捉えることはできるな」

「違う考え方があるってこと?」

「いや、大きく見れば恋本の解釈で間違いない。虎は犬か猫かで言えば猫みたいなな。そんな感じ」

 やっぱりまだ言ってることが理解できない。

 しかし理解できないなら理解できないなりに、分かったことがある。私はそれについて訊ねる。

「合阪さんの件もぬばたま様だ、って噂を聞いた」

 薬井くんが振り向く。

「なるほど?」

 そうして見えた薬井くんの目は、残酷なほど輝いていた。それは今まで彼が見せたことのない顔だった。私の胸は恐怖に震えた。

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