第18話 彼女を褒めるモノ
途中で馬を休ませたり、馬に水を飲ませるに丁度良い小さな泉を見つけたり、一軒ぽつんとある店で休憩させてもらったり。
地図も予定も、すべてアルデンの頭の中頼りの、行き当たりばったりのマックスの旅は、どんどん屋敷から遠ざかっていくにつれ、ほんの少しだけ心細くなってきた。
(知らない男と、三人旅……。いつも家出は一人で実行していたから、なんだか、少々、嫌な気持ちになるな……)
きっちりと着込んだ革の装備。ちょっと暑くなってきて、首元を緩めたくても、すぐそこにアルデンが座っているから、緊張してできない……。
アルデンは荷馬車の荷台で、何やら確認したいことがあるそうで、ずっと荷物をガサゴソしていたり、書物を開いては「あれ?」と言いながら、目当てのページが見つかるまでパラパラとめくり続けていたり、少し忙しない様子である。
(大丈夫なのか? そなたが負けてしまったら、私はあの変な男と婚約させられてしまうかもしれないのだぞ……?)
やがて日が落ちてきて、アルデンの作業にも支障が出るほど、荷馬車の中が暗くなってきた。
「手元が暗くなってきたな」
そう呟いて、アルデンは二つある鞄のうち、一つを手繰り寄せた。マックスはてっきり、散らかしてる道具類を鞄にしまうのだと思ったが、
「えーと」
アルデンが片手を軽く曲げて、手のひらに小さな炎を灯らせて辺りを照らし、鞄の中から、さらに本を一冊取り出したものだから、目が点になった。
「アルデン……?」
「ん? どうした?」
「その手に、乗っているのは……炎か?」
「うん? そうだが?」
当たり前のことを聞かれたとばかりに、さらっと返事をするアルデンだったが、ふと、マックスが魔術に詳しくないことを思い出して「あ……」と絶句した。
「マックス……あの、これはだなぁ……」
「すごいではないか、アルデン! どうやって火を起こしているのだ?」
「これは、初歩的な魔術で灯しているんだ……。辺りを照らすだけで、物を燃やすことはできない。だから、そこまで凄いことではないぞ」
「そんなことあるものか! 私は灯りが欲しい時は、蝋燭を使うぞ。そもそも部屋が暗い時は、読書をあきらめている。暗くてもできる筋トレを始めるぞ」
「いや、暗い場所で体を動かすのも、どこかに手足をぶつけそうで、危ない気がするが……」
アルデンは長い金色の髪越しに、頭を掻いた。
(困ったなぁ。感覚的に、当たり前のように使ってることだから、説明しろと言われても、わからないんだよな)
この城への招集に応じた時も、国王に「わかりやすく説明しろ」と命令されて、大変困った。どの魔術師も、「独学」や、「物心つく頃から自然に」、などなど、具体的に上手く説明ができなくて、それが原因で国王を不機嫌にしてしまったことがあった。おそらく国王も魔術というものを使ってみたかったのだと思うが、こればかりは、生まれつき使える者は使えるし、縁がない者には、一生縁のないものだった。
「どうやってやったのだ!?」
ほらきた、とアルデンはうんざりした。
「俺にもわからない。生まれた時から、自然にできるんだ。エルフが森の中で生活できるのも、魔術に助けられているからなんだ。猿のおかげもあるがな」
「なんと……。その、エルフという一族が、アルデン達なのだな? エルフ族の女性も、魔術が使えるのか?」
「ああ。性別関係なく、魔術の才に目覚めれば使えるぞ。まれに人間でも使える者がいるが、滅多にいない。俺は城の詰め所で初めて会った」
「人間って……そなたたちも人間であろう?」
「うん? 俺はエルフ族だが」
「うん??? エルフという一族なのだろう? 住処や、魔術が使える違いはあれど、我々と同じ人間ではないか」
アルデンは、ようやく合点がいった。マックスは偏見がないのではなくて、エルフ族の知識がないのだった。
(……ここで下手に説明したら、事態がややこしくなるぞ。マックスは国の女性の現状に、涙するほど嘆いてるからな……その原因がエルフであることにも、当然怒りを覚えるだろうし、エルフが人間ではないと説明しても、納得しないだろうな)
アルデンは、はぐらかしておくことに決めた。今は薬の完成を優先させるべきであるし、ここで歴史の話をしてマックスの情緒をこれ以上ぐちゃぐちゃにしても、何の得にもならない。暗くなってきた道を、激怒したマックスがムキになって一人で帰ってしまっても危ない。
(いつかマックスは、知ることになるだろう……。しかし、それは今ではない。わざわざこのタイミングで、俺が話すべきことじゃない)
アルデンは、大きな深呼吸一つした。
それが、うんざりして出たため息のように見えたマックスは、ギョッとした。しつこく尋ねすぎてしまったかと、少し落ち込む。
「なぁ、マックス」
「すまない、しつこかったな。もの珍しくて、つい……」
「いや、別に鬱陶しく思ってなんかいないよ。それよりもな、君が魔術やエルフ族について、今よりもっと詳しく知る時が来たとして、それでどうするかは君次第だが、その日が来るまでは……どうか、そのままの君でいて欲しい」
義憤に震え、他者の境遇に悔し涙を流すような、そして危険をかえりみずに体格差のある相手の腕にしがみついてしまう威勢の良さも、かなり危なっかしいが、それはマックスにしかない美徳であった。束の間だが、共に旅する仲間となり、今こうして過ごせている時間は、初めこそすぐに終わるものだと思っていたが、ここに来てからかなり心強いものだと感じるようになっていた。
お互い土地勘がなく、頼りになるかと言われたらならないのだが、一人でも味方してくれる誰かがこの国にいるのだと思えることが、アルデンには心強く感じた。
「うん……? そのままの、私で良いと?」
一方のマックスは、生まれて初めてもらった「ありのままの自分を肯定」するような言葉に、全身から打ち震えていた。経験したことがない胸の鼓動の主張に、じんわりと汗ばんでくる。そんな自分が恥ずかしくて、手櫛で黒髪を掻き寄せながら、顔を背けた。
顔が赤く、熱くなっていくのがわかる。
「そんなこと、初めて言われた……」
「そうなのか?」
「いつも……否定されてばかりいたから……。ほ、ほんとに、そのままでいいと、思っているのか? そなたは、私のこの革の防具を見ても、なんとも思わないのか?」
「なんとも……? よく似合ってると思うぞ」
革の防具は、金属製よりも加工がしやすくて軽いため、エルフの女性がよく身に付けていた。だからアルデンは見慣れていた。こんなに黒で統一されてはいなかったけれど、それもマックスによく似合ってると思った。
アルデンは褒めたはずなのに、マックスはマントの端を持って、背を向けて顔を覆い隠してしまった。
「ええ? どうしたんだ?」
「……わからない」
「……そうか」
マックスにわからないなら、アルデンにもわからなかった。上から目線だっただろうか? 距離を詰めすぎただろうか? アルデンは考えてみるが、出してしまった言葉はもう引っ込まない。
……ずっと背を向けているマックスに、アルデンは謝った方が良いだろうかと迷ったが、マックスが落ち着くまで、何もしないでおいた。
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