23

 少年は、暁龍衣が負けたことを、悲しいとは思わなかった。

 ただ、彼女の、左腕を粉砕されてもなお「負けてたまるか」と雄弁に語るその目が、少年の中に刻まれたのだ。


 その目のことを思い出しながら、少年はその場を離れる。

 だが、人が集まる繁華街ダウンタウン

 そこには当然警官がおり、少年は警官に捕まった。


 名前は?

 お父さんお母さんは?

 住んでる場所は?


 そんな様々な質問インタビューをされたが、少年はすべて「わかりません」と答えた。


 警官は「子供ガキがからかいやがって」と思っていたのが、顔に露骨に出ていたが、いくつか質問をしていく内に、確信に変わったらしく、鷹一は何人かの警官に連れられ、警察署にて取り調べのようなものを受けて、大人が難しい顔で偉そうな話をしたあと、少年は病院へ検査と称して入院させられることになった。


「同年代の子供と同じ部屋のほうが、刺激で何かを思い出すかもしれない」


 と、訳知り顔の医者に言われ、小児病棟の大部屋に突っ込まれた少年だったものの。

 子供達にとっても、何を聞いても「わからない」という人間の相手などしたことがなく。


 最初の一日で「面倒くさいやつ」と認識され、話しかけられることはなくなった。


 そんなわけで、少年は検査の時間以外、何かを探すように病院をぶらつくことになる。


 さすがに「もう自分のことを知っている人間は、しばらく見つからないんだろうな」と思う頃だ。


 泣きたくなったが、泣いたら負けな気がして、グッと堪えた。

 おそらく記憶を失う前から負けず嫌いだったのかもしれない。


 これからどうなるのだろう。

 そう思うことは、人間誰しも大なり小なりあることだろう。


 しかし、今までどうだったのか、それすらもわからなくなる人間は、そういない。

 人間はこれまでの経験から、未来を選択する。


 だが、今の少年には、その基礎がないのだ。


 小児病棟を歩いていると、子供を心配する親の姿をよく見た。

 きっと、自分の両親も心配しているのかもしれないが、それが想像できたのは、これから一年後のことである。


 そして少年は、病室に自分を知っている人間がいないかと、こっそり覗き込むことが日課となっており。

 その日も、一つの病室を開き、中をこっそり覗き込む。


 自分を知っている人間なんて、いないはずだった。


 しかし、その病室にいたのは、自分知っている人間だったのだ。


 ベッドで、上半身を起こし、外を眺めている女性。


 茶髪のロングウェーブに、赤縁のメガネ。

 肉付きのいい体。

 眠たげで、儚いその表情。

 そして、ことから、少年は確信した。


 それは、あの日、オーロラビジョンで見た、暁龍衣、その人であった。


 少年は思わず、病室の扉を開き「あ、暁龍衣」と、呟く。


「ん? ……あぁ」


 暁龍衣と思わしき女は、気だるげに少年をちらりと見て、すぐに窓の外へ視線を移す。


「ったく。だから、特別病棟にしてくれって言ったんだけどな……。少年、悪いんだけど、利き腕はこの通りなんでね」


 と、龍衣は、無い方の腕を振るった。

 いくら治療ポッドでも、治す前から再起不能だったものを治すことはできない。


 龍衣の左腕は、あの時点で死んでいたのだ。


「サインなら書けないよ」


「んなもんいらねえ」


 少年はそう言いながら、遠慮なく龍衣の病室へ足を踏み入れた。

 まるで勝手知ったる我が家であるかのように。


「おいおい、どこの子だい? 美女レディの部屋に許可なく入るのは、男としてどうなの?」


「どこの子、なんてわかんねえ」


「わかんねえ?」


 その言い回しに違和感があったようだが、どう追求すべきか経験がないのでわからず、少年の言葉を待った。


「アンタ、暁龍衣だよな。そうだよな」


「……そうだけど。キミ、誰?」


「わかんねえ」


「わ、わかんねえ?」


 龍衣の目は、どんどん困惑に染まっていく。

 話を聞いているが、しかし一切自分の疑問に答えない少年の精神性がわからないのだろう。


「オレ、記憶喪失ナッシングってやつでさ。この病院に来る前のことは、ほとんど覚えてねえ。ただ、アンタの試合は、目覚めたその日に見た。すごかった」


「それは、どうも」


「アンタのこと、周りのみんなが知ってた。アンタはきっと、記憶喪失になって、自分が誰だかわからなくなっても、誰かが「あんたは暁龍衣ですよ」って、教えてもらえるんだろうなって思った」


「……そういうもんなの?」


「なったことねえやつには、わかんねえよ」


「……そういうもんなんだ?」


 龍衣は「大変だったね」と、間を埋めるための言葉を口にする。同情はあったかもしれないし、本心ではあったが、それでも見知らぬ子供と無言は辛い以上の意味はないようなものだ。


「オレは、自分が誰だかもわかんねえ。でも、アンタはそんなオレとは違う。……自分が誰かも、どこにいるかもわかんねえ。その絶望感、わかるか?」


「……悪いけど、わからないね」


「でも、アンタはすごかった。オレの、一番古い記憶になった。オレは、アンタみたいになりたい。誰もが自分の存在を知っている、そんな人間に」


「……あのさ」


 龍衣は、右手で頭を掻き、少年の額を人差し指で突いた。


「ファンが訪ねてくることは予想してたけど、こういう話をされるのは予想外だったな」


「……すんません。言いたかっただけ」


 頭を下げ、少年は、病室から出ようと踵を返す。だが、その背に龍衣が声をかける。


「あのね、少年」


 少年の足が止まる。


「私いま、五体満足フルボディのやつと話したくない気分なんだ。医者ってのは、基本的に五体満足フルボディでさ、イライラしてくるんだよ」


 振り返ると、龍衣は残った右腕で、拳を握っていた。

 少年のような素人から見ても、そこにこもった攻撃力サツイがよくわかる。


「ついこの間も、医者を一人殴りそうだった「左腕をなくして辛いのは、よくわかります」だって。

 わかりっこないよ。

 私の辛さなんて。

 私はさ、AAAに全部捧げてきたんだ。

 でも、左腕が無い人間とやり合おうなんて人間はいない。……私より弱い人間がさ「左腕が無い人間を殴れません」って言うんだからさ。

 わけわかんないんだ。

 左腕が無いくらいで、私は誰にも負けない。

 でも、みんな哀れんだ目で見てくるのが耐えられなくて、全員殴り殺しそうなんだ」


「何が言いたいんだよ?」


「でも、こういう言い方したら、アレかもしれないけど……。キミは、私より足りてない人間なんだなって思ったら、意外に気分良く話せるんだなって。ねえ、キミ。キミさえよかったら、私の社会復帰リハビリに付き合ってよ」


 ただ、感動したということを伝えたかっただけなのだが。

 少年はその意外な展開に驚きつつも、ただ頷いた。


 それから、少年と暁龍衣の不思議な交流が始まったのだった。

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