昼休み その2 日和
耐え切れず、教室を出ようと立ち上がる。
その瞬間、クラスに沈黙が降りた。
いや、もしかしたらそれはわたしの空耳かもしれない。
本当はクラス中、
わたしは彼らのカヤの外にいるから、聞こえないだけ。そうだったら、いい。でも、そんなのはウソ。それくらい今のわたしにだってわかる。教室を後にするとそのまま廊下の角まで歩き、壁に寄りかかった。
クラスメイトたちの楽しそうな笑顔を思い起こし、次の瞬間、背筋をひやりとしたものが走り、震えた。
そんな自分がたまらなく嫌だった……。
ゆらりゆらり……行くあてもなく、見知らぬ校舎を
カバンの中にはお母さんが早起きをしてせっせと作ってくれたお弁当があったが、今日は日の目を見ることは無さそうだった。
カバンひとつぶら下げて、ぼんやりとした思考のもと、のろのろと歩み続ける。そうやって
どこをどう歩いたのか、わからない。
気がつくと辺りには深い静けさだけが満ち、目の前に古びたドアがあった。
学生たちの昼の
ドアにかけられた木製のプレートを見る。
プレートの表面は傷だらけの上に変色してい
る。文字はかすれていたが、なんとか読むことが出来た。
「…図…書…室…… 図書室か」
ドアノブの辺りを見ると解錠鍵されているようだった。
開いてる?
スカートの右ポケットに手を突っ込み、中にあるものをきゅっと握り、片方の手をドアノブに伸ばそうとしたその時――――何かを
音は階段から聞こえた気がする。
と、踊り場を挟んだ上階のほうから煙が立ち昇っている。
煙……まさか、火事? た、大変!!
階段を駆け上がる。踊り場に到着した勢いのまま身をひねり――見開かれたふたつの瞳がわたしを見つめていた。
それを見るわたしの瞳もまた、すぐにその仲間入りをした。
「あはは、なるほどねぇ」
わたしの話を聞くと図書室の司書、
彼女の指の間にはタバコがあった。
つまりは、そういうことだ。
もしここに穴があったらそのまま中に入り込んで見回りの警備員が発見するまでわたしは出てこなかったかもしれない。
が、幸か不幸か穴なんて都合のいいものは学校にそうそうある筈もなく、わたしは耳まで真っ赤にして俯いているのだった。
うう、恥ずかしいなぁ。早くここから逃げ出したい。
そう思っても、うれしそうに話す人に対し、自分から話を打ち切る勇気をわたしは持ち合わせていなかった。
いつだって自分より相手の都合を優先して考えてしまうのだ。
「日和ちゃんだっけ? ひとつ聞いていいかな?」
いきなり名前で、しかも、『ちゃん 』付け?!
内心動揺しながらもこくんと頷く。
そんなわたしを見て、古河さんは何だかうれしそうにしている。
「煙を見たとき、どうしてタバコだって思わなかったの?」
「え、その……た、タバコは学校の校則で……」
そこまで言ってハッとした。
生徒手帳の校則に校内での喫煙を禁じている項目がある。
それは教職員たちに関してもそうだろう。
それをここでいうのは、間接的に彼女を責めていることになるのではないか。
「うん、その通り。学校の校則で校内の喫煙は禁止されているわ。もちろん、職員である私もね」
さらりと、こちらの心情などお構い無しに古河さんがいってのける。
驚いて彼女を見た。
「あの…その……な、なら、どうして……」
わたしがおずおずたずねると、古河さんはニコニコしながら応じた。
「なんかさ、ドキドキするじゃん」
「ど、ドキドキ……ですか?」
「そ、なんか一昔前の不良学生になった気分……って、タバコ=不良って図式はなんか古臭くて嫌ねぇ」
「はあ……」
古河さんはエプロンのポケットから車のキーを取り出すと付属のキーホルダーから携帯灰皿を選び、短くなったタバコを突っ込むとこちらへ笑いかけた。
窓から差し込む光は穏やかで、蛍光灯はついていない。
それでもわたしはなぜか目を細め、知らず知らずのうちに彼女の笑顔に見惚れていた。
古河さんが静かに言葉を述べる。
「ねぇ、日和ちゃん」
それはひんやりと胸に染み込む声音だった。
まるで紙に水彩の筆が淡い色で滲みをつくるようなやさしい声音。
だからだろうか、不思議といつもの緊張や焦りは感じない。
「はい」
「このことは、ふたりのヒミツにしておこう」
「ヒミツ?」
「そう。私と日和ちゃんだけのヒミツ」
声に出して、呟いてみる。
「ヒミツ……」
でも彼女のいう『ヒミツ』と、わたしが言う『ヒミツ』はまったくの別モノみたいだった。
「いいかな?」
自然、頷いていた。
「ありがと、日和ちゃん」
そういって古河さんはわたしの頭を優しく一度撫で、ゆっくりと階段を下りていく。
わたしはぼんやりとした意識のまま、先ほどまで古河さんが触れていた頭に手を乗せてその背中をいつまでも見送っていた。
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