第12話 彼女が目にしたナゾの現象
真っ暗な部屋で、マックスの黒曜石の如き双眸が、開かれた。
(……眠れん)
原因は、この建物の耐震強度の低さだった。興奮して眠れない子供が飛び跳ねているらしい、この宿のどこかの一室で生まれる振動が、二階の一番良い部屋であるはずの、マックスのベッドまで届く有様であった。
(子供は嫌いではないが、ここまで振動が届くとは……。子供程度でこれならば、酒を飲んだ兄上たちは絶対に泊められないな)
寝返りを打つと、ほんの少しだけ気分転換になった。窓を覆うカーテンの隙間から、星空が見える。
(……家出するたびに、こうして星空を眺めたな。父上も、兄上も、どうせすぐに帰ってくると、私を侮っていることだろう……)
家族に思いを馳せながら、夜空を眺めていたそのとき、壁際のクローゼットの中から、重たい革装備がハンガーから落下する音がした。
マックスは、むっくりと起き上がる。
「……。明日で良いか……いや、だめだ、変なシワがつく。直しておこう」
突発的な家出だから、着替えを持参しておらず、あの装備しか明日の着る物がない。ベッドから降りて、ラフな下着姿でクローゼットの中を整理し始めた。もしも今日、弓ではなく剣で獲物をさばいていたら、この衣装は
「困ります、お客様」
ん? とマックスは、足元を見下ろした。床板越しに一階の受付へと、聞き耳を立てる。
受付のおばあさんの、困惑したような声が聞こえた。誰かと会話しているようだ。
「ね~、おばあちゃ~ん、もう一声! あと二割ぐらい安くならないかな。俺たちさぁ、もう足腰くたくたで~、安い宿を探してるんだよね~」
「申し訳ないです。私は、雇われている者でして、金額を、勝手に決められないんです」
「えー、いいじゃん、少しぐらい安くしてくれたって。ケチな店だな~。じゃあ俺、ここで寝よっと!」
「ええ!? そ、そんな、他のお客様のご迷惑になりますから、通路で寝ないでくださいな」
どうやら、酔った男の客に絡まれているようだ。マックスは整理したばかりのクローゼットから、急いで上着とズボンを履いて
「一階の会話が丸聞こえだな。床板も、壁の板も、薄いのだな」
マックスは部屋を飛び出し、階段の手すりを滑り下りて、受付に駆けつけた。宿の責任者はどこへ行っているのやら、対応はおばあさんだけだった。
聞こえてきた会話の通り、受付のテーブル前の床で、泥酔している男が大の字になっていた。
「何をしている! ここは充分安い宿だろう。手持ちがないなら、他を当たれ!」
マックスは寝転がっている男に説教したが、相当に酔っているのか聞いていない様子だった。
「あ~、ここいい風入ってくるわ~。決めた、俺ぜーったいここで寝る!」
「はー!? 馬鹿を言うな、ほら、起きろ!」
マックスが男の両脇を持って、ずるずると引きずっていく。このまま外へ放り出してやろうと思っていた、その時、玄関扉が開いた。
この男よりも、かなりガタイの良い男が、マックスの行動を見るなり大声を上げた。
「テメェ! 俺の兄弟に何しやがんだ!」
狭い店内では素早い身のこなしも発揮できず、マックスは首根っこを掴まれて、壁際に放り飛ばされた。傘立てに背中をしたたかに打ち付ける。
受付テーブル越しのおばあさんが悲鳴をあげた。
「だ、誰か! マックス様が!」
受付奥の扉が開いて、オーナーらしき中年男性が、ようやく現れた。騒ぎを収めようと間に入ったが、張り手一発で倒されてしまった。
事の発端になった酔っ払いの男は、床でグーグー寝ている。
転倒して意識が朦朧としているオーナーに、大男が拳をゴキゴキ鳴らして、もう一発食らわせようとしたそのとき、その太い腕にマックスが飛びついた。華奢な体躯とはいえ、鍛えている彼女が全体重をかけて一本の腕に齧りついては、誰でも大きくよろけてしまう。
「イデデデ! なんなんだ、このクソガキは!」
「なんなんだはこっちのセリフだ! このような狭い店で暴れるんじゃない!」
受付のおばあさんの悲鳴で、あちこちの部屋から野次馬が出てきて、あっという間に、わやに。
腕から離れないマックス。大男の大きな手が、彼女の前髪を掴もうと伸びてきた。
「ローリング・ウッド!」
突如、空気を震わせる凛々しい声が響いたかと思うと、大男が立っている床板が、人命を危険に晒す勢いで跳ね飛んだ。
あっという間に大男だけが玄関口から外へと吹っ飛んでいた。
マックスは猫のように床に着地していた。何枚もめくれて散らばっている床板を、呆然と眺めていた。どの板も、くるりと丸く曲がっている……これが勢いよく人間を吹っ飛ばした原因らしい。
(なんだ、この現象は。床板がこのようになったのを、初めて見るぞ……。あ、そうだ、ついでにこの寝ている男も外に出しておくか)
マックスは爆睡している男の足を持って、玄関の外へ。しっかりと扉を閉めて、内鍵も閉めてしまった。
「よし。しばらくは、こうしておけばいい」
マックスは、ちょうど起き上がったオーナーに、絶対に鍵を開けないように言い含めた。オーナーは辺りを見回し、そして散乱するぶ厚い床板に、目を丸くして立ち上がった。
「な、なんだこりゃあ!」
床板を失ってできた大穴から、宿屋の土台と、地面が見えていた。オーナーとおばあさんが、おっかなびっくり観察している。
おばあさんがハッとしてマックスに駆け寄った。
「大丈夫でしたか? マックス様。どうか、無理はなさらないでください。店の奥に、木刀ならありますので」
「そなたたちでは、木刀を構えても太刀打ちできなかったと思うが……」
マックスも今回は無謀だったと反省した。あの大きな男と自分では、かなりの体格差があった。腕の太さも三倍ほど違い、接近戦では体重の軽い側のマックスが不利になる。せめて武器があれば、稽古をつけているマックスのが有利だったであろうが、今の彼女は丸腰だ。矢立にたった一本の矢はあれど、放つ弓がない。
マックスは、不自然に飛び跳ねて丸まった床板と、その痕跡を残す床の大穴を眺めた。
「これは……いったい何が起きたのだ」
「なんでしょうかね……オーナー、これはいったい……」
「こっちが聞きたいよ。あー、派手に穴が開いたなー。修理費用の見積もりを出さないとなぁ」
オーナーのおじさんは、薄くなった頭をボリボリ。怪奇現象よりも、お金の心配とは、現実的である。
マックスは、ふと、野次馬の中にアルデンを見かけた。彼は眠い目をこすりながら、部屋に戻って行くところだった。
「待て、アルデン!」
マックスは彼を呼び止めて駆け寄った。
アルデンは本当に眠そうで、迷惑げにマックスを見下ろした。
「なんだ……?」
「アルデンも見たか!? さっきの、不可思議な現象を」
「う~ん……眠くて集中ができなかった。加減がわからず、床を破壊してしまった」
「ん? なんだって? 周りがうるさくて聞こえないぞ」
再度尋ねようとするマックスだったが、アルデンは大あくびしながら部屋の奥へと引っ込んでしまった。マックスが垣間見たのは、アルデンと荷馬車の御者が同じ部屋に泊まっていて、狭い部屋にシングルベッドが無理やり並んでいるという、窮屈な光景だった。
(あー……あれでは、しっかり眠れないであろうな……)
すぐ隣に、仕事上の付き合いとはいえ、赤の他人が寝ているのである。熟睡できるほうが、珍しいとさえマックスは思った。
すっかり目が冴えてしまったから、受付前の床の修繕を、マックスも手伝った。と言っても、部屋で寝ている客もいるので、トンカチと釘で騒音を立てるわけにもいかず、丈夫な木材を縦に並べて、穴を覆い隠す程度の応急処置であった。
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