カフェ・ダスゲマイネ
近頃は、小説もさっぱり書けなくなっている。
色々と、忙しいのだ。
そんなさなか、友人から便りが届いた。
「最近はどうしたんだ。下らないことをネットで呟いているばかりじゃないか。カフェ・ダスゲマイネという喫茶店で落ち合おう」
友人の名を、ホカミチという。
わけあって、私の小説を読んでもらっているのだ。
とにもかくにも、私は翌日その「ダスゲマイネ」でホカミチと落ち合うこととなった。
「やぁ、久しぶりじゃないか」
カフェに入ると、ホカミチが席から私に声をかけた。
いつもの陽気で無責任な声である。
「数週間会ってないだけじゃないか」
私は外套を脱いでホカミチの隣に座る。
「傍観者には、時は長く感じられるものさ」
「へぇ」
「君、最近はどうしたんだね」
「どうしたも何も、忙しいのさ」
「小説のことだけじゃない。今日だってそんなお洒落などして、気障な帽子を被って、君らしくもない。女でもできたか」
「よくわかったな」
「わかるさ、これで何人目だ」
「エリー、メグ、アヤ、ハナ、…それで今」
「五人目か」
私は頷いた。だが、その言い方が気に入らない。
「その何人目だという言い回しはやめてくれないか。これじゃあ俺が女たらしみたいじゃないか」
「そうだとも。君は女たらしだ。気障な帽子がその証拠だね」
「言っておくが、俺はモテないぞ。バレンタインデーで本命なんてもらったことない」
「下らん。君を好きになる女はみんな内気なのさ」
「内気? まさか。アヤは確かにシャイな子だったが、メグやエリーは違ったさ」
「いや、シャイだね。君に悩み一つ打ち明けやしなかったんだろ?」
「そりゃ、俺が頼ってばかりだったからだよ」
「まあいいさ。とにかく、君は女ができるとすぐに形を繕うんだ。そのせいだね」
ホカミチは予め頼んでいたらしいコーヒーをちびちび飲んだ。
「いいじゃないか。カノジョがいてオシャレすることのどこがいけない」
ホカミチはコーヒーの表面に息を吹きかけると、品書きを取って渡した。
「いけなくはないさ」
私はフム、と唸って品書きに目を通した。
「カフェラテにしようか」
「そんな甘いのを飲むのかい?」
「おいおい、俺の注文にまで注文をつける気か? 洒落にならないよ」
「そんな甘い飲み物を飲める人類がこの世に存在していたとはね」
「君の舌が鈍すぎるのさ」
私は給仕をする娘に声をかけ、カフェラテを注文した。
「本題に帰ろう」
「ウム」
「そうだな、では君がその女に惚れた経緯を聞こうじゃないか」
「ウム」
私はそう唸ると、恋人と出会った経緯を彼に話した。
「なるほど。おおかたアヤと同じだな」
「まあ、確かに。だからこそ、次こそはうまく行くかと思っている」
「なんだい、その言いぐさは。君は恋をゲームか何かと思っているのかね」
「そんなことはない」
「いやそうだ。実際恋は戯れさ。どちらがいかに相手の深層にたどりつくか」
「俺たちは互いに理解し合っているのだ。同じ苦しみを味わっていたのだからな。初めから深層さ」
「なら、そう長続きはせんだろう。そこに幸せがないことを悟って君から離れていくだけだ」
「なんだと!」
「おいおいどうしたよ、いきなり立ち上がって」
「お前に腹が立っているのだ! 君はそんなことも知らんか!」
「らしくないね。どうやら君も美しい人間に戻ってしまったようだ」
「ほざけ!」
私は彼を殴った。彼は椅子から転げ落ちる。彼は痛みに悶えながら再び椅子に座った。
「滑稽だろう? 今の僕は」
「ああ、滑稽だ」
「もう一度殴ってみろよ」
「言われるまでもない」
再び彼を殴った。彼は椅子から転げ落ちる。彼は痛みに悶えながら再び椅子に座った。
「微かに、美しいと哀れむ感情にならなかったかい?」
私はすぐに「そんなことあるものか」と言いかけたが、少しその感情を覚えていた。
「ウム、確かに」
「人というのはね、滑稽を見続けていると感覚が麻痺して美しく見えるものさ」
「ウム」
「きっとその女もそうだ。君は命を捨てようと思っても死ねずに生にしがみついている女を幾度となく見てきた。既に君の感覚は麻痺しているのだ。それで美しく見えたのだ」
「それでなんだと言うんだね。麻痺していて幸せならそれでいいじゃないか」
「そうだね。全くその通りだよ。ウム、君はやはり人だ。だがしかしだよ」
「なんだい」
「まず、席につきたまえ。給仕の娘が戸惑っているじゃないか」
そう言われたので見てみると、なるほど確かにそこには給仕の娘が私の頼んだカフェラテを持って立っていた。
「すまないね、君。彼は少し癇癪を起こしていたんだ。でも大丈夫、彼は娘に暴力を振るうほど乱暴ではないさ。ジェントルマンだからね」
ホカミチがそう言って、娘は頷いた。
一瞬、この娘を殴ってやろうと思ったのだが、それはいかん。私は、やはりジェントルマンであった。
「君と話をしていると、それらしく聞こえてくる。今日はもう別れよう。彼女は寂しがりやなんだ。一分でも多く共にいてやらねば、すぐに泣きだしてしまう」
「そうかい。まあ、君のその様を僕は見ていよう。それを小説にして君に突きつけてやる」
「望むところさ。完結なんてさせやしない」
この言葉は、本気で言っていた。私はその女を絶対に捨てないと、己の中で誓っていたのだ。
私はそのあとすぐに「ダスゲマイネ」を出た。
数日して、その女とは別れた。
その様子を見て、またホカミチは私を例のカフェへ呼んだ。
「コーヒーをブラックでくれ。もうあんな甘いのは飲めないや」
「だろう? あんなのを飲めるのは人でなしくらいだよ、キヨヒコくん」
「お前が言うか」
私はそうして苦笑いした。
「どうだい。まだ女遊びを続けるかい」
「続けるさ。俺は人間だからね」
「ハハッ」
ホカミチは笑った。嘲るような笑いであった。
「だから、だめだ」
「ウム」
そう唸ると、給仕の娘が私にコーヒーを出した。
よく見ると、なるほどこの女はなかなか美人だ。
目に悲しみを宿している。
ウム、次はこの女だ。
そう思いながら出されたコーヒーを口に含んだ。
「うっ、苦い」
「飲めないのかい」
「ウム。だから、だめだ」
「ウム。だすけまいね」
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