第6話
――知ってる?
――何を?
――この間バドミントン部の一木さんが見たんだって。
――黒い影の女の子、でしょ。
――優里も知ってるの?
――有名だよ。
――で、その黒い影の女の子って……。
――どんなに見つめても、顔も姿もよく見えないんだって。見えるのは黒い影だけ。
――あー、何だっけそれ。うちの学校に伝わる……。
――ぬばたま様。
水堂をいじめた主犯三人の不審な行動はそれからしばらく続いた。具体的には二週間くらい。三人揃って森で隠れて集まって、それから密談をして。全部聞けたわけではないが、聞ける時はなるべく耳を澄ませて、彼女たちの言動に気を配った。
あの三人がいじめられていないか気を配る意味で、私は三組の教室にアンテナを張ることにした。休憩時間、三組の友達に会いに行くついでに教室の中で飛び交う噂話に耳を澄ませるのだ。合阪、赤須、昼川の三人に関する情報、それもネガティブなものがあればすぐに対応するつもりだった。具体的には、三人に積極的に声をかけて孤立させない。そんなプランを練っていた。
だが。
――やっぱあれだよ。このところ噂に聞くのって。
――あれって何だよ。
――ぬ、ぬ……。
――ぬ?
――ぬばたま様。
ぬばたま様って何よ。
このところあちこちで耳にする。ぬばたま様が出た。ソフトボール部の、サッカー部の、バレー部の、吹奏楽部の、誰かが見つける。学校裏手の昇降口、グラウンドの女子トイレ、体育館倉庫の裏手、そして屋上に繋がる階段、誰もいない教室で、音楽室で、体育館二階の窓で、図書室の本棚の間、黒い、真っ黒い影の女の子が、じーっと、何をするでもなく……。
――ぬばたま様が出ると何が起こるの?
――よくないことらしいよ。
――えー、そのよくないことでテストとかなくならないかな。
――それっていいことじゃない?
――先生たちにとっては嫌なことでしょ。
そんな中、事態は急展開を見せた。
「えー、今日は皆さんに注意事項があります。全員よく聞くように」
ある日の朝、金曜日のホームルーム、担任の先生からクラス全体に告知があった。それは唐突で、嵐のような、警告だった。
「隣のクラスの合阪さんが、御滝高校の男子生徒に乱暴されるという事件が起こりました。問題の生徒はもう厳罰を科されたということですが、同様の事態が起こると本校としても困るので、生徒の皆さんは帰り道、なるべく誰かと一緒に帰るように、ということで……」
しかし先生がこの話をしている最中。それはそう、私の耳が一瞬でその言葉の方に引っ張られるくらい、急に、刺すように、聞こえてきた。
――ざまあみろ。
*
合阪さんは、その後PTSDというのになったと聞いた。年上の男性に乱暴されたことで男性みんなが怖くなってしまったのだそうだ。
襲った男子生徒たちが言うには、匿名掲示板に合阪さんの名前で淫らな内容の書き込みがあったらしく、一人でいく度胸がなかった彼らは、仲間内でつるんで、こっそり様子を見に行ったそうだ。そうして書き込み通りの場所と時間――御滝中学裏の森の近く、午後六時――に合阪さんがいることを確認すると、集団になったことで気が大きくなった彼らは、合阪さんに近づき乱暴を……という次第らしい。
その匿名掲示板は、合阪さんが昼間学校の授業をサボってスマートフォンで覗きに行っていたサイトと同一のものだったらしく、淫らな内容の書き込みも、合阪さんのスマートフォンを使っての書き込みであることが分かった。彼女は書き込みを否定したが、パスワード管理が緩かったこと、スマートフォンを机の中に入れたまま立ち去ることが多かったことなどが災いし「第三者がスマートフォンにアクセスした可能性があるのだろうが分からない」という結論に至った。結局、彼女の心には大きな傷だけが残った。
そしてここでも、聞くことになった。
――合阪のあれってぬばたま様らしいじゃん?
私はぬばたま様が気になり始めた。
*
いや、それは遅すぎる好奇心だったかもしれないが、合阪に罰を下したそのぬばたま様という怪異が、何やら触れてはならない神様のように思えてきたのだ。合阪たちはいじめによってその神様の逆鱗に触れてしまったがためにひどい目に遭った。不可思議で、心霊現象なんて迷信を頼りにした理論だったが、一応の筋は通るように思えた。なので私はぬばたま様について調べることにした。
学校の図書室を当たってもそれらしき情報はなかった。図書室郷土資料コーナーにまとめられている学校年鑑にも当たったが空振りで、私はいよいよ先生を頼ることにした。
保健体育の野田山。
オカルト好きの先生。いや、保健室の仁科先生でもよかったが、野田山の方が古くからこの学校にいるらしいので、彼が適任だと思った。放課後、私は彼の元を訪れた。
「ぬばたま様?」
彼はパソコンから目を離すと私の方を見た。
「何だ、恋本、興味が出たのか」
「最近みんなその話ばっかで」
「恋本、ぬばたま様知らないのか」
「教えてくださいよ」
そして彼の口から、やはり暗い話が出てきた。
「ぬばたま様は呪いが形になったものだ。死ぬ時、こうして印を結ぶ」
先生は親指の先を中指と薬指の間に差し込む手の形を見せてきた。ある意味で、いかがわしいハンドサインにも似たそれは、何だか妙な雰囲気を漂わせていた。
「印を結んだ後に一言『ぬばたま様』とだけ告げる。頭の中に呪いたい奴を思い浮かべて、そいつの不幸と、自分の転生とを祈って、息絶えるその瞬間まで、印を結んで呪い続ける。すると……」
「すると?」
「……ここから先は、よく分からない」
肩透かしを食らった。
「何ですかそれ」
「俺もこの間、文化祭の時に新聞部が展示していた過去の新聞を読んだ時に知ったんだよ。プチコラムみたいな感じだったから細かく書かれていなかった」
なぁんだ。と意気消沈する私を、野田山先生が笑った。
「気になるなら新聞部に行ってみるといい。御滝中学は歴史が長いから、古い学校新聞を読むだけで結構楽しい」
「……その新聞部って、いつ頃からあるんでしたっけ」
純粋な好奇心から訊ねる。野田山が答えた。
「四、五十年か前にボヤ騒ぎがあって生徒が避難したことがあったんだが、その頃の記事があった。その時既に御滝中学新聞は第二十回を記念していたらしい。年一ペースの刊行だとしたら五十年前の時点でもう創立二十年だな」
すごい。そんな昔から。
「そういや、恋本たちが入学してくる前の年の三年生たちが御滝中学に伝わるオカルトについて記事にしていたよ。それを読んでみるといい」
最近の記事。信憑性は高そう。
「はい。ありがとうございます」
礼を言って職員室を出た。
職員室前の廊下って何でいつも電気を消しているのだろう。暗い、洞窟みたいな廊下を歩きながら、ふと手元を見た。この間挟んだ人差し指の内出血は、黒く変わっていた。
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