灼ける寂寥
ふと、私は何も言わず、彼女を見つめた。見つめたというより目を奪われていた。目が大きいわけでもなく、少し頬骨が出ているくらいで彼女の面立ちは美人とは言い難いはずだが──私は中学生のときからよく、思わずその虚ろな眼差しに見惚れていた。顎がひどくしゃくれているのでさえかえって彼女らしくて、輪郭を撫でるように視線を上下させては、いつもどぎまぎしていた。
だがなぜか、心臓が胸板を叩くようなあの頃のときめき(こんな言葉は男にしては色めきすぎているかもしれないが、やはりそう表すのが一番適切に思われる)を、テーブルと食器越しの彼女には感じない。
「何?」
スクールバスで居合わせ、黄昏に焦げるような美貌の影から目が離せなかった時と同じ台詞を、彼女は吐いた。「何も」と答えると、今日はほんとうになんでもなかった。彼女の瞳が、私を捉える。
「どうしてよ」
口ごもる私を、彼女はしばらく見つめていた。
日が傾き始めた。街の喧騒に人々の吐息がまじりあうような倦怠が横たわる中、私たち二人はホテル街を横目に流しながら帰路に着こうとしていた。若かりし日に渇望した彼女とのセックスに憧れ劣情が滾ることもないのを、私はしみじみ感じた。
「張り合いないのね」と彼女は挑発的なのか自嘲気味なのか判別しがたい口調でそう投げかけた。「昔は人が嫌がるほど求めてきたくせに」
「そんな年でもないからね」
「嘘つき」
路地上の雑踏を揺蕩っていた目線が、彼女にぐっと引かれた。滑らかに尖った目じりが潤っている。──が、その光景は、斜陽に焼ける彼女のうつむき加減な横顔には重なりきらなかった。
(チープだ)
なぜそんなふうに考えたのか、わからなかった。少なくとも職業作家のプロ根性がそんな心中文を作りあげたとは到底思えない。腹の内側辺りでふつふつと沸き起こる苛立ちをこらえながら、私は彼女を大きなその家宅まで送った。
「あがってよ」彼女はこともなげにそう誘った。
二人きりでベッドの前に立つと、激情が性欲へと変容してみせるのは早い。
力任せに彼女の顔へ口を寄せると、鼻先が固い頬骨にぶつかってじんわりと痛んだ。遠慮もなしに私の胸にささげられた、彼女の肢体の重さを感じると、余計に──。
「昔のお前は、こんなじゃなかった。もっと……」
「二十年は経ってる。変わらないわけがないわよ」
また、彼女の唇が触れた。口元がその柔らかさに包まれるようだった。気付けば私の怒りは、性欲を通してもっと素直に、少年じみたものへと変わっていった。
ベッドの上で何かをさぐるように、彼女の肌を撫でた。白く膨らんだ乳房に触れると、彼女は小さく声を上げた。曲線を描くくびれに指が沈むたび、オレンジ色の憧憬に燃える妄想と、孤独な香りがしみついたこの部屋の暗さに寂しさを覚えた。
「次は、いつ会えるかな」ことを済ませた後にそう聞くと、彼女は裸のまま部屋の外から鍵を一つとってきた。それを受け取ると私はそそくさと家に帰った。
初期作品集 辻井紀代彦 @seed-strike923
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