第13話   彼女と旅立つモノ

 あれは何だったのか。アルデンは何か知っているようだったが、睡魔に負けて、彼は部屋にこもってしまった。


 マックスは部屋に戻って、クローゼットに装備を戻し、再び身軽な下着姿でベッドに潜っていた。


(あの丸くなった床板は、いったい、どういう……私が知らないだけで、よくあることなのか? あんなに重たそうな男を持ち上げて、あまつさえ外に放り出してしまうとは……この宿は、耐震性どころか安全性の基準も満たしていないではないか)


 考えれば考えるほど、不自然な現象であった。


(あの床板は、木製だった。だが、私が家庭教師とともに学んできた植物の在り方と、全く当てはまらない。……これはもしや、異国の知識が必要なのか? 異国でしか手に入らない知識だとすれば、なおさらアルデンに尋ねたい。あれは何だったのかと)


 はたして、アルデンが知っているかはわからないが、マックスは明日、彼に尋ねるのを楽しみにした。それこそ、明日の朝に家族の顔がよぎって、屋敷に帰りたくなるかもしれない、そんな憂いが、吹き飛ぶほどに。


(新たな知識を得たい。まだ見ぬ不思議な光景や、自分一人では思いつきもしなかった知恵を身に付け、もっと世界を知りたい……)


 アルデンは馬車を使って、遠くへ素材集めに行くようだ。その同行を許可してもらえたことが、マックスにはとても嬉しかった。


 すっかり短くなった睡眠時間だが、満足げに目を閉じて、ぐっすり眠った。



 そして、朝からトンカンと鳴り響くトンカチの音で目が覚めた。


「んえぇ……?」


 寝不足ゆえに、決して目覚めの良い朝ではなかったが、眠気覚ましにちょうど良い騒がしさに、マックスは眠い目をこすりながら、二度寝せずベットを降りた。


(ああ、着替えも何も持たずに飛び出してきてしまったからな、今日もあの装備で行くしかないか。なるべく、汚さないようにしないと。革製品は濡れるとなかなか乾かないから、うかつに洗えないしな……)


 てきぱきとクローゼットの中身を空にし、侍女がいないから自力で着替えを終えたマックスは、部屋を出ると一階まで下りていった。


 そして、意外な光景を目にした。トンカチを振るっていたのが、腕まくりしたアルデンだったから。アルデンはゆったりした白いローヴを着ていたから、その体型がくっきりと見えなかったのだが、意外にも筋肉質な体つきだった。


 宿のオーナーが、アルデンの横でしゃがんでいる。彼の仕事ぶりを、間近で見たいようだ。


「あんた、手馴れてるねぇ。助かるよ」


「そうか? うちの地元じゃ、家は手作りだからな」


「へー? 素人が自分で作るのかい?」


「素人も玄人もない。親から習い、自分用のツリーハウスが作れて、初めて一人前と認められる」


「へ~、お兄さんとこは、そんな文化があるんだ。それにしても、素人が作ったツリーハウスなんて、ちょっと怖くて中に入れないな」


 高い所が苦手なのか、オーナーが両腕を押さえてブルッとする。


(ツリーハウス……?)


 マックスはツリーハウスと言うものを見たことがなかった。名前の響き的に、木の上に家を作るという感じで想像したが、大きな屋敷が小さな木の上に無理やりドシンと乗っている光景が思い浮かぶだけで、実物に近いイメージは沸かなかった。


 アルデンが額の汗をぬぐって、立ち上がった。完成した床板を、足で踏んで強度を確かめる。


「よし、こんなものだろう。こんなに硬い木を、よくすんなりと用意できたな」


「あー、それは……スタッフルームの、壁の板なんだ」


「……そうだったのか。どうりで、この宿にしっくりくる材質だと思った」


 アルデンは苦笑しながら、トンカチをオーナーに返却した。汗を拭うタオルを受け取り、顔を拭いていると、マックスと目が合った。


 マックスが、おっかなびっくりアルデンに歩み寄る。


「直したのか? すごいぞ、アルデン!」


「この程度なら、うちの地元じゃ誰でもできるぞ」


「そうなのか? ……その、だれでもと言うのは、女性もか?」


「うん? ああ、女性も自分の家を作って、一人暮らしする」


 それを聞いて、マックスは大変胸がときめいた。この国では、大工仕事も女人禁制であったから。


「アルデン、いつかでいいから、女性が作ったという家に、私は入ってみたい! 本当にいつかでいいから、いつかそなたの地元に案内してほしい!」


「ああ、別に構わないよ」


 あっさりと承諾され、マックスは嬉しくて、変な笑いがこぼれた。


 肩を震わせ、声を殺して笑っているマックスに、アルデンは気味の悪いモノを見るような目であった。


(寝起きも、情緒が不安定なんだな。まあ、泊まったこともない宿で一晩明かしたんだ、普通にしている方が、おかしな話か)


 アルデンもアルデンで、勝手に自己完結していた。



 この宿は、食事が出ないという。外で朝食を取りに行くことになったマックス達だが、その際、宿の者がすぐに扉を閉めてしまったことに、少し違和感を覚えた。


「なあアルデン、お前は床板を丁寧に直していたが、礼になる物はもらったか?」


「モノ? いや、何も」


「宿代を負けてもらったとか、食料を分け与えられたとか」


「べつに、何も」


 アルデンはそう言って、白いローヴに朝日を受けながら、両手に大きなカバンを抱えて、荷馬車のもとへと歩いていく。


 マックスは、きっちりと扉の閉められた宿屋を振り向いた。見送りもない。


(ふむ……この宿が流行らん理由がよくわかった)


 朝から何も食べていないし、飲んでもいない。アルデンはすぐに荷馬車に乗ってしまったし、マックスも、それに続いて荷台に乗りこんだ。御者が二人に声をかけ、馬に鞭を入れ、緩やかに荷馬車が進んでいく。


「アルデン、腹が空かないか? どこで食事をとる予定だ?」


「そうだな……ここは治安がアレだから、とりあえず移動しているだけで、何も考えていないんだ。君は土地勘があるんだろ? どこか良い店は知らないか?」


 知らない。


 そもそも、この辺に来たことがなかった。


 マックスは、どう答えようか考えあぐねた結果、正直に話すことにした。


「そうか。なら、適当なところで食事しよう」


「す、すまない……。食しても大丈夫なベリーの種類や、食べられるキノコ類には詳しいのだが、ここではどれも手に入らないしな」


 役に立てない不甲斐なさに、マックスが落ち込んでいると、意外なことに、アルデンが食いついてきた。


「野草やキノコに詳しいのか。狩りも得意だと言っていたしな、君はうちの地元でも、生きていけるかもしれないな」


「そなたの地元は、森の奥深くなのか?」


「ああ。人間で言うところの、秘境という場所にあるんだ。なんでか、木の実をもりもり食う猿がたくさんいる」


「猿? 本でしか見たことがないな。うちの領土には、あまり猿がいないようなのだ」


 しばらく、猿で盛り上がる二人であった。



 賢き猿は、森深くに住む民の生活を助け、ともにその日の糧を得て、日々の営みを支え合う。不思議な共存関係を育むアルデンの故郷に、マックスはすっかり興味津々であった。


「意外と小さな猿なのだな。私は動物を飼ったことがない。いつか、父上に頼んで取り寄せてもらおう」


「それは無理だろう。あの猿は、あの地域でしか生きられない。俺にも相棒の猿がいたが、気圧の変化に耐えられず、猿だけが森に帰っていった」


「そうなのか……。では、お前の相棒は、途中までは旅に付いて来てくれていたのだな」


 ひとしきりの猿トークを終えて、アルデンはゴホンと咳払いした。


「少し、しゃべりすぎた」


「そうだな、喉も渇いたし、この辺で食事にしよう」


 提案するマックスに、アルデンはどこかよそよそしく視線をさまよわせた。


「その……昨日の夜の事なんだが」


「うん? どうした」


「俺は寝ぼけていて、あんまりよく覚えていないんだ。うろ覚えなんだが、君は体の大きな男と、やりあっていなかったか?」


「ああ。吹っ飛ばされてしまったがな」


「君の正義感あふれる行動は、賞賛に値するが、どうかくれぐれも、自分の力量を見謝らないでくれ。君に何かあったら、薬の材料どころではなくなる。公爵も、我々よりも君の負傷に心を費やすだろう」


「反省はしている。あの時は、せめてこの手に武器があれば勝てたのだ」


「素手だったのか? ぞっとするな」


 アルデンは、ため息をついた。


「ひとまず、君が無事でよかったよ。あ、君の名前は、マックスだったな。受付のおばあさんが、何度か君の名前を呼んでいたのを聞いた」


「ん? 名乗っていなかったか。これは失礼した。私の名前は、マックス・ゴールデンアームという」


 マックスは、長い黒髪を揺らして微笑んだ。


(なんだか、改めて自己紹介をすると、少し照れてしまうな)


 アルデンがマックスの名前を、宿のおばあさん越しから知ることになるとは。なんだかおもしろく感じる、マックスだった。自分に近づく人間は、あらかじめマックスのことを調べており、こちらが名乗る間もなく名前を呼ばれるため、受付のおばあさん越しに初めて名を知るアルデンの、どこか抜けている雰囲気に、不思議と癒された。


 一方、アルデンは、マックスの長い黒髪を見ても、彼女が女性だとは気付かなかった。なぜならエルフは男性も髪を伸ばす習慣があり、悪霊が肩に憑かないようにするための魔除けの意味も、しっかりとあるからこそ、マックスもそのような意味合いで髪を伸ばしているのだと思っていた。


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