第10話

 西本ちゃん、薬井くんと、奇妙なことが続いたからだろうか。私も何となく、学校の中の不穏な空気に対して感度が高くなった。それは、もちろん、本来なら「いじめ撲滅」を掲げている生徒会長が張るべきアンテナだったのかもしれないが、肉体的、精神的虐待に通じない、妙で、重たくて、不快な、湿った何かに繋がる糸のような感覚だった。言語化が難しいのだけれど、心の奥にずっと汚い澱が溜まっているような気分だ。

 ある日の、学校の帰り。だんだん闇の底に飲まれ始めた通学路を歩いて、私は家に帰っていた。この日は生徒会の活動、具体的には校内の清掃活動で帰りが遅くなっていて、部活帰りには少し早く、帰宅部が帰る時間よりは少し遅い、絶妙な時間帯に帰路についていた。

 私には、妙な癖がある。

 一人になると、反省会を始めるのだ。

 その日の振る舞いについて。

 その日の行いについて。

 ぶつぶつ、つぶやく。

 いつだったか、お母さんにこの癖のことを話したら「誰でもそんなもんよ」と返してきたけど、私には誰かが一人で反省会をしているところを確認する術がないわけで、お母さんが本当にそう思って言ったのか、それとも単に慰めのためにそう言ったのか、分からなかった。ただ漠然と「一人でぶつぶつつぶやきながら反省会をするのはちょっと頭がおかしい人がすることだ」という理解だけはあって、私の人には見せられない一面というか、負の側面だった。

 この日の帰りも、それをしているはずだった。

 クラスメイトの瀬谷くんとのやりとりを思い出した。社会の歴史問題について訊かれた。うまく答えられていただろうか。

 前の席の宇津木さんに掃除の手伝いをしてもらった。頼み方はあれで合っていただろうか。

 数学の尾田先生に質問をした。点Pが動く系の問題は苦手なんだ。

「ぬ……ぬ……」

 おかしいことに気づいたのは、家と学校の途中にある横断歩道の前に来た時だった。考えていることと口がつぶやいていることとが噛み合っていない気がしたのだ。あれ、おかしいな。私さっきまで点Pがどうこう……。

 そして、自分が実際に口でつぶやいていたことを思い出し、少し、ゾッとした。

 私はこうつぶやいていた……ような、気がする。

「ぬばたま……ぬばたま様……」



 ここまで来ると頭がどうこうしてきたというレベルじゃない。

 家に帰り、夕飯まで少し時間があることを確認した私は、自分の部屋に入ると机の上にあったスマートフォンを手に取った。画面を何度か突いてロックを解除し、ブラウザを立ち上げると検索欄にこう打った。

〈ぬばたま様〉

 検索。

 きっとそう、何か。

 民俗学? みたいな学問のサイトや、怪しげなオカルトサイト、そんなに行きつくと、そう思っていた。

 だが検索結果一覧に出てきたのは、たった一件だけだった。

 それも、学校裏掲示板。

 私は口の中で小さく舌を動かした。学校裏掲示板。学校の負の側面、悪口、不正、いじめ、そういったことが吐き出されているネット上の非公式学校サイト。まさかこんなタイミングでこんなところに行きつくとは。

 覗きたい……でも、覗きたくない……。

 そんな葛藤にしばし苦しむ。学校の裏側、それもあの御滝中学校の裏側なんて見る価値ないのだ。誰が誰を嫌っているだとか、誰が誰を好きで気持ち悪いだとか、そんな話どうでもいいのだ。下らない。構う価値がない。意味がない。無駄無駄無駄。でも、今は……。

 ぬばたま様に繋がる情報が、これしかない。

 私は一瞬、スマートフォンを強く握った後、意を決して指で突き、掲示板内に入った。

 画面が一瞬暗くなった。


 ――御滝中学校謎の都市伝説多すぎな件。

 ――まぁ、曰く付きの土地だから仕方ないっちゃ仕方ない。

 ――曰くって何? 何て読むの?

 ――いわく。

 ――何それ。

 ――ググれ。

 ――は? ムカつく。


 下らないケンカ。「曰く」くらい読めろよ。古文の授業でやっただろ。


 ――その曰くってさー、昔処刑場があった的なやつ? 

 ――いや、処刑場じゃない。でもまぁ、似たようなもんだな。

 ――何があったの。

 ――具体的に施設があったとかじゃないんだが、昔この地域で大規模な飢饉が起きたらしい。


 私はこの最後の発言者のIDを見た。「くぉはら」。変な名前。

 くぉはらの発言は続く。


 ――古い文献に載るくらい大規模な飢饉で、この辺の歴史を研究する学者の中でも割と有名な事件らしい。この頃この地域では人肉食の文化ができて、一説じゃ毎月一人、子供や女を殺して食ってたなんて話もあるらしい。

 ――マジかよ。お前詳しいな。

 ――こういうの調べるの好きだからな。


 それからくぉはらの歴史知識披露が続いた。だが聞き手の関心は学校の怪談の方にあるらしく、次第に学校近辺の怪異の話になっていった。やがて――IDタカノミコトさんがこう訊ねた。


 ――くぉはらイチオシの怖い話ってないの? 


 投稿時間を見ると、その質問から少し、間があったようだ。二分ほどの空白を置いて、くぉはらはこう答えている。


 ――ぬばたま様。

 ――ぬばたま様? 

 ――そう、ぬばたま様。


 来た。私は画面をスクロールさせる。


 ――御滝町、特に御滝中学校がある御滝四丁目の丘に伝わる話だ。

 ――すごいピンポイントだな。御滝四丁目の丘ってまさに御滝中学校があるど真ん中じゃね? 

 ――そうなんだよ。


 投稿時間を見ると、また少しの……二分程度の、間。

 くぉはらが続ける。


 ――ぬばたま様っていうのは、御滝中学校のある土地ピンポイントに伝わる怪談だ。

 ――どんな話なの? 

 ――江戸時代初期。御滝町のある場所にあった実多木みたき村の、村長の家に仕えていた男性が残した手記がある。その男性は元々由緒ある家柄の人間だったらしいんだが、経済的に困窮したことで知人の伝手を頼って実多木村村長の家に非公式で雇われることになったらしい。この辺の情報だけ妙にしっかりしてるから、信憑性はあると思う。で、その手記によれば……。

 ――なんか難しいな。

 ――手短に話すと、その男性が村長の屋敷で働いていた時にぬばたま様が出たらしい。

 ――ぬばたま様が出るとどうなるの? 

 ――記録によれば、村長の奥さんが頬をひきつらせたらしい。

 ――頬をひきつらせた? 

 ――うん。俺もその文献を直接読んだわけじゃないから、よく分からないんだけどさ。郷土史を研究していた御滝高校の国語教師、間宮まみや義三よしぞうって人が訳した文書によれば、「ぬばたま様が出たその日、奥様は右の頬をひきつらせた。それが全てだった」ってあるんだ。

 ――頬をひきつらせた。それが全て。

 ――後、この文書を残した屋敷の男性は、手記の最後にこう残している。曰く、「ぬばたま様は罰の神様だ」。

 ――罰の神様。

 ――死に際に特殊な印を結んでその名を唱えると契約できるらしい。


 特殊な印。

 私は保健体育の野田山先生の話を思い出す。

 親指を中指と薬指の間に突き刺すような印。いやらしいハンドサインにも見えるそれが、ぬばたま様と契約する「印」……。


 ――契約するとどうなるんだよ。


 スレッドは続く。


 ――詳しくは書かれていない。ただ、これはさっきの男性の手記とは別の文書になるんだが、郷土史を調べた間宮義三さんはこのぬばたま様が気になって独自に調べたみたいなんだ。間宮さんの手記にこんなのがあった。これは俺が図書館で自分の目で確かめた。


 またしても一瞬の、間。

 そして続く。


 ――ぬばたま様を一言で表すと「お前っていいよな」らしい。

 ――お前っていいよな? 

 ――うん。間宮さんが調べた内容を要約すると、ぬばたま様っていうのは「羨ましい」っていう気持ちから生まれた神様なんじゃないかってことになる。

 ――羨ましい。それが罰とどう繋がるんだ? 

 ――間宮さんの手記でもその辺はぼやかされていたっていうか。俺にもよく分からなかった。

 ――何だよそれ……。


 と、ここまで来て私は驚いた。続くスレッドの日時が直近二カ月のものに変わったからだ。そしてそこにはこうあった。私の背筋を凍らせるのには十分な威力のある内容だった。

 くぉはらさんでも、タカノミコトさんでもない、全く新しい参入者、ぬぬぬぬさんが、こう書き残していた。


 ――最近御滝中で死んだ女の子もぬばたま様の印を結んでいたらしいよ? 


 最近御滝中で死んだ子って、水堂さん? 

 時期的にそれで間違いはなさそうだった。水堂さんが、ぬばたま様と契約して死んだ。

 私は画面をスクロールさせて先を読み込ませようとした。しかしスレッドはそこまでで、ぬばたま様に関しても水堂さんに関してもそれ以上詳しい話は出てこなかった。

 ぬばたま様。

 罰の、神。

 死んだ水堂さん。

 そんなことを考えていると、リビングから母が「ご飯だよー」と声を飛ばしてきた。私は「はぁい」と応えるとスマートフォンを机に置いた。食事の時は、スマートフォンを弄ってはいけない決まりになっているのだ。

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