第7話
新聞部室がある文化部部室棟に行くと、太陽がちょうど大きな雲の後ろに隠れて辺り一帯がすっぽり影に包まれた。ドアをノックする。「はぁい」と返事があった。私は名乗った。
「生徒会の恋本です」
「げ、生徒会長?」
中から慌ただしい音がした。きっと何かを……隠している。
しかしまぁ、今日は別に部活の視察に来たわけじゃない。少しのことには目を瞑ろう。そう思ってドアが開くのを大人しく待っていると、中から男の子が二人、女の子が一人、顔を出した。男の子二人は私と同じ二年生。顔に見覚えがあったし上履きの色が私と同じだった。もう一人の女の子は上履きを見るに一年生。
「どうしたんすか」
男の子の一人が訊ねてくる。確か一組の人だったけど、名前は忘れた。でも新聞部の部長をやっていたはず。
「学校のことについて知りたいことがあるから来たんだけど……」
私の要求が意外だったのか、部長はきょとんとした。私は続けた。
「ぬばたま様の伝説って知ってる?」
すると部長さんは「ああ」と要領を得た顔になり、それから続けた。
「今度この子の受け持つ学校の歴史コラムで特集を組みますよ」
と、背後に佇む一年生の女子を示した。私は訊ねた。
「ちょうどよかった。何なの、ぬばたま様って」
すると女の子が「ここで話すの?」という顔をしながらも答えてくれた。
「『ぬばたま』とはヒオウギという植物の種のことで、別名『うばたま』や『むばたま』とも呼ばれます。このヒオウギの種はとにかく真っ黒い球形をしていて、和歌にも『ぬばたまの~』という枕詞で詠まれることが多いです」
「その『ぬばたまの~』の意味は?」
「『黒い~』です。『髪』なんかにかかります。『ぬばたまの髪』みたいな」
「じゃあ『ぬばたま様』って……」
「……とにかく黒い怪異なんでしょうね」
多分、吸い込まれるような。
そんな一言を付け足した彼女に、続けて訊いた。
「……それで?」
彼女もちょっとびっくりたように目を開いて返す。
「いえ、それ以上のことは」
するとすかさず部長の隣にいた男子がフォローを入れてきた。
「ぬばたま様って、この学校じゃかなり知られているけど実際にどんな怪異なのかはほとんど知られていないんだ。ただ分かっていることは三つ。ひとつは『ぬばたま様は放課後の学校に姿を現す』。主に夜中に出ることが多いらしい。だから厳密に言うと『夜、姿を現す』かな。ふたつめは『ぬばたま様のせいで誰かが傷つくことがある』。みっつめは『誰かが死ぬとぬばたま様が出る』……」
「え、じゃあぬばたま様って死神的な……」
「そう、思うだろう?」
男子生徒はにやっと笑った。
「でも考えてみてくれ。『ぬばたま様が現れると誰かが死ぬ』んじゃなくて、『誰かが死ぬとぬばたま様が現れる』なんだ。順序が逆なんだよ。僕はこのことに何か意味があるんじゃないかと思って、この新里さんと調べているんだが……」
どうも新里さんというのはこの後輩女子のことらしい。
「二人で真面目にやっているんだけどなかなか情報がなくてね。よかったら恋本さんもどこでそのぬばたま様を知ったのか教えてよ。僕らもそこからアプローチしてみるからさ」
「どこって、それは、その……」
言い淀む。そもそもがオカルト、非科学的なことだ。だから真面目に話すこと自体が馬鹿らしいのだが……しかしごく真面目な顔の新里さんに負ける。
「この間二年三組の合阪さんが御滝高校の男子に乱暴される事件あったじゃない?」
「あったね」部長くんが頷く。
「あの後、よく噂を聞くようになったの……で、生徒会長としては、校内の不安の声や心配事は無視できず」
最後の方は嘘だが、バレない嘘だしバレても痛くも痒くもないから平気だろう。
「どんな噂?」
そう訊かれると曖昧だが、しかし曖昧なりに、曖昧なまま話してみることにした。
「うーん、『合阪のあれって、ぬばたま様らしいじゃん?』って」
「合阪のあれってぬばたま様……」
新里さんがつぶやく。それから、小さく息を吸いこんで部室の中を振り返った。
「一九八〇年の新聞部長が残した取材ノートに似たような記載がありました……」
それから新里さんは部室の棚から一冊の、古びたノートを取り出してきた。どうもこれがかつての取材ノートらしい。変色したページを開く。そこにはこうあった。
――
「何なのぬばたま様って」
さっきから何も話が進んでいない。
「『あれ』はぬばたま様だとか、『あの一件』はぬばたま様だとか……」
「……これはね、記事にもできないくらい、ゴシップ程度の情報で、俺もあまり口にしたくないんだが」
私がぐずぐず文句を言うと、いきなり部長が声を沈めた。私は彼の方を向いた。
「ぬばたま様は、生まれ変わるらしい」
「生まれ変わる?」
またしても曖昧な……。
「何に?」
「分からない」
ちょっと、いい加減にしてよ。
しかし部長は続けた。
「だが行間を読むに、多分滅しても滅しても復活する、不死鳥のような怪異なのかもしれない」
「根本的な解決方法がないってこと?」
私はつぶやく。彼は頷いた。
「そうなのかもしれない」
駄目だ、要領を得ない。私自身で情報をまとめないと。
そう思って訊ねてみた。自分の目で確かめてみるために。
「この部室に残っている新聞で、ぬばたま様について記載のあるものがまとまっていたりしない?」
「まとまってます」
新里さんだった。
「取材に当たって片っ端から調べました。私のノートにまとめてあります。『ぬばたま様』の記載がある記事は全て切り抜きました」
私は眉をひそめた。
「歴史ある資料なんでしょ? 大丈夫なの、そんなことして」
「配布しきれなかった新聞の余りが部室内に大量にあるだけだからな。資料って程でもない。部創設時からの新聞が山みたいに置いてあるんだよ。一部くらい切り取りしたって予備がたくさんある」
「そう、なんだ」
それから私は本格的に新聞部室にお邪魔することになった。椅子を勧められお茶が出てくる。コンクリート打ちっぱなしの壁はひどく無機質で、ここで青春の一ページを作るのは何だかかわいそうだとさえ思ったが、しかしほどよく冷えていて部屋の空気は気持ちよかった。やがて新里さんが、一冊のかわいらしいノートを持ってきた。
「ここにまとめています。どれも要領を得ない情報ばかりで、正直何かの参考になるとは思えませんが……」
「見せて」
それから読み込んだノートにあった情報は、確かに新里さんの言う通り何か大きな意味のあるものではなかった。『ぬばたま様が出た』という記事ではぬばたま様が現れたせいで何人かの生徒に危害が及ぶ可能性があるだの――可能性、止まりかよ――『ぬばたま様の呪い』という記事ではぬばたま様の歴史についてまとめてあるだの――どうも御滝中学創設以前より地元に根付いた信仰らしかったが、具体的に何をどう信仰していたのかは分からず――、要するに、私が持っている以上の情報は得られなかった。
ただ一枚、気になる切り抜きがあった。それはまだ新聞が手書きで書かれていた頃のもので、そこには短く、こうあった。
――俺はぬばたま様になるのかもしれない。
「それ、多分当時の新聞部長が書いたものなんです」
背後から新里さんの息遣いが聞こえた。彼女は静かにこう続けた。
「その一文、記事っていうよりも何かの走り書きみたいで、不気味なんですよね。一応新聞原稿に書かれていたので切り取ったのですが、字も雑だし斜めになってるし、何だか不気味で……」
私は再びその一文を読んだ。
――俺はぬばたま様になるのかもしれない。
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