25
まだ暁龍衣が少女だった頃。
彼女もまた、三条学園に通い、そして
しかし、彼女の
走れど、殴れど、負けて、何も変わらない日々。
誰もが彼女の夢を聞いて笑った。
『
そんなことを言われ続けた。
だが、彼女だけは、自らの拳のことを信じ続けた。
そして、不敵に笑う。
無理をしてでも、無茶をしても、無謀でも。
相手の
彼女がその
どれだけ笑われたのか、数えられない。
しかし、自分の拳を一度信じて、それから二度と心を折らずにやってきたのだ。
そんな自分が、誰かの夢を否定したことを、彼女は心から恥じた。
彼女自身が、誰から笑われようとも、待てど暮せど何も変わらずとも、誰にもわからすことができずとも。
ただひたすらに、自らの拳を磨き続けてきたというのに。
「まったく、その通りだね……。キミの未来がどうなるかなんて、私が決めつけることじゃない」
龍衣は、自らの右拳で、自分の頬を殴った。
いきなりの奇行に、少年はまるで自らが殴られたかのように面食らってしまう。
「なら、少年。キミは、私を超えるってことだね? そうじゃなかったら、私がキミを教える意味がない。私と、そしてキミの存在を世間に刻み込むために。少なくとも、
「よくわかんねえけど、上等」
「
「すごいことだろうがなんだろうが、やるって決めたら、やるんだよ」
少年は、拳を握った。
その拳には、まだなんの
だが、なにもないからこその、彼なりの決意が、そこには握られている。
「わかった。……なら、キミは私が引き取る。と、言いたいところなんだけど。里親って、結婚してないとダメなはずだし……。あ、妹に引き取ってもらお。私が
「オイオイ、大丈夫か?
「だーいじょぶ、だいじょぶ。名前だけ貸してもらうみたいなもんだし。もう少年を育てるのが、
「ってか、アンタそんなに金持ってんのか?」
「AAAの
「はぁ……。んじゃ、まあ、オレが口出すことじゃねえけどさ。マジでいいのかよ」
声音も表情も緩んでいて、すでに何かの皮算用が始まっているらしいことは、少年にもわかった。
「私、ギャンブル大好きだからね。決めたよ、少年。私の今後、キミに賭けた」
瞬間、少年の胸にドスン、と。
龍衣の拳が突き刺さる。
痛くないように手加減されていたものの、その拳の重さは、少年の胸に刻まれた。
「……妹の戸籍に入るってことは、妹は嫁入りしているから、私とは名字が違うのか。ってことは、キミの名字は、朝比奈になるね」
「朝比奈か。……オレ、朝比奈になるのか」
名字だけとはいえ、自分を表す言葉を与えられたことは、少年の心に予想以上の喜びをもたらした。
まるで、胸の奥から湧き上がってきた何かが、少年の頬を押し上げるかのっように、口角が上がるのを止められない。
「おっ、嬉しそうだねえ。そうか、いつまでも少年ってわけにはいかないもんね。よしッ。私が名前を授けよう」
「ええ……。まともな名前なんだろうなぁ」
「何言ってるの。名前ってのはね、子供願いをかけてつけるもんなんだよ。今、この世でキミに最も期待してるのは、この私だよ? つまり、キミに名前をつけるのに、最もふさわしい女ってことさ」
そう言って、龍衣は、一瞬腕を組もうとしたが、すぐに右腕で顎をさすりながら、少年を見つめる。
「どうせなら、ちょっと私の要素も入れたいなあ……。龍、は、ちょっと露骨かなぁ……」
「ええ、龍ほしいんだけど」
「バカバカ! 名前書くのめんどくさいんだよ! 名前の漢字は、できるだけシンプルな方がいい!」
そこから、龍衣は滾々と、自らの名前は気に入っているものの、名前を書くのは面倒くさい。
だからテストの時は、カタカナで書いていたことなど、日常のちょっとした機会に起こる面倒なことを語りだした。
「うるっさいな! 書く手間とかはどうでもいから! かっこいい名前にしてくれ!」
「ったく。こっちは老婆心で言ってやってんのに……。て、誰が老婆だ!?」
「オレは何も言ってねえ」
「ちぇ。ノリ悪いな……」
恨みがましいのか、それとも少年の顔からインスピレーションを得ようとしているのか。
龍衣は、少年の顔を睨んでいた。
そして、なぜか少年の目に、照準が定まる。
「鋭い目つき……鷹……鷹一!」
「
「そう。今日から、キミの名前は鷹一。その目つきに、鷹はぴったり。それに」
龍衣は、少年の頭を優しく撫でた。
「鷹は空の王者。一番高い所まで飛べますように、っていう願いを込めて、鷹一だ」
その瞬間、少年は、与えられた名を受け取った。
自らのことを“朝比奈鷹一だ”と、自覚したのである。
それだけのことなのに、まるで体に魂が宿ったかのようだ。
今まで、地面を歩いているつもりでも、地に足がついていなかったのかもしれない。
そう思うほどに。
「ま、鷹って文字が、ちょっと書くのめんどくさいかもしれいけどね。鷹一」
「だから、そんなもんどうだっていいって」
今、名前が与えられたことに比べれば、大抵のことはどうでもよかった。
これが、暁龍衣と、朝比奈鷹一の出会い。
“
すべての攻撃を截つ女、
■
そして、話は現代に戻る。
ぽつりぽつりと、ゆっくり、振り始めの雨のように語った鷹一は、最後にため息を吐いて、目を閉じた。
疲れているのだから、ここで話は切り上げようとも思ったが、紅音はどうしても好奇心を抑えることができず、思わず確かめるように言葉を紡ぐ。
「それで……鷹一さんは、そこから、暁龍衣と修行をしてたんですか」
「ああ。朝比奈家の、父さん母さんとこで、龍衣と一緒に暮らしてた。父さん母さんは、優しい人だったから。龍衣が
そう言うと、鷹一は口元だけで小さく微笑んだ。
「んで、そこからは朝比奈家で、龍衣と一緒に特訓の毎日。……龍衣の戦法をオレが覚えるのは大変でな。ここに入学するまで“
「あっ」
不意に、心の奥底にあった紅音の疑問が、一つ解消される。
AAAの異能力は、体から発せられる超能力のタイプか、武器として発現するタイプの二通りある。
しかし、大抵の場合武器として発現する。
つまり多くの武器の使い方を覚えておくのは、AAAの選手としては常識。
トンファーの使い方がわからないと言った時、紅音が疑問に思ったのは、そこだった。
しかし、考えてみればと。紅音は納得する。
そもそも、龍衣の戦法は、臨機応変。
龍衣の思考と体の瞬発力、そして相手の感情を読むような鋭い勘。
そんな彼女の素質によって成り立っている。
それを再現するのは、不可能と言ってもいい。
誰もがわかっているから、誰も真似しなかった。
そもそも、人並みの
継いだのは、
「だから、鷹一さん……。
自分の存在が、多くの人間に知られているということだ。
現に、今でも暁龍衣のことを知る人間は多いのだから。
「自分の存在を、世界に刻むために……」
そう紅音が呟いた時、鷹一は眠りに落ちた。
額に乗せていた手をどけると、紅音は鷹一の手を握る。
その手には、よく見れば、
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