21

 控室の扉が開き、現れたのは、夜雲だった。

 鷹一とは対照的に、彼女に目立った傷は一切ない。

 平然とした様子で歩み寄り、紅音に手を差し伸べる。


「やぁ、紅音。久しぶり」


 夜雲から差し伸べられた手を、紅音は遠慮がちに握った。


「……久しぶりです、夜雲ちゃん」


 紅音のどこかよそよそしい雰囲気を感じ取ったのか、聞かれたわけでもなく、夜雲は「手加減できる相手じゃなかったんだよ」と言った。


「さすが、暁龍衣のやり方スタイルを真似るだけあって、強かったからね」


「……鷹一さんは、最強ザ・ワンになる男ですから」


最強ザ・ワンを育てるっていう夢は、変わってないんだ?」


「当たり前じゃないですか。それを曲げたら、AAA競技者プレイヤーじゃない」


「……まあ、たしかに、ボクも伸びたからね。鷹一くんにも、才能があるから、それなりに伸びると思う。ガッツ、なんてレベルじゃない、狂気的なまでの闘争心があるからね」


 一瞬、どこを見るべきか迷ったように目が泳いだが、寝ている鷹一を視界に捉え、声を細める。


「彼、一体何者だい? あれは、暁龍衣に憧れたとか、最強を目指す子供とか、そういうんじゃない。まるで、最強ザ・ワンにならないと、生きている価値がない、みたいなノリだったね」


「それは……」


 まさについ先程、紅音が痛感したことであった。

 その精神性メンタリティを想定していれば、もっと違った戦い方を提案していただろう。


「紅音もわからない、か。……付き合いはまだ、浅そうだしね」


 と、夜雲は肩を竦めて笑った。

 今回のことは、紅音と鷹一の相互理解が足りなかった故の結果であると、紅音は認識している。

 セコンドと競技者プレイヤーの信頼関係は、土壇場で力を発揮するのだ。


「今のままじゃ、最強ザ・ワンは険しいよ」


 と、夜雲は真剣な表情で、紅音を見つめる。


「私も、鷹一さんも、覚悟の上です」


 まったく臆しビビッていない、まっすぐな紅音の瞳に、夜雲はまるで久しぶりに訪れた街が変わってないのを確認したように微笑む。


「そうか。ボクとは、方向性の違いで解散したけど。……キミと鷹一くんのことは、応援しているよ」


 そっと紅音の頭を撫で、夜雲は控室から出ていった。


「……妃乃宮先輩と、組んでたのか」


 背後からの声に、紅音は勢いよく振り返った。

 それは、寝かされている鷹一の声だ。


「あっ、鷹一さん……。ごめんなさい、黙ってて……」


「別に、知ったところで、何かが変わったわけじゃあるまいし、別にいい」


 紅音は、ギアを操作し、異能力オルタビリティを発動させる。

 それは、自らの体を氷のように冷やす“冷血枕アイスオン

 鷹一のそばに座り、氷のような温度になった手を、彼の額に置いた。


「うぉ……気持ちいっ……」


「鷹一さん、夜雲ちゃんに、挨拶とかしなくてよかったんですか?」


「……完膚なきまでに負けて、舐めプしてきた相手に笑って対応できるほど、オレは人間できてねえんだよ」


「それは、鷹一さんらしいですね」


 小さく笑う紅音。

 笑わない鷹一。


 二人の間に、しばしば無言の時が流れた。


「今回のことは、私の事前準備の甘さが招いたことです。……ごめんなさい」


「ちっ」


 舌打ちし、眉間に谷のように深いシワを刻み込み、鷹一は「ちげーだろ」と言葉を絞り出す。


ったのはオレだ。オレが、もっとこの拳に磨きをかけてりゃ、勝ってた」


「私達、全然未熟者アマですね。わかってたことでしたけど」


 力なく苦笑する紅音、だが、鷹一は笑わない。


「オレはもう一度、妃乃宮先輩とる。今は未熟者アマかもしれねえが、今日のオレより、明日のオレは強くなる。積み重ねてやる。……力を貸してくれ、王ヶ城」


 その瞳に燃える決意に、紅音は嬉しさよりも、使命感が心に点った。

 私は、鷹一さんを最強ザ・ワンにするために生まれたのだ、と。


 しかし、トレーナーになるにしても、紅音には解決しておきたいことがあった。


「じゃあ。鷹一さん、教えてください。どうしてそこまで勝ちたいんですか? 夜雲ちゃんから食らった、あのハイキック。普通ならあの時点でギブアップしていてもおかしくない状態でした。でも、鷹一さんは、あの状態から夜雲ちゃんを倒そうとしていましたよね?」


 鷹一の狂気の源。

 それを理解しないことには、鷹一と歩んでいくことはできない。


 まるで責めるような口調フロウになってしまったが、これは鷹一と紅音が共に歩んでいくために大事な儀式ウエディングなのだ。


「……どうして、あそこまで勝ちに、最強ザ・ワンにこだわるんですか?」


 鷹一は、黙った。

 何か言い訳を考えているのもしれなかったが、紅音は鷹一の言葉を待った。

 人間が自らの体を投げ出すのは、心の奥底に刻まれた“ナニカ”が関係している時だけだ。

 それは、愛であったり、トラウマであったり。

 あるいは、執念であったり。


 そんなものを、軽々しく言葉にできるわけがない。


 それを紅音は理解している。

 鷹一も、自分の源流を、どう言葉にすべきか、そもそも言葉にしていいのかと、考え、折り合いをつけようとしていた。


 一分か、一〇分か、それとももっと長かったかもしれないが。

 二人にとっては、一瞬の内。

 鷹一は、言葉を紡ぎ始める。


「あれは……一〇年前だ。オレが、龍衣と出会った時期でもあるし、龍衣が引退した時期だ」


「“悲しみの無歓声サイレント”」


 それは、暁龍衣の引退試合を表現した通称だった。

 一〇年前の“悲しみの無歓声サイレント”を最後に、彼女は表舞台から姿を消している。


「……オレの、朝比奈鷹一って名前な、本当の名前じゃねえんだよ」


 そして、鷹一は、朝比奈鷹一が生まれた時のことを語り始めた。

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