第17話   彼女が悔しがるリユウ

 ……情緒が不安定な少年だとは思っていたが、本当に浮き沈みが激しい。先ほどは三人分の弁当を作ってもらってニコニコしていたのに、荷馬車に揺られている今は、暗い面持ちになっていた。


「どうした。弁当に苦手なおかずでも入れられたのか?」


「違う……私に食べ物の好き嫌いは無い」


「じゃあ、どうしてそんな顔してるんだ。疲れたのか?」


 マックスは、首を横に振った。


「時たま、どうにもならないことを考えてしまうんだ」


「そうか」


 そういう年頃なんだと、深く聞かないでおこうと思ったアルデンだったが、マックスがとつとつと話し出したので、仕方なく聞いてやった。


「じつはな……あの店は繁盛していたのに、明らかに人手が足りなくて、妙に思ったから、調理人に尋ねてみたんだ。こんなに忙しいのに、たった一人で切り盛りしているのはなぜなのかと」


 そんなことを気にして、わざわざ尋ねたのかと、アルデンは半ば呆れた。一人の方が働きやすい性格の人間もいるだろうし、そうでなくても店内で起きたごたごたに貴族が首を突っ込むのは、返って事が大きくなって店の迷惑になりかねない。


(だが、この少年は尋ねずにいられないんだな……。どの程度まで庶民に手を貸すべきなのかは、これから学んでゆくのだろう)


 そう思ったアルデンは、特に何も言わないでおいた。


 マックスが、ハアと疲れたため息だった。


「案の定、あの店には給仕の少女がいたそうだ。料理好きで、家でも友人宅でも手料理を振る舞うのが趣味だったそうだ。その娘が、最近になって厨房に立ちたいと、あの男に頼んだそうだ。しかしこの国では、女性が調理師になるのを禁止している。法律違反になるからという理由で、男は断ったんだそうだ」


「法律違反なら、仕方ないだろう。あの男も、大事な店を失いたくないはずだ」


「……。なぜこの国では、そのような決まりがあるのだろうな。どの歴史書にも、はっきりとした事は書かれていないのだ。昔、女ばかりがこの国で謀反を起こし、危うく国が転覆しかけたことがあったそうで、その日以来、国内の女性すべてのあらゆる権限が、奪われてしまったと……どの歴史書にも、その程度しか書かれていない。いったい、女性たちが何をしたのか、どのように国家を転覆しようとしたのか、その動機は? 何か、よほどの事があったのではないかと、私は思っている。どこに行けば、我が国の詳しい歴史が学べる。誰が教えてくれる」


 ……アルデンは、「そうか」と、小さく答えてやることしか、できなかった。アルデンの泳ぐ視線は、とんびの鳴き声が遠く響く、高い空へと、移動してゆく……。雲ひとつなく、鳥の声と馬車が立てる物音以外、特に目立つ音はなかった。


(……ああ、そうだったのか…… 。偏見がないわけじゃなくて、初めから何も知らなかったのか……)


 マックスは、エルフ族にも、この国の歴史にも、何も詳しくない。だからあの時、笑っていたのだ。


 真実を知ったら、この少年はどうなるんだろうか。童話に出てくるモンスターのごとく豹変し、たった一本しかない矢を持って、追いかけてくるのではないか。


(まあ、そうなったら、そうなった時だな。上手いこと逃げるしかなさそうだ)


 空を眺めて目を閉じているアルデンに、マックスは怪訝な顔になった。


「どうした? 具合が悪いのか?」


「うーん……まあ、俺のことは心配するな。さっきの美味いチキンステーキのおかげで、だいぶ回復した」


「それはよかった。やはり肉は、最強であるよな」


 若者らしい感想であった。


 アルデンは姿勢を戻して、仕事ばかりで旅慣れしていない我が身を、軽い背伸びで伸ばした。


「俺の地元じゃあ、兎が主流だった」


「そうなのか? 苦手だったか? 鶏料理」


「いやいや、美味かった。地元じゃ食べる機会が少ないだけで、嫌いなわけじゃないさ」


「そうか。よかった。弁当にも鶏肉が使われているから、そなたが食べたくないなら、私が食べよう」


 生意気な笑顔でそう言ってみせたマックスだったが、その顔もすぐに曇ってしまった。


「店の給仕の娘、またあの店に戻ってくれば良いな……。今は無理でも、いつかきっと、やりたいことができる機会が得られるはずだ」


「どうだかなぁ、この国の歴史は長いぞ」


「アルデンまで、何を言う。我が侯爵家の身内の中に、ほんの少しずつでも、やりたいことに勇気を出して、実行している女がいる……それだけでも、給仕の娘の心の支えにならないだろうか。私はそうあることを願うしか、今はできない……悔しいことにな」


「そりゃ、侯爵家の娘なら、権力や地位があるから、なんだってできるだろ。でも、その辺のお嬢さんには難しい話だろう。何か根本的に、この国の在り方がぐるっと変わってしまえばいいんだけどな」


 アルデンは、マックスの姉か妹かが、権力を盾に好き勝手やっているのだと思った。おそらく侯爵は、娘に落ち着いて欲しくて、結婚相手選びに焦っているのだろうと考えた。


 マックスが、立てた膝に顔をうずめて、うなだれた。


「そうであるよな……我々貴族が、どうにかせねばならぬ問題だと自負している。私も、尽力してきたつもりだった。……でも、もう無理なんだ……私だけじゃ、これ以上は……」


「だけ?」


「私は、もうとっくに、くじけてしまっているんだ。悔しいことにな……。何度己を奮い立たせようとしても、涙と悲しみが襲ってくる……」


「じゃあ、泣けばいいだろ」


 じつにあっさりと返答されて、マックスは少々アルデンのことが無神経に感じた。


 でも……「泣くな!」ともう一人の自分にいつも叱責されて生きてきたマックスにとって、泣けばいいとあっさり許してくれる相手に出会ったのは、初めてだった。父も兄たちも、マックスが泣くと「まだ小さいからしょうがない」「まだ小さいから理解できない」で片付けてしまって、泣き止むまで独りで放置されていた。


 アルデンは、ここにいる。バカにしている様子も、迷惑がっている顔でもなかった。


 寄り添ってくれている気がして、初めてのことにマックスは泣き始めた。声も殺さず、おいおい泣き始めた。


 本当に泣くとは思わなかったアルデンが、どうしたらいいか戸惑って硬直している気配には、全く気付いていなかった。


 御者が慌てて「どうかしましたか!?」と尋ねてきたから、アルデンは己の無実を証明するためにも「ホームシックだ」と言っておいた。


「へえ? 帰りますかい、お坊ちゃん」


「帰らぬ~!」


 泣き声混じりで断言するマックスなのだった。



 ひとしきり泣いて、アルデンの貸したハンカチ二枚もびしょ濡れにしたマックスは、ようやく落ち着きを取り戻してきた。


「昨日といい今日といい、泣いてばかりいる……。こんなことでは、母様にも申し訳が立たんな」


「侯爵には、奥方が二人いたそうだな」


「ああ、知っていたのか。私と兄上たちは、母が違うんだ」


「そうだったのか」


「ああ……私が五歳のときに、病に倒れられて、その三日後に……。だから、母様のことはあまり覚えておらんのだ。そなたに話せるほどの思い出もない」


 ずいぶん悲しいことを言う少年だと思った。貴族の女性には、子育てを乳母うば任せにして、自分は最低限の接触しかしないところがあると、アルデンは聞いたことがあった。ちなみに、この国の城で聞いた。王女もそのように育てられたらしかった。


「兄上たちは、ずるい。私よりも、長く母様と暮らしていた。私が、なかなか産まれなかったから……」


「そうだったのか」


「母様も、こんな窮屈な国で、亡くなりたくはなかっただろうに」


 アルデンは、金色の眉毛が寄った。


「君の両親は、その、仲が、悪かったのか?」


「仲は良かったようだが、この国は合わなかったそうだ。母様は、異国の出身だ。この国の文化に、たいそう苦労されたらしい。嫁ぐ前は、いろいろなことに挑戦する活発な女性だったそうだが、私が知っている母様は、いつも浮かない顔をしていた。おそらく、この国に来たことを後悔なさっていたのだろう。私は母様に笑ってほしくて、そして自分自身の為にも、ずっと闘ってきた。でも、もう……無理なんだ」


「どうして無理だと思うんだ」


「わからない。昔のように、燃え盛るような闘争心がわかない。きっと私は、何も変えられない恐怖と、自分自身に、疲れ果ててしまったんだと思う。こんな自分は嫌だが、もう無理なんだ。どこへ向かって燃えればいいのか、もうずいぶん前から、わからない……」


「俺から見たら、充分に燃え盛っているが? 赤の他人のエルフの境遇に、深く同情して、家出までして付いて来てるんだからな。意気消沈している人間がやることとは思えない」


 マックスが、意外そうな顔で頭を上げた。


「そうか? そう思うか? 私はまだ、闘っていると思うか?」


「ああ、充分だ。それに、もっともっと抗うつもりでいるんだろう? 俺は君に出会ったとき、すぐにくじけて帰るものだと思っていたんだ。でもまたこの荷馬車に乗って、俺と旅をしている。弁当まで用意してくれて。すごい奴だとしか、言えないな」


 マックスの喉が、きゅっと鳴った。


 アルデンを、穴が開くほど凝視した。


 その黒々とした双眸が、またまた潤みだす。


「おいおい、大げさだな。そこまで感動するようなこと言ったか?」


「わからない……だが、今、とても嬉しく思っている。涙が、止められなくなるくらい……」


 また泣きだしたマックスに、アルデンは本日三枚目のハンカチを提供する羽目になった。なぜこんなにハンカチがあるかと言うと、失くしては現地で買うため、ポケットから失くしたはずのハンカチが何枚も出てきて今では十五枚も鞄に入っていた。


「君は優しい子だな。今日初めて入った店の、会ったこともない給仕の女の子に、そこまで同調して泣けるなんて」


「それは、違うかもしれない……。私の屋敷に、調理人として店を持ちたいと願っている少女がいたんだ。屋敷ではメイドをしながら、たまに厨房で芋の皮むきなどを請け負っていた。そして、厨房で働く者たちの技術を、盗んでいたんだ。私はそのことを知っていたが、許していた。でも、最近それが、周りに気づかれてしまってな……」


 マックスが、鼻をすすった。


「あのメイドと私は、仲が良かった。そのメイドと今回の給仕の話が、重なったんだ。だから、給仕の少女には、あの店に戻ってきてもらいたいと思う。あの店こそが、その少女の学びの場であり、夢を叶えるための土台だと思ったから」


「どうだろうなぁ。あの店にいる限り、夢が叶わないと思ったから、見限って別の店に移動したのかもしれないぞ」


「別の店に……?」


「それか、別の国に移動したんじゃないか? 夢を叶えるなら、そっちのほうが都合が良いかもしれない。……なんてな、すまん、悪い冗談を言った」


「別の……国に……」


 マックスの落ち着きが、またまた無くなった。両手を忙しなく組んだり、焦燥した顔で目を泳がせている。


「別の、国に……」


 アルデンは、まずいことを言ってしまったのだと気づいた。


「冗談だ。この広い国から、女の子が一人で出国するには、超えがたい壁がある」


「そうか、彼女たちには、その手が残されていたのか……」


「聞いてないな……」


 聞いていなかった。出国なんて、マックスには考えもつかなかった。国を見捨てて去るだなんて、愛国心と忠義に厚いマックスには、本当に思いつきもしない、合理的なやり方であった。それを庶民の娘があっさりと選択したかもしれないという現実に、大変なショックを受けたのだ。


(そんな手が、あっただなんて。だが、貴族の私に、出国など……。この国の民を捨てて、自分の都合だけで、どこかの国へ逃げるなんてこと、できない……そんなこと、この私が、許せない……)


 深刻な顔で思い詰めているマックスに、アルデンはドン引きしていた。


(出国が、よほどの刺激になったようだな。しかし、浮き沈みが激しいってレベルじゃないぞ……)


 しばらく、声はかけないでおくことにした。どうしてここまで思い悩んでいるのか、考えてみると、少年の気質的にこの国は合わないのだろうと思い至った。


(この少年は、今までずっと女性の地位向上に尽力してきたんだな。愛する妹か姉のためか、それか、母のためか。自分のためとも言っていたな。どれにしても、とても優しい少年だ)


 なぜだかアルデンは、この異国の小さな少年の肩を、励ましを込めて叩いてやりたくなった。なっただけで、実際にはやらなかったが――


 微力ながら、応援したく思った。


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