22

 少年が目を覚ました時、まず目に入ったのは木漏れ日だった。

 どうやら、木の下に設置されたベンチに寝ていたらしく、体を起こして周囲を見る。


 そこは公園だったようだが、周囲には誰もいなかった。


 どこだ、ここ?


 そう思った瞬間、それがスイッチになったかのように、少年の頭に激痛が走った。


「痛……ッ!」


 頭を押さえ、誰かに助けを呼ぼうとした。

 しかし、誰もいなかった。


 それは、周囲に、というわけではない。

 少年の脳内に、助けてくれそうな人物が思い浮かばなかったのだ。


 そのことを自覚した時、一瞬信じられなかった。


 少年の中に、あったはずのものが。

 記憶がなくなっていることに、その時気づいたのだ。


「オレ、って……誰……?」


 知っている人間が、自分含めていなかった。

 それを自覚した瞬間、少年はベンチから飛び降り、すぐに走り出す。


 そして、公園の名前が書かれている看板を見つけ、それを読もうとする。


 だが、ひらがなは読めても、読めない漢字が多く、自分がどこにいるのかはさっぱりわからない。


 そうしている間に、どんどん頭痛が酷くなっていく。

 まるで、脳みそが作り変えられているかのようで、酷い不快感と吐き気が腹の底から込み上げてきた。


 吐いてしまう。

 そんな危機感に襲われ、少年は思わず、公園に設置されていた公衆トイレへと飛び込み、便器に向かって吐き出した。

 まるで、今までの自分を吐き出しているかのようで、少年は止めたくなったが、それでも勝手に吐き出してしまう。


 しばらく、便器に頭を突っ込むかのように、胃の内容物を吐いて、ようやく落ち着くと、少年は個室トイレから出て、手洗い場の鏡を見た。


 そこにいる少年は、鋭い目つきに、ベリーショートの髪。深緑の半ズボンに、特撮ヒーローが描かれたTシャツと、目つきが悪いこと以外は、どこにでもいる少年だ。


 しかし、その少年自身が、最も見慣れているはずの顔を見てもなお、誰だかわからなかった。


 親も、友達も、どこに住んでいるのかも、すべてがわからない。

 まるで、最初からそんなものなかったかのように。


 少年は、トイレから出て、ふらふらと歩き始める。


 どこに行けばいいかわからない。


 それから、少年は勘の赴くままに、足を動かし続けた。

 

 どこかに、自分が居た痕跡を探すように。

 だが、街中で通り過ぎていく大人たち、子供、全員が、少年のことを知らないようだった。


 歩いていると、暗くなってきた。

 そして、子供が歩いていたら怒られるであろう、繁華街に出る。


 その日、何かイベントでもあるのか、繁華街は非常に賑わっていた。

 自分が誰なのかもわからないが、それでも好奇心が勝ったのか、それとも自分を追求したいという好奇心が、別のものを拾ったのか、人が多いところのほうが、自分を知っている人間がいるかもしれないという計算だったのか。


 少年は、人混みが多い方へ向かった。


 そして、そこでは、道行く通行人達が、全員ビルに設置されたオーロラビジョンを見上げている。


 少年もそれに倣って、見上げると。


 そこには、一人の女性の顔がアップで映し出されていた。


『さぁ~ッ! 今宵も魅せるのか、暁龍衣! 変幻自在テクニカルの“正義の十字クロス・ロンギヌス”を使いこなし、いよいよ二冠目ダブル! ミカド・カップに挑戦だぁ!』


 と、AI実況が声を張り上げた瞬間。

 ダムが決壊するかのように、声が上がった。


「なあ、お前どっちに賭けた?」


 と、少年の近くにいた、サラリーマン風の男が、同僚と思わしき、隣に立つ男の腕を肘でつついた。


「当然、暁龍衣に」


「そうだよなぁ。今日の倍率オッズ、暁龍衣は1.1倍らしいぜ。ミカド・カップの、記録更新だってさ」


「日本中が注目する戦いだもんなあ……すげえ金が動くんだろうなあ」


 その声は、如実に気持ちの弾みが現れていた。


 少年はその声と、話を聞いて「この暁龍衣って人は、日本中が知っている人なんだ」と、関心した。


 自分を知るものは、自分を含めても誰もいない。

 しかし、きっと暁龍衣と呼ばれたその人は、日本で知らない人がいないんだな、と。


 そうして、試合が始まった。


 龍衣の相手も、ここまでKOを積み重ねてきた重戦士ウォーリアーである。


 スピードとテクニックの龍衣に対して、下馬評では不利。


 だが、試合は予期せぬ展開を迎えた。


 龍衣は相手の攻撃を捌き、途中まではいつも通り、一撃も食らっていない。


 しかし、AAA愛好家達の間では、まことしやかに語られる言葉があった。


「ミカド・カップには、悪魔も参加している」


 人気のある選手ほど、その魔物の餌食になる。

 そんなジンクスがあった。


 暁龍衣は、他の選手と比べて、精神膜ドレスが圧倒的に弱い。

 だからこそ、相手から一撃食らうだけで、致命傷になりかねないのだ。


 相手の攻撃を紙一重で躱し、裁ち、名刀のように鋭い一撃で意識を断つ。


 それが、暁龍衣の勝ち方パターン


 その時も、相手が大振りの右フックテレフォン・パンチを放った。

 見え見えすぎる。

 が、それが逆に龍衣の油断を誘ったのかもしれない。


 龍衣が攻撃を避けた瞬間、何かに足を引っ張られたかのように、ずるりと滑る。


 その瞬間、龍衣は思わず、左腕を上げて、ガードをした。

 しかし、龍衣の貧弱な精神膜では相手の攻撃を受け切ることができず、龍衣はふっとばされてしまう。


 壁に叩きつけられた龍衣の左腕は、中身が取り出され、放置されたストローの袋のようにぐしゃぐしゃになっていた。


 それが“悲しみの無歓声サイレント


 会場で観戦する観客達も、少年と共に街中で見守っていた通行人達も、声を上げなかった。


 まるで、時が止まったかのように。

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