朽ちを知る


 こいは白く揺れる水面みなもを眺めながら、随分と長い間自分は生活してきたと思ったのである。

 鯉は今まで四六時中、川底にうごめく水草をんでいた。だから、自省じせいというものをするのはこれが初めてだった。

 鯉はまず、まだ腹に袋を抱えているときに見た、ふなを想起した。

 苔むした岩の上にじっと身を横たえた鮒の体に、黒ぐろとした斑点が鱗の中で目立った。その黒点を見つめていると、えらが塞がれたような苦しさと不快さが、尾ひれから頭に向かってずんずん歩いてくるような気持ちになって、鯉はすぐにそこを去ってしまった。

 力なく水を揺蕩たゆたう仲間の体は、それから幾度いくどとなく鯉の目にうつった。鯉には何故彼らが餌食えばむのをやめて、流れに身をゆだねるのかは理解できなかったが、自分より体の大きかったものからそうしていくのを見て、いずれ自分もそうするものなのだと納得した。

 いつになったらそうすることになるのだろう、と考える。考えながら、ひげを水底に向けた。

 小さな沢蟹を吸い込み、喉の奥で噛み潰して土をこし、鯉は「どうでもいいことなのだが」と割り切った。


 いくらかして、鯉が石をつついていると、口先になまめかしさを伴う感触があった。見てみれば、昔共に浅瀬で絡んだ雌である。

 ゆったりと川床かわどこに身を寄せて動く様子は見せない。

 寒さが和らいだ川で打ちつけ合うひれの力強い感触と共に、鯉はこの雌がだいたい自分と同じ頃に生まれたものだったことを思い出した。

 腸を微かにめぐる性欲を感じながら、鯉はいずれこのようにぐったりと寝転がるのを欲するときも来るのだろうかと考える。

 おもむろに彼女の膨らみのある腹に身をこすらせ、細やかな手びれや尾ひれの下についた白い傷あとを口をつければ、その肉体の存在を感じられた。しかし鯉は、あの浅瀬で感じた水面の上の、明け広げな低圧を内に張りこませるような気持ち悪さも覚えた。

 ふと、彼女らがこうしているのは、単純な欲求によるものではないのではないかと思えた。土の濁りがひどい日の重い水筋に似た、何か抗い難い力によって、自分らはこの静かな揺蕩いに誘われるのではないかと。

 生まれて初めて見た鱗が剥がれていく様を、鯉は思い出した。鮒の黒点を目の当たりにしたときの背筋をさかのぼる恐怖が、一抹の理解を伴った凄まじさで群れ泳いだ。

 自分もいずれ、近いうちにこの雌と同じようになってしまうのだ、肉薄する圧にのまれてどこかもわからぬ川下へと身体は消えてしまうのだと、鯉はおののき尾びれをばたつかせて、その場を去った。

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