25

 まだ暁龍衣が少女だった頃。

 彼女もまた、三条学園に通い、そして最強ザ・ワンを目指していた。


 しかし、彼女の精神膜ドレス貧弱クソさは知れ渡っており、怪我が絶えず、負け続ける毎日。

 走れど、殴れど、負けて、何も変わらない日々。


 誰もが彼女の夢を聞いて笑った。


最強ザ・ワン? あなたが? 冗談にしては笑えないわね』


 そんなことを言われ続けた。

 だが、彼女だけは、自らの拳のことを信じ続けた。

 そして、不敵に笑う。

 無理をしてでも、無茶をしても、無謀でも。


 相手の異能力オルタビリティに触れればそれだけでダメージを負うような失敗作なら、絶対に相手からの攻撃を食らわなければいい。

 彼女がその局地マインドに至ったのは、新人王戦を控えてのことだ。


 どれだけ笑われたのか、数えられない。

 しかし、自分の拳を一度信じて、それから二度と心を折らずにやってきたのだ。


 そんな自分が、誰かの夢を否定したことを、彼女は心から恥じた。


 彼女自身が、誰から笑われようとも、待てど暮せど何も変わらずとも、誰にもわからすことができずとも。

 ただひたすらに、自らの拳を磨き続けてきたというのに。


「まったく、その通りだね……。キミの未来がどうなるかなんて、私が決めつけることじゃない」


 龍衣は、自らの右拳で、自分の頬を殴った。

 いきなりの奇行に、少年はまるで自らが殴られたかのように面食らってしまう。


「なら、少年。キミは、私を超えるってことだね? そうじゃなかったら、私がキミを教える意味がない。私と、そしてキミの存在を世間に刻み込むために。少なくとも、二冠ダブルは獲ってもらう」


「よくわかんねえけど、上等」


記憶喪失ナッシングって怖いなぁ……二冠ダブルって、無茶振りしたつもりなんだけど」


「すごいことだろうがなんだろうが、やるって決めたら、やるんだよ」


 少年は、拳を握った。

 その拳には、まだなんの積み重ねバックボーンもない。

 だが、なにもないからこその、彼なりの決意が、そこには握られている。


「わかった。……なら、キミは私が引き取る。と、言いたいところなんだけど。里親って、結婚してないとダメなはずだし……。あ、妹に引き取ってもらお。私が養育費タネセン払うって言ったら、納得するだろうし」


「オイオイ、大丈夫か? 記憶喪失ナッシング子供ガキだって、そもそも金だけの問題じゃねえってわかるぞ?」


「だーいじょぶ、だいじょぶ。名前だけ貸してもらうみたいなもんだし。もう少年を育てるのが、私の仕事マイジョブよ」


「ってか、アンタそんなに金持ってんのか?」


「AAAの一冠シングルって言ったら、大きな声で言えないくらいにはお金もらってるから、安心して。税金が憎くなるくらいにはね」


「はぁ……。んじゃ、まあ、オレが口出すことじゃねえけどさ。マジでいいのかよ」


 声音も表情も緩んでいて、すでに何かの皮算用が始まっているらしいことは、少年にもわかった。


「私、ギャンブル大好きだからね。決めたよ、少年。私の今後、キミに賭けた」


 瞬間、少年の胸にドスン、と。

 龍衣の拳が突き刺さる。

 痛くないように手加減されていたものの、その拳の重さは、少年の胸に刻まれた。


「……妹の戸籍に入るってことは、妹は嫁入りしているから、私とは名字が違うのか。ってことは、キミの名字は、朝比奈になるね」


「朝比奈か。……オレ、朝比奈になるのか」


 名字だけとはいえ、自分を表す言葉を与えられたことは、少年の心に予想以上の喜びをもたらした。

 まるで、胸の奥から湧き上がってきた何かが、少年の頬を押し上げるかのっように、口角が上がるのを止められない。


「おっ、嬉しそうだねえ。そうか、いつまでも少年ってわけにはいかないもんね。よしッ。私が名前を授けよう」


「ええ……。まともな名前なんだろうなぁ」


「何言ってるの。名前ってのはね、子供願いをかけてつけるもんなんだよ。今、この世でキミに最も期待してるのは、この私だよ? つまり、キミに名前をつけるのに、最もふさわしい女ってことさ」


 そう言って、龍衣は、一瞬腕を組もうとしたが、すぐに右腕で顎をさすりながら、少年を見つめる。


「どうせなら、ちょっと私の要素も入れたいなあ……。龍、は、ちょっと露骨かなぁ……」


「ええ、龍ほしいんだけど」


「バカバカ! 名前書くのめんどくさいんだよ! 名前の漢字は、できるだけシンプルな方がいい!」


 そこから、龍衣は滾々と、自らの名前は気に入っているものの、名前を書くのは面倒くさい。

 だからテストの時は、カタカナで書いていたことなど、日常のちょっとした機会に起こる面倒なことを語りだした。

 

「うるっさいな! 書く手間とかはどうでもいから! かっこいい名前にしてくれ!」


「ったく。こっちは老婆心で言ってやってんのに……。て、誰が老婆だ!?」


「オレは何も言ってねえ」


「ちぇ。ノリ悪いな……」


 恨みがましいのか、それとも少年の顔からインスピレーションを得ようとしているのか。

 龍衣は、少年の顔を睨んでいた。


 そして、なぜか少年の目に、照準が定まる。


「鋭い目つき……鷹……!」


鷹一タカイチ?」


「そう。今日から、キミの名前は鷹一。その目つきに、鷹はぴったり。それに」


 龍衣は、少年の頭を優しく撫でた。


「鷹は空の王者。一番高い所まで飛べますように、っていう願いを込めて、鷹一だ」


 その瞬間、少年は、与えられた名を受け取った。

 自らのことを“朝比奈鷹一だ”と、自覚したのである。


 それだけのことなのに、まるで体に魂が宿ったかのようだ。

 今まで、地面を歩いているつもりでも、地に足がついていなかったのかもしれない。

 そう思うほどに。


「ま、鷹って文字が、ちょっと書くのめんどくさいかもしれいけどね。鷹一」


「だから、そんなもんどうだっていいって」


 今、名前が与えられたことに比べれば、大抵のことはどうでもよかった。

 これが、暁龍衣と、朝比奈鷹一の出会い。


正義の十字クロス・ロンギヌス”と截拳道ジークンドーの使い手。

 すべての攻撃を截つ女、無垢なる拳イノセント・ブロウの後継者となる少年が生まれた瞬間だった。


  ■



 そして、話は現代に戻る。

 ぽつりぽつりと、ゆっくり、振り始めの雨のように語った鷹一は、最後にため息を吐いて、目を閉じた。

 疲れているのだから、ここで話は切り上げようとも思ったが、紅音はどうしても好奇心を抑えることができず、思わず確かめるように言葉を紡ぐ。


「それで……鷹一さんは、そこから、暁龍衣と修行をしてたんですか」


「ああ。朝比奈家の、父さん母さんとこで、龍衣と一緒に暮らしてた。父さん母さんは、優しい人だったから。龍衣が養育費タネセン出すって言っても、最初は断ってた。「ウチの名字名乗るんなら、ウチの子です」ってな」


 そう言うと、鷹一は口元だけで小さく微笑んだ。


「んで、そこからは朝比奈家で、龍衣と一緒に特訓の毎日。……龍衣の戦法をオレが覚えるのは大変でな。ここに入学するまで“正義の十字クロス・ロンギヌス”と、截拳道の使い方を覚えるのが精一杯だった」


「あっ」


 不意に、心の奥底にあった紅音の疑問が、一つ解消される。

 AAAの異能力は、体から発せられる超能力のタイプか、武器として発現するタイプの二通りある。


 しかし、大抵の場合武器として発現する。

 つまり多くの武器の使い方を覚えておくのは、AAAの選手としては常識。


 トンファーの使い方がわからないと言った時、紅音が疑問に思ったのは、そこだった。


 しかし、考えてみればと。紅音は納得する。


 そもそも、龍衣の戦法は、臨機応変。

 龍衣の思考と体の瞬発力、そして相手の感情を読むような鋭い勘。


 そんな彼女の素質によって成り立っている。


 それを再現するのは、不可能と言ってもいい。

 誰もがわかっているから、誰も真似しなかった。

 そもそも、人並みの精神膜ドレスがあれば、触らせない、なんて綱渡りをする必要がないのだから。


 継いだのは、記憶喪失ナッシングで、それを知らない鷹一だけ。


「だから、鷹一さん……。最強ザ・ワンに、あんなにこだわってたんですね」


 最強ザ・ワンとは、つまり最知であるということ。

 自分の存在が、多くの人間に知られているということだ。

 現に、今でも暁龍衣のことを知る人間は多いのだから。


「自分の存在を、世界に刻むために……」


 そう紅音が呟いた時、鷹一は眠りに落ちた。

 額に乗せていた手をどけると、紅音は鷹一の手を握る。


 その手には、よく見れば、努力の結晶バックボーンたる細かな傷がついていた。

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