10

 治療ポッドに放り込まれた鷹一は、緑色の液体に浸けられる。

 口元には酸素吸入器が嵌められ、そして、緑色の薬液が傷を直していく。


 詳しいことは鷹一にはわかっていないが、これも異能力オルタビリティ研究の結果生み出されたものらしく。

 外傷を治すことができるものだ。


 服のままであっても、精密機器を持っていても、濡れないという性質まで持っている。


 そんなわけで、風間と共に怪我を治し、元気に回復することができた。


 しかし、怪我を治したと言っても、まだ体力は回復したわけではない。

 鷹一は内心「終わったら遊びにでも行こうかな」などと思っていたが、そんな体力は残っていなかった。


「やれやれ……わかっちゃいたが、学生レベルでも苦戦ドロか……」


 風間は鷹一より軽症だったこともあり、一人で学生寮へと帰りながら(三条学園は全寮制)そんなことを呟く。

 意外にも、紅音も一足先に帰ったのだ。


 一人で考えたい気分だったので、ありがたいというのが、鷹一の正直な気持ちである。


 学生寮は、学校とは思えないほど広い敷地内の端にあるため、そこそこ歩くことになるのだが。

 石畳できれいに舗装された道は、鷹一にテレビの中で見た大学の構内を想起させる。


 先程の試合の反省点を考えながら、鷹一は学生寮へと帰ってきた。


 靴を脱ぎ、管理人室の前を通ると。


「えっ、あれ、ちょ、ちょっと朝比奈くん!」


 背後から、管理人の中年男性に声をかけられた。


「はい?」


 振り返ると、管理人室の出窓から鷹一を見つけたのであろう作業服姿の管理人が、慌てた様子で出てきた。


「なんスか?」


「いや「なんスか」じゃないよ。……なにか忘れものでもあった? 部屋はもう空っぽだよ」


 鷹一は思わず、一瞬思考が真っ白になった。

 そしてその次に出てきたのは、どこから触ろう、だった。


「……部屋が空っぽ?」


「そうさ。さっき、キミのトレーナーになるって女の子が、引っ越しの準備してくれてたよ」


「はぁッ!?」


「ひっ」


 鷹一があまりに真剣な表情をし、爆発したような大声を出したからか、管理人の口から小さな悲鳴が漏れた。


「……すんません。ひ、引っ越し先って、どこですか」


「あ、あぁ。え、知らないの……?」


 そう言いながら、管理人は引越し先を答えてくれた。


 鷹一はそれを聞いて、納得する。


 どーりで、先に帰ったわけだ、と。



  ■



 管理人が教えてくれた情報を頼りに、鷹一は結局、学園の敷地内、寮から反対側まで歩くハメになった。


 三条学園は、無理やり盆地を切り開いた広大な立地をしており、そのため敷地内を移動するのにも一苦労なのだ。


 そして、鷹一がたどり着いたのは、校舎の端っこにある、ログハウス風の小屋だった。

 猟師の住処と言われても、まったく違和感がない。



「……寮でもなんでもねえ」


 そう思わずつぶやき、鷹一はその扉をノックした。

 いや、正確には、一度のノックと同時に、扉が開いたのだ。


「鷹一さん! お待ちしてました!」


「……なんでわかんの?」


「それはもう、鷹一さんと私は、運命の赤い糸で繋がってますからね~!」


「何をバカ言ってんだ。あのなあ、勝手に引っ越させてんじゃねえよ! 寮生活四日目、これから馴染もうってとこだったんだぞ」


「まあまあ……これからは、私と馴染めばいいじゃないですか」


「誰かと馴染むのが目的じゃねえんだよ。生活環境が頻繁に変わるのが嫌だっつってんの」


「これ以上変わる時は、私が鷹一さんに失望した時ですよ」


 その言葉に、鷹一は思わず、神経を直接触られたかのように、敏感に反応した。


「お前がオレに期待するのは勝手だけどな。失望されるような覚えはねえ」


 そう言って、鷹一は紅音を睨んだ。

 相手が誰であろうと、自分を侮るのなら容赦はしない。

 その覚悟と、決意があるからこそ、誰であろうと本気で挑む。


「……相変わらず、鷹一さんは私を喜ばせるのがお上手ですねえ」


 目を細め、顔を赤らめ、嬉しそうに言う紅音。

 どうにも、紅音は生来の上流階級ナチュラルボーン・ブルジョアジー故か、自分をナメている気配を感じた鷹一。


 思わず、紅音の制服の胸ぐらを掴み、額をつけた。


「オレぁ、最強ザ・ワンになる男だ。それは、お前のために目指すわけじゃねえ。オレは、オレのために最強ザ・ワンを目指してるんだよ」


 すると、紅音はなぜか、鷹一の鼻を舌先でペロリと舐めた。


「おぉおぉおッ!?」


 鷹一は、自慢のフットワークで、紅音から距離を取り、思わず右拳を構えた。


「えへへっ。鷹一さんったら、初心オトメなんだから」


「く……そォッ!」


 そんなつもりはないが、紅音の殴り飛ばしたところで喜びそうなところが、どうにも鷹一は苦手だった。


 ずっと手玉に取られているような感覚。


 そして、自分以上に人の話を聞かないところ。


 すべてがにそっくりで、げんなりしてしまう。


「ままっ、とりあえず鷹一さん。お夕飯用意してありますから、話は中で」


 お夕飯という言葉に、鷹一は自分が腹を減らしていたことを思い出した。

 ここから再度引っ越すにしろ、どちらにしても家に上がらなくてはならないのだ。


 鷹一は、意を決して、家に上がった。



  ■



 その家は、外観から想像した通りの中身をしていた。

 新品だからなのか、濃密な木の匂い。

 暖炉の前で談笑するのが目的なのか、並んだソファ。

 個室へ向かうための階段。

 余生はここで過ごせると言われたら、それなりに喜べるだろう。


そんな、喧騒で溢れた日本から解き放たれた世界が、そこには広がっていた。


 そして、キッチン・ダイニングスペースには、紅音が用意したらしい料理が広げられている。


 美味そうな匂いに引かれ、鷹一はテーブルを見ると、そこにはステーキに、野菜がたっぷりはいったポトフ。サラダに茹で卵、麦飯というメニューが並べられていた。


「とりあえず、鷹一さんの体を気遣いに気遣ったメニューにしました」


「……やたら美味そうだな」


「そりゃあ、鷹一さんの血肉になるものですからっ。気合い入れて作りました」


 二人は食卓にて向かい合うと、互いに手を合わせる。


「「いただきます」」


 それは、初めて二人の心が一つになった瞬間でもあった。


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