第8話 王国と異世界転移族3

 ざあざあと、止むことのない雨が降っている。


『今夜は特に冷え込み、ところによっては雪が降るでしょう』


 今朝の天気予報を信じて、下にもう一枚肌着を重ねて着てくればよかったと今更後悔する。


 くらい、つめたい、こわい、さみしい。


 涙は抱え込んだスクールバッグに落ちて吸い込まれていく。


 どうして、どうして、どうして、どうして。


 眠ってしまわないように必死に両肩を、壊れるくらいに握りしめる。


 誰か、誰か、誰か、誰か。


 走馬灯そうまとうなんて、まだ見たくもないのに脳裏に浮かぶのは大切な家族の思い出ばかり。






 嘘、今頭に浮かぶのは、ただ一人。

暗くて冷たくて怖がられる寂しがりなわたしを変えた、ただ一人の――




――――――――――――――――――――




「うあああああああ!!!」


「うわっビックリしたぁ!えー、起きた?」


「…………は、えと、ここは……」


「救護室だよー、お客さん倒れちゃったからね」


 キャスター付き回転椅子に座ったエルフ耳をぴこぴこ動かす紫ショート髪の少女とカワイは目が合った。

 少女の服のデザインはエプロンに近い。すなわち背中からお尻にかけての布地がない。それゆえお尻に食い込んだふんどしパンツが丸見えのトンデモない状態である。


「わたし……そう、お風呂で……倒れた……?」


「そうそう!元気になって何よりだよー。ネージュ王女が顔真っ青にして風呂から君をお姫様抱っこして出てきてさー、服も着ずに。

何事かと思ったら『彼女を私たちの宮殿で休ませますわ!兵を呼んで参ります!』とか言って、全裸で外に駆け出そうとするからー。受付嬢総出で服を着せたんだぞ?

……何人も同志たちが散ってった。全裸で宙に浮きながら回し蹴りとか誰が教え込んだんだよアレ。

カルカリア様はずーっとゲラゲラ笑って手伝ってくれないし、もー大変だったんだぞ?」


 笑いながら早口でまくし立てるふんどしパンツ娘と簡易かんいなローブを着てベッドに寝かされているカワイ、この空間きゅうごしつには二人しかいない。


「王女とカルカリアさんはどこに……?」


「今二人はオーナーパナケア様に直々のお説教されてるよー。ひゃーおっかなーい」


「すみません、わたしが倒れたせいで、ご迷惑をおかけして」


「まだなにも壊してないからましだよー、

 同志たちも無傷。だから賠償金ばいしょうきんあんまり貰えなさそうで残念無念ー」


たくましいですね……」


「あたしたちここの受付嬢だからねー、図太くなきゃやってけないよー」


 少女はくるくる回りながら言う。

 この国において、受付嬢とは冒険者ギルドの受付とセレニテ・ルマエの番頭ばんとう兼任けんにんする人を指す、立派な職業である。

 余談だが男湯がある以上もちろん男性の受付嬢さんもいる。

 衣装コスチュームも、ほぼ同じである。


「あ、そーだ君、申し訳ないという気持ちがあるならちょっとテストに付き合ってくんない?」


「テスト?」


「なんか最近でたんだよねー

職業鑑定飲料リアクタンD』?とやらが」


「リアクタン……さっき広告で見たような……」


 ゆっくりとその場で身体を起こすカワイ。悪夢の感覚はまだ生々しい。手足の末端が冷たくてしかたない。だが、誰にも悟られまいと両手をぐっと握り込む。


「王女様に加えて『255の命題クリティカル カウンター』と一緒にいたってことは君もどうせ普通じゃないんでしょ?

 今のうちに君の職業を決めたのはあたしです!って称号を作っとこーと思って!」


 受付嬢はそう言って椅子ごとスーッと冷蔵庫に移動し、ガサゴソと中を漁った。


「はいキャッチ!」


「えっ!?とぉ!?」


 受付嬢が投げた何か、それは牛乳瓶のような形状だが、中の黄金色の液体が牛乳とは違うものと強く自己主張している。


「これが『職業鑑定飲料リアクタンD』ですか?」


「らしいよー、将来性込みで適性を99パー当てるんだって、怖いねー」


「えーと、飲めばいいんですか?」


「うん。なんかねー、美味しい。

 普通に風呂上りの客に売れるレベルだよそれ」


 カワイはおそるおそる瓶の蓋を開けると、嗅いだことのあるような香りが漂ってくる。一瞬飲むのに躊躇したものの、なるようになれ!と言わんばかりに縁に口をつけ、そのまま一気に飲み干した。

 

「ぷはぁ!――これ栄養ドリンクだ。24時間戦えるタイプの!」


「はいじゃあ瓶見してー

 うんうん。『無職』だねー、じゃあ無職で登録すんねー」


 にこにこ、束の間の沈黙。のち。


「はぁ?『無職』……ええ?『無職』???『むしょく』ぅ?????」


「連呼しないでください。まるでわたしが今後受験や就職に失敗して、それでも自尊心を捨て切れず唯一頼れる親のスネを齧りながら明日から本気出す!って意識だけ高いスマホ中毒者になるみたいじゃないですか。というか学生は無職じゃないです」


「でもそれ無職じゃん」


 受付嬢は瓶を回したり逆さにしたり光に当てたりして観察するが、結果は結局変わらずじまい。


「いや……うーん、おかしいな。無職なんて初めて見た。うーん……ええーい!もう1本飲んで!」


「もう1本?いや、栄養ドリンクはそんなにガブ飲みするものでは」


「飲んで!!!」


 カワイは口に無理やり『職業鑑定飲料リアクタンD』を突っ込まれる、しかも3本。しかし結果は。


「全部無職……!?

 嘘、まだ足りないの……!?」


「変わらない……!無職はそう簡単に変わらないですから……!」


「まだわからない……!無職がこの世に存在していいわけない……!……よし!冷蔵庫の全部持ってけどドロボー!!!」


「流石に言い過ぎ可哀想……ってかもう無理!入らない……だめぇ、溢れちゃうぅぅぅ!!!」




『ピロピロピロピロピロ……』




 少女二人が戯れる小さな救護室に鳴り響く機械音、音は受付嬢が腰から下げているバッグの中から聞こえてくる。


「うぐっ……何……」


「うん?はいはーい何?……ちくしょーまた騒ぎかよー!今日は多いなー厄日なのー?しょうがなーいなー。

あ、お客さんは休んでなよー?さっき寝てる時うなされてたしー、ていうかまだ顔色わるそうだし?後でお友達の王女様がお迎えに来るだろーから安静あんせいにねー」


 受付嬢はバッグから取り出した小さな機械のアラームを切ると、回転椅子から勢いよく立ち上がり部屋の外に出ていった。一人残されたカワイはベッドに身体を預け再び横になる。

 

「……うう、お腹たぷたぷ」


 元々お風呂で倒れたからか、今になって身体が火照っている感覚がしてきた。手足の冷たさは消えている。むしろ、少し暑い。このまままぶたを閉じてしまえば夢を見ることなく眠れるかも。そう考えて。


「友達なんて、もう」


 ふ、と息を吐き出して。胎児たいじの様に身体を丸め、眠りに――


「お目覚めですかカワイイヨ!聞きなさい!事件は温泉で起きているのではありません、マッサージチェアで起きているのですわ!」


「わたし今ちょっと体調悪いので一人でやってもらっていいです?」


「まあそれはいけませんわね!わたくしが抱え上げますので安心して現場に急行しましてよカワイイヨ!」


「聞いてねぇなこの王女」


 問答無用で王女に抱き上げられた要救護人はそのまま爆速で第二の事件現場に運ばれていくのだった。




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