第23話 彼女に仕えていたモノ
アルデンが馬車の中に置いてきた鞄を取りに、また荷台へと戻ってきた。
「あれ? 俺、あの本をどこの鞄にしまったかな」
鞄を開けて、確認し始めるアルデン。マックスはなんとなく、嫌な予感がした。先ほどの村人たちには事情を説明したアルデンだったが、後からぞくぞくと駆けつけた村人には、まだ情報が行きわたっていない。ここはアルデンが皆の前で、村の代表者を説得する姿を見せたほうが、良いのではないかと焦った。
「お、おい、アルデン、早く外に出よう。また村人を説得してくれ」
「虫眼鏡が見つからないんだ。どこやったかな~」
魔術で灯りを浮かせて、鞄をがさごそ……。
こんな夜更けに、怪しい灯りを浮かせながら突如現れた馬車を、全く警戒せず受け入れる者は稀だろう。村長が現れ、ちびった蝋燭の載った手燭で、馬車へと近づいていく。
「どなたさんですかな?」
村長の後ろには、鍬や大きなスコップを構えた男衆のほかに、まな板や、何かの木材だろうか木の板を持った女の人まで、警戒した面持ちで集まっている。
「エルフの旦那ー! 早く出てきてください!」
怯える御者。アルデンはいつも出掛けるときに、もたつく。全部の荷物をしっかり手元に集めたか、確認する時間もかかる。
しびれを切らして、マックスが荷台から飛び降りた。
「驚かせてすまぬ。私はゴールデンアーム侯爵家の長女、マックス・ゴールデンアームだ。故あって、この者たちと旅をしている。どうか武器を収めてくれないだろうか」
村長が、炎の揺れる蝋燭をマックスに近づけた。黒々とした長い髪と、凛々しい黒曜石のような双眸が、まっすぐに村長を見据えていた。
「ふむ……この国に二つとない髪色、そして凛々しいお顔立ち。本物のマックス様に間違いありませんな。このような夜更けに、何もない村へ、どのような御用でお立ち寄りになったのでしょうか」
マックスは、まーだもたもたしているアルデンに振り向いた。
「アルデン! 早く降りてこい。あんまり待たせては失礼であるぞ」
両手いっぱいに鞄を持って、ようやくアルデンが降りてきた。
アルデンは辺りを見回したが、さすがに暗くて景色はよく見えなかった。やたら周囲から警戒されていることだけは、ひしひしと伝わってきた。
(書物にあった地図の通りなら、ここが薬の素材を全て揃えることができる、一番最寄りの農村だ。書物では大げさに遠くの場所だと書いてあったが、近くてよかった)
長い耳が人目につかないよう、金色の長い髪を手櫛でかき寄せて、覆い隠した。
(マックスは歓迎されているようだが、俺はエルフだからな……この農村に、国の歴史を知っている者が、もしも紛れ込んでいたら、きっと俺のことを憎むだろうな。エルフであることを、黙っておくに越した事は無い)
せめてマックスの荷物持ちに間違われてくれないだろうかと期待した。それが一番、アルデンが動きやすかったから。マックスも手ぶらで家出をしたなんて周囲に知られたら、心配した住民が侯爵にしゃべってしまうかもしれない……そうならないためにも、マックスの荷物は全て自分が引き受けて持っている、という設定にした方が、手ぶらよりは不自然に見られないだろうと考えていた。
アルデン自身は気づいていないが、たとえエルフの知識を持った人間がいたとしても、縦横ともにがっしりしているアルデンは、あんまりエルフに見えなかった。長い耳の他に、朝日を反射させるような儚く透き通った肌に、弓技がよく映えるすらりとした長い手足、全身から溢れてくる魔力のオーラで、並々ならぬ神々しさを放つ、一目で人ではないとわかってしまう、それがエルフであった。
アルデンは侯爵の親戚だと言ったら、通用しそうなまである。
(俺の正体に気づかれたら、マックスも困るだろうし、こんな真夜中に怒って屋敷に帰られても困るからな。絶対に、耳は隠しておかなければ)
アルデンが耳を露出させても、耳の長い人だなぁと驚かれるだけで、エルフだと見抜く者は希少なのであった。
村長と話していたマックスが振り向いた。
「アルデン、急ぎの用事ならば、私が今ここで村長に話を通すぞ」
「いや、用事の遂行は明日にする。明るくなってからにしよう。馬にも御者にも、かなり無茶をさせたから休ませてやりたい」
マックスは馬と聞いてハッとした。この村に入るまでに、御者がかなりの頻度で馬に鞭を入れていたのだ。
馬に駆け寄ると、機嫌が悪そうだった。
御者が馬車から降りて、背中をさすって労っている。しかし、馬は満足していないようで、御者の手を振りほどくように後ろ足で立ち上がり、大きく嘶いた。
マックスは馬をしっかり休ませてやりたくて、村長に、藁をたくさん敷いた馬小屋の用意と、馬の餌をたくさん寄越してくれるよう頼んだ。
村人の案内で、御者は馬小屋のある村長宅の裏へと、馬と馬車を連れていった。
その間に、アルデンは村長に、明日になったら薬の材料になる素材を、見せてもらう約束をこぎつけていた。村長に商品と金額のだいたいの相場を尋ねているアルデンの、大きな背中を、少し離れてマックスは眺めていた。新鮮な材料が手に入れば、それだけアルデンが勝利を収める確率が上がる気がした。
(アルデンなら、きっと勝てる。そして良質な薬を作る権限を、手に入れるだろう。アルデンが安価な痛み止めを作れるようになったら、この国の為にもなるぞ。私もしょっちゅう、剣の打ち合いで打撲を作ってしまうから、質の良い痛み止めはありがたいな)
マックスはふと、自分が嫁いだら剣の稽古をやめるようにと、兄弟から言われていたのを思い出した。
「……」
あの詐欺師の男との婚約が、反故になるのはありがたい。けれど、他の家に嫁ぐ運命が、マックスに待っていることに変わりはない。他人の家に嫁ぐのならば、今までのように振る舞う事は、きっと許されない。己を強く貫き通した結果、相手のご両親から毒のある毛虫のように嫌がられるのも、ゴールデンアーム侯爵家の淑女として、あってはならない姿だった。
(アルデンの故郷は、山奥で猿と暮らして生活を助け合うほどの秘境だと聞いた。そして、女性ものびのびと生きているようだ。私は魔術は使えないが、剣や弓の腕を競い合える女友達が、アルデンの故郷ならば、見つかるのだろうか……)
だが、自分の理想の生活を手に入れるために、山奥の秘境に行きたいなんて父に言ったら、張り倒される気がした。娘を愛しているからこそ、全力で張り倒される気がした。
そもそも侯爵家とアルデンの家が繋がったところで、どのような得があるのか、そういった計算をするのも、貴族ならば避けられない。アルデンとは別の他の家に嫁いだほうが、侯爵家に都合が良いのならば、父も兄たちもエルフの里に嫁ぐのは反対するだろうと思われた。
「どうした、マックス」
名前を呼ばれ、びっくりして身が強張った。
(今、自然とアルデンのもとに嫁ぐようなことを、想像してしまっていた……。まだどのような場所なのかも、聞いていないのに、すごく理想的な場所を想像してしまっていた……。私はどれだけ、日々の生活に不満を抱いて生きてきたんだろう。父や兄上たちも、わかってくれないところはあるが、私を愛していることに変わりは無いのだから、このような家出ばかり繰り返していたら、悲しませてしまうだろうな)
自分が景品にされているなど、夢にも思わないマックスだった。
「アルデン、今日の宿はどうする? 私もこの農村には初めて来るから、どのような宿があるのか、わからないのだが、いろいろと厄介な事件も遭ったし、そなたも早く休みたいだろう?」
「それなんだが――」
何か言おうとしていたアルデンの陰に、マックスにとって一ヶ月ぶりに見覚えのある少女が、立っていた。短めのポニーテールに、ポッと上気したような桃色の頬。いつも着ていたメイド服ではなく、少年たちと大差のない、とても素朴な恰好をしている。
「マックス様!?」
「カリン! そなた、こんなところで何をしておる」
「家業のパン屋を手伝っておりました。私はこの村の出身なのです」
初耳であった。ひょんな事から、友人と再会できて、マックスは嬉しい気持ちが湧いてくる反面、この状況をどうやって説明したらよいのかと、困った……。
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