第19話 彼女が遭遇したモノ
(どういうことだ……胸の鼓動が収まらないぞ! 褒められたからか? そのままで良いなんて初めて言われたから、動揺しているのか? 私は、この言葉をこんなに渇望していたと言うのか……?)
じっとしていれば、次第に落ち着いてくるはず……そう思っていたマックスの予想は外れ、狭い馬車の荷台で、自分を認めてくれたアルデンと同じ空間にいるという事実が、とても恥ずかしく、だんだん耐えられなくなってきた。
マックスが突然立ち上がる。
荷台の中を照らしていたアルデンが驚いて、一瞬だけ集中力が途切れたせいで、明るい炎が大きく揺らいだ。
「どうした」
気にかけてくれるそのバリトンボイスも、マックスの耳の先まで真っ赤に染めあげる。
「……私……私ちょっと走ってくる!!」
「ええ? 暗くなってきたから、気をつけるんだぞ」
とっさに見送ってしまったアルデンだったが、思わず伸ばした片腕は、座ったままの姿勢では届かず、勢い良く荷台を飛び出していったマックスに、呆然としていた。引き留めたほうが良かったと後悔するも、時すでに遅し。
なぜ急に走り込みをしたくなったのか……アルデンにはわからない。
突然外へと飛び出していったマックスに、御者の男もびっくりしていた。
「お坊ちゃん! どこ行くのー!?」
「お坊ちゃんではない!」
「あ、そっか、マックス様ー! この辺はもう民家も明かりも見えませんから、危ないですよー! こういう場所には、夜盗や野生動物が出るんですからー!」
迷いなく走り去る足音の様子からして、聞こえていないようだった。
アルデンは暗い場所を進む御者の肩にも、灯りを灯しているから、マックスが遠くまで走って行ってしまっても、この灯りを目印にすれば戻って来られるはずだ……と思っていた。
……。
…………。
………………。
走り込みと言うから、その辺を往復するんだと思っていた。だから、その辺に足音が何度も行き来するものだと思っていた。
「……どこまで行ったんだ、あいつ。何の音もしないぞ」
「エルフの旦那、俺は目的地まで馬車を進ませていますけど、いいんですかね……」
「ああ。マックスも小さな子供ではあるまいし、戻ってくるとは思うが……。足音がしないのが気になるな」
「あっし、こんな何もない場所で停車するのは嫌ですよ。夜盗に襲ってくれと言ってるようなもんじゃないですか」
どんなに裕福な国であっても、どんなに警備を厳重にしていても、泥棒は生まれてしまう。働くよりも、奪うことが楽だと感じる人間が集まり、そして迷いなく実行してしまう集団が現れてしまえば、どんな世界にも盗賊は存在してしまう。
この国は、明かりが乏しい。否、アルデンたちエルフ族は、夕方になると一斉に灯りの魔術を使って、森中を照らすから、アルデンの故郷と比べたら、どこの国も暗かった。
そういった意味では、アルデンも暗がりは慣れない。
荷台から顔を出し、御者と話しやすくした。
「悪目立ちするだろうが、灯りを増やす。マックスが異変を感じて、戻ってくるかもしれない」
「へえ、どのようにやるんですかい」
「ちょっと待っててくれ」
アルデンは、森深くに生えていたキノコの、胞子が飛んでゆく景色を、まぶたの裏に浮かべた。
「我々に灯火という名の糧を。フィールド・オブ・グロウ」
御者の周囲を、どこからともなく手の平に乗るような小さな火の玉が、ゆらゆらと揺れながら、多量に漂い始めた。
「んわー、明るい!」
喜ぶ御者だが、馬が怖がって大きく嘶いた。
「あわわわ! どうどうどう! これは火じゃないよ、怖くない怖くない!」
御者が馬を落ち着かせようと、手綱を操る。しかし一向に穏やかになる気配がない。
アルデンは少しだけ灯りを減らした。
「これで少しは、馬も落ち着くだろうか?」
「うーん、あんまり……?」
エルフの森の動物たちは、エルフが生み出す魔術の灯りに慣れているため、ここまで怖がる動物はアルデンも初めてだった。
馬の大きな嘶きで、周りの音が聞こえない。アルデンは荷台から飛び降りた。
「マックス!」
呼んでも返事がない。アルデンの声が聞こえないどころか、この馬の異常な鳴き声すら、あの少年の耳には入っていないようだ。
「どこまで行ったんだ!?」
マックスはと言うと、興奮冷めやらぬ暑い体を持て余すあまり、とんでもない距離を走っていた。
そして、ふと我に返る。
灯りも持たぬまま、ひたすら一直線に走っているうちに、辺りは一寸先の小石も見えぬほど真っ暗になっていた。全身黒い服を着ているマックスは、闇夜に溶けてしまい、誰の目にも映らなくなっていた。
「しまった……私としたことが。あやつらに迷惑になる事はすまいと、思っていたのに……」
すぐに戻らねば、厄介がられてしまう。せっかく褒めてくれた相手から、さっそく失望され、嫌われてしまうのは、悲しかった。
「なんということだ。戻らねば」
元来た道を戻ればいいだけだと、安易に考えて振り向いてみると、真っ暗で、何も見えなかった。
今日は曇りで、月も星も見えない。
マックスは暗がりに目を凝らしてみたが、何も見えなかった。にわかに背中が泡立ってくる。
カサカサと、小さな足音が複数、マックスに近づいてきた。否、追い越していった。
(……うん?)
暗闇慣れしているのか、異様に素早い身のこなしに、マックスは最初動物かと思った。すれ違った際に漂ってきた臭いも、ひどいものだった。
しかし、何やら小声で「馬車だ」「良い馬だ」と言葉を交わしているのが聞こえて、ぎょっとした。闇夜に潜んで、馬を品定めする、この集団は、どう贔屓目に見ても怪しい。マックスの知る限りでは、夜盗と言う言葉がぴったりと当てはまった。
(荷馬車の荷物を狙ってきたのか。ここで私が取り押さえたいが、数が多い上に、こやつらの方が暗がりに慣れている。ここで無策に飛びついては、返り討ちにされるな。何とかして、アルデンにこのことを伝えなければ)
そのアルデンのいる馬車が、どこかわからないのだが。困ったマックスは、ふと、彼ら盗賊が迷いなくカサカサと前進していくことに気がつき、自分も後ろからそっとついていった。
迷いなく進んでいく盗賊団。盗賊稼業が長いらしく、マックスよりも闇に隠れて獲物を見定める目が養われていた。彼らに付いていくだけで、はるか彼方にポツリと揺れる御者の肩の火の玉が見えてきた時は、マックスは思わず感嘆の息を漏らしかけて、慌てて飲み込んだ。
(この盗賊たち、闇夜に紛れる特技を別の職業に生かせれば良いのだがな……)
今は彼らの更生を考えている暇は無い。アルデンたちが使っている荷馬車が、狙われていることが確実となった。さらに間の悪いことに、突然馬車の周りに小さな灯りが無数に灯って、驚いたらしき馬が大声で嘶いたのだから、彼らの足音や気配が余計にわからなくなってしまった。
こうなったら直接走って伝えるしかない。マックスは日ごろの走り込みで鍛えた足で、脱兎のごとく荷馬車まで走った。
後ろにぴったりと、知らない人間がくっついていたことに気づけなかった盗賊団は、仲間が突然抜け駆けしたのだと勘違いして、大慌てでマックスを追いかけた。
だから、マックスを心配して荷台から飛び降りてきたアルデンの目には、マックスが盗賊団を大勢連れてきたように見えた。
「何してるんだ!? 大勢連れてきたなぁ」
「私が連れてきたんじゃない! この馬車はずいぶん前から狙われていたぞ!」
「そうなのか。とりあえず俺の後ろに隠れろ」
マックスは腕を引っ張られて、後ろに匿われた。迷いなく庇われて、マックスはびっくりする。
「絹沙羅の如き炎よ舞い踊れ! ファイヤ・ケープ!」
星空も見えぬ闇夜に響く、凛々しいその声に、マックスは思い出した……昨夜に聞こえた、あの男性の声を。
(アルデンの声だったのか)
木製の床板がくるっくるに縮まるという、あの怪奇現象は、アルデンの魔術だと本人も言っていたが。あの声のことまでは、今の今までマックスも思い出せないでいた。魔術発動の詠唱時、真剣な声とアルデンの横顔は、とても頼もしく見えた。
風が吹き、つむじ風が夜盗たちの足元をくすぐり、やがてどこからともなく赤々とした炎が現れ巻き込まれて、まるで薄物の赤い羽織を振り回したようなつむじ風が夜盗たちの両足にしつこく絡まった。今度の灯りは熱いようで、野太い絶叫が夜陰を引き裂きながら火を消そうと地面を転げ回っていた。
「今のうちだマックス」
アルデンに急かされ、マックスは急いで荷台に乗り込んだ。アルデンもそれに続く。
「乗ったぞ! 馬車を出してくれ!」
「ったく、馬使いが荒いお客様だことで!」
御者の振るった鞭の音が、とても痛そうであった。
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