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 それから、少年はなんとなく、暁龍衣の病室に通い続けた。

 自分のことを知っている人間を探すことも大事ではあったが、少なくとも病院は隅々まで探したこともあって、一旦やめることにしたのだ。


「よお、龍衣。今日も来たぜ」


 少年はその日も病室の扉を開け、龍衣のベッドの横に座った。


「本当に毎日来るね、少年」


記憶喪失ナッシングだから、何が好きだったかもわかんなくて暇なんだよ」


「それはそれは、大変だねえ……。周りの子の話で、なにかピンと来ることはなかったの?」


「あ~……なんか、あんまり。最初に着てたのが、ヒーローがプリントされたTシャツだったから、多分それが好きなんじゃないかって思って、見てみたんだけどよ。あんまピンと来なくてさあ」


「そもそもさ、記憶喪失の原因って、なんだったの?」


「さぁ。医者が言うのは、外傷とかもないから、何か精神的なモノなんじゃないかとか、あるいは病気だったんじゃないか、とか。いろいろ言われたけど。全然わからんってことだな」


「ふうん……。じゃあ、これからどうなるんだい?」


「さあ? 医者が言うには、記憶が戻るなり、オレを探してる人間が見つからないんなら、里親が現れるまでは、施設ってとこで暮らすらしいけど」


「そう。少年はそれでいいわけ?」


「いいってわけじゃあないけど、他にどうしようもないからな」


「ふうん……」


 さして興味がないかのように、龍衣は右腕の人差し指と親指の爪を擦り合わせていた。


「そしたら、二度と会えねえかな?」


「かもね。……まあ、元々行きずり。偶然の出会いだ。別れるのも、仕方のないことさ」


 少年は、そう笑う龍衣の右手を見つめていた。

 そして、これまで考えていたことを、口にする。


「オレの記憶喪失が、もしなにかの病気だったとしたら、オレはきっと、またオレのことを忘れるんだろうな」


 そう言って、少年はテレビをつける。

 そこには、龍衣の最後の試合を映したニュースが流れていた。


 龍衣が今、入院中であること、そして引退が濃厚であることなどを告げている。


 そして、訳知り顔でコメンテーターが「暁龍衣の左腕は、防御の要でしたからね。実は、彼女の攻撃力を支えてきたのも、あの左腕でしたから」と、わざとらしく声色を落として告げていた。


「……オイ、少年。そのニュース、止めてくれよ」


 無い左腕を掴むように、龍衣は手を添えた。

 その体は、震えている。


「私に“正義の十字クロス・ロンギヌス”があるんなら、別に左腕なんてなくたって関係ないんだから……」


「オレは、アンタが羨ましいよ」


 龍衣はその言葉を聞いて、反射的に、右腕で少年の胸ぐらを掴んだ。さすがに、最強ザ・ワンへ王手をかけていた女の拳である。

 少年の目には映らないほどの素早さだ。


「左腕無くした私を、羨ましいって? 冗談じゃない。まだ憐れまれたほうがマシだよ」


 先程とは違う理由で、龍衣の右腕は震えていた。

 今度は怒りだ。発散させるわけにはない怒りが、抑えきれず、少しずつ漏れているのだ。


「いや、そっちじゃねえよ。左腕のことは、オレからはなんとも言えねえ。アンタの試合を見たのはこの前が初めてだし、無くしたものに

「残念だったね」とか「お気の毒に」とか、アンタの悲しい気持ちを決めつけるようなことは言いたくない」


 少年の胸ぐらで固められた、龍衣の拳から少し力が抜けた。あっけに取られた龍衣の丸まった目と、鋭い少年の視線が交差する。


「オレが羨ましいことは、もう言っただろ。アンタはこんだけ有名なんだ。オレと違って、誰だかわからなくなるってことは、きっとないんだろうってこと」


 少年は、龍衣の手を胸ぐらから払い退け、そして、その手を握った。


「今までのことはわからねえ、けど。これからしたいことは、わかってるつもりだ」


「……何をしたい、って?」


「オレは、アンタみたいに、有名になりたい。オレは、二度とオレを手放したくないんだよ。そのために、アンタのAAAを、オレに教えてくれ」


「はあ?」


 龍衣は、少年の手から右手を脱出させる。


「あのね、左腕をなくした女に、AAA学ぼうとする? 私が言うのもなんだけど、両腕あるやつに頼んだほうがいいんじゃないかな?」


「いいや。アンタじゃなきゃ嫌だ」


「他の選手知らないじゃん」


「でも、アンタのことは知ってる。日本中が、どれだけアンタに熱狂してるかを。オレは、ああならないと意味ねえんだよ」


 誰しもが自分のことを知っている。

 いつかまた、忘れてしまうかもしれないのなら、多くの人間に覚えてもらえばいい。


 少年は、そんな結論に達したのである。


「次に記憶喪失になった時、もしかしたらオレは、もっと弱い考えになるかもしれない。オレが、今のオレと違う人間になるなんて、嫌だ」


「あ、あのねえ……。私だって、死物狂いでやってきたんだよ? それを、軽々しく「アンタみたいになりたい」で、できるわけないだろ? 自分で言うのもなんだけど。私、AAA選手の中じゃ、上澄み中の上澄みだよ?」


「……アンタ、未来見えるのかよ」


 少年の瞳には、ほんの少しではあるものの、怒りの炎が滲んでいた。濡れているようにも見えたが、しかし、燃えていた。


「オレは、自分が嫌いなものが、一つわかった。誰かに、知った口を聞かれるのが大嫌いだ。夢が叶えられないかもしれない? そうだな、そうかもしれねえ。だけど、だからって、他人から「無理」「無茶」「無謀」って言われて、やめる理由がどこにある? なんで他人にわかるんだよ。オレが頑張ろうとするのを否定される理由は、どれだけ言葉を積まれても納得できねえ」


 龍衣は、その少年が、あまりにも小学生らしくないことを言うので、驚いていた。

 もしかすると、それは少年が、記憶喪失になる前から考えていたことかもしれない。


「暁龍衣。アンタだって、嫌なはずだ。このまま、左腕を失った不幸を消費エンタメされて、忘れ去られて、たまに思い出される。そんなんでいいのかよ?」


 龍衣の心が、飲まれるような感覚があった。

 暁龍衣は、AAA時代から、口八丁と手八丁ナンデモアリで、相手の心を操作し、自らの術中テクに陥れてきた。


 そんな龍衣が、今、圧倒的な説得力に押されている。

 身を削ってこそ得られる、言葉の重みウエイト


 少年の発する言葉には、まさにそれがあった。


「オレがなにを成し遂げるか、無理かどうか、アンタが決めるんじゃねえよ」


 そう告げる少年に、龍衣は口にこそ発しなかったが、それを引き金キッカケに昔の記憶が思い出された。

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