第2話
「私、恋本芙蓉は、この学校からいじめをなくしたいと思っています! いじめは人権を脅かす犯罪の一種です。御滝中学校の生徒が安全に過ごすためにも、このいじめという犯罪を一掃し、生徒たちの安全で健やかな生活を約束したいと思います!」
スピーチ自体は上手くいったと思う。
生徒会長候補は、公約をまとめたポスターと、もう一枚だけ、その公約を行うためのポスターの掲載が許される。私はいじめの撲滅と、プラスチックごみの回収についての公約をまとめたポスターを一枚、それから、実際にいじめをなくすための施策をまとめたポスター――親や先生に相談しよう、友達に相談しよう――を学校の昇降口にある掲示板に張り出した。私の対抗馬の生徒は学祭制限の撤廃――飲食系を自由に実施できるようにする――だとか、屋上の解放だとか、快楽面を刺激する施策を打ち出していたが負けるわけにはいかない。生徒会長になれれば内申点が決まり、内申点が決まれば高校受験の選択肢が決まる。二年生にしてもう受験戦争は始まっている。
この学校は、いじめが多い。
そのことを気に病んでいる親や、先生がいる。実際に票を入れるのは彼らじゃないとはいえ、影響力は計り知れない。それに生徒としても明日は我が身なんて恐怖を抱き続けるのより、安心安全に学校生活を送れる方がいいに決まっている。私だって、人権を踏みにじる行為であるいじめなんて、なくなればいいと思っている。
ただ、この頃からだった。
学校で、妙な噂を聞くようになったのは。
*
――また出たって。
――今度はソフトボール部の加佐見が見たらしいよ。
――えっ、あの黒い子?
――そうそう。ぬばたま様。
死んでしまった水堂さんに代わり、提出用の保健体育のノートを取りに隣のクラスに行った、火曜日の放課後。
私はそんな噂を耳にした。吹奏楽部の女の子たちが集まって、ひそひそ話をしていた。私は声をかけた。
「提出するノートってこれ?」
教卓の上に置かれていたノートの山。噂話中の女子が答える。
「うん、それー」
「芙蓉ちゃん、ありがと」
去年同じクラスだった戸中さんが手を振ってくれる。私も振り返す。
「水堂が死んでから、仕事増えちゃったね」
「しーっ」
今更な沈黙を戸中さんが強いる。
「ごめん。水堂さん、うちのクラスではあんまり……」
「うん。分かった」
何が分かったのか分からない曖昧な返事をして、私は保健体育のノートを持ち上げる。二クラス分。結構重い。
「芙蓉ちゃん、本当にありがとね」
「うん……」
そう言って手伝ってもくれない彼女たちを背後で感じながら、私はノートを運んで歩いた。二年三組。職員室からは近い。そうじゃなければ、二クラス分運ぶなんて芸当、私にはできない。
水堂さん……。
私は亡くなった彼女のことを思った。まぁ、実際のところこうして今、目の前で話題にされるまで、彼女の名前が水堂であったことなんて完全に忘れていたのだが、しかし掲げている公約が公約だけに、私の胸には重くのしかかった。自殺した子。いじめで死んだ子。
職員室に入ると、体育の野田山がひょこりとデスクから顔を上げた。それから細い目をさらに細めて私を見た。ぶつぶつつぶやく。
「今日はちゃんと持ってきたか」
「前回の提出時もちゃんと持ってきましたよ」
「お前のいる四組はな。三組は遅れた」
「そうでしたっけ?」
とぼけてみせる。
「まぁ、過去のことだな」
野田山先生はノートの山を受け取ると「おお、重いな」と低い声を出した。それからそれらをデスクの上に置くと、窓の外を見た。
「曇りだな」
「ええ」
「こういう日は学校が暗くて怖いだろ」
悪戯っぽく笑う。実際野田山先生は、生徒をよくからかう。
「怖いって何ですか」
私が冷めた笑いを見せると、先生はさらに悪ノリした。
「ほら、何だっけ。ぬばたま様、か」
「ああ」
先生が指折り続けた。
「御滝中学七不思議。空き教室で笑い転げる先生、突如行方不明になる生徒、体育館から聞こえる金属音、音が一切聞こえなくなる音楽室、誰もいないのにひそひそ話が聞こえる保健室、光るものが見えるグラウンド、そして……」
「放課後の暗闇の中に潜む『ぬばたま様』」
「怖くないか?」
「別に。どれも実際にある話みたいですが、何らか説明がついているじゃないですか」
「……えっ、そうなの?」
「笑い転げる先生っていうのは、昔当直制度があった時に秘密でお酒を飲んで楽しくなっちゃった先生のことを言うそうですよ。今は当直なくなったから、必然その伝説自体もなくなってます」
「ははぁ、そうなんだ」
「突如いなくなる生徒っていうのは、この辺りは田舎で何もないから、外に行きたくて家出する生徒が後を絶たないからだそうです。教育委員会が調べたところによると週明けの月曜日、登校中に家出する生徒が多く、長くても三日程度の家出、でも他の生徒からすれば月曜から木曜までいなくなるから実質上の失踪だって……」
「分かった、分かった。さすがだな、恋本。生徒会長になりたいだけはある」
野田山先生は参ったように笑った。
「ノートありがとう。選挙、上手くいくといいな」
「ありがとうございます」
ぶすっとして礼を言うと、それなのに先生は嬉しそうに手を振ってきた。撤収の合図だと思って私も素直に引き下がる。
職員室を出る間際、ドアを閉めた勢いで指に強烈な痛みが走った。挟んだのだ。じんじんと痛んだ人差し指の先は、やがて薄紫色に染まり始めた、痛……内出血。ついてないな……。
保健室に行こう。
そう思って歩き出した私を、明かりのついてない廊下の暗闇が包んだ。仄暗い世界で見た私の指先は黒かった。気のせいか、指がじんじんする度に、紫色の……黒い色の範囲が広がっている気がした。
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