第11話   彼女の泊まるヤド

 夜も更けてゆく。荷馬車を進めるだけ進めた御者ぎょしゃは、これ以上は馬が怖がるという理由と、大通りから大きく外れた薄暗い街はずれでは、夜盗に身をやっした者たちが隠れ潜んでいる恐れがあり、襲われるかもしれないからと言って、ここらで休憩したがった。


 アルデンは了承する。無理を押すと、特別料金が掛かりかねない。


「と言うわけで、今日はここまでだ。馬車を降りるぞ」


「こんな真っ暗な場所で休憩を取るのか? 街灯を管理している者は、ここまでは来ないのか?」


「どこにも管轄外はある」


「なんということだ! 家に帰ったら、父上に報告せねば。ここに住む者も、なぜ声を上げん」


「声を上げないほうが、都合が良い人間が多く住むからではないか? 気を付けて行こう」


 愛する街に、そんな治安の悪い場所があったのかと、マックスはショックを受けていた。父に細かく報告ができるように、しっかりと辺りを見渡してみる。


 街の大通りから大きく離れた、静かな場所だった。街外れに、ひっそりと宿が建っており、今日はそこで休むことになった。


 マックスは、父が用意した大きな宿屋しか泊まったことがなくて、ボロボロではないが素朴な造りの宿を、ぽかんと見上げていた。


「ここが、そなたの泊まりたい宿なのか? なんだか、店の倉庫のような……」


「どこもこんなものだったぞ。俺もこの辺に疎いから、どれが普通なのかわからんが、俺が持っている資金で泊まれるのは、こういう宿だな」


「そうなのか」


 マックスは、この男と同行する以上、困らせるようなことを言ってはならないと思った。いつも受付は執事や父が済ませてくれるため、自分でやるのは初めてだった。ギクシャクと玄関をくぐり、受付のおばあさんに、ギクシャクと近づき、深々とお辞儀する。


「マックス・ゴールデンアームだ。一晩、世話になる」


 おばあさんは、ぽかんとした顔でマックスの顔を凝視し、「あら!」と声を高くして驚いた。


「その黒髪は。ええ、ええ、承知しましたとも。大事な領主様の娘さんですもの、良い部屋をご用意いたします。お付きの侍女は何名様でしょうか?」


「侍女? あー、いや、その……」


 マックスは、後ろで御者と話しているアルデンを一瞥した。


(あの者たちと同じ部屋に泊まるわけにはいかない……。ああ、自室以外で一人部屋になるのは初めてだ、いささか心細い……。せめて、あの男の隣の部屋を借りたいが、そのようなことを、この受付に言ってしまったら、嫁入り前の娘が、明らかに地元の生まれではない男と旅をしていると、知られてしまう……。名門ゴールデンアームの淑女として、そのようなはしたない真似は、できない……)


 上手い言い訳が思いつかず、だんまりしてしまったマックスに、違和感を抱いたおばあさんは、マックスの背後を確認した。異国風の男が、二人しか立っていない。


「あら? マックス様、他の付き人はどうなさったのですか?」


「あ、ああ、えっと……」


「もしや、あの男の人しか連れていないのですか?」


「えっと、その……」


 怪しまれてしまった。心配そうなおばあさんに、なんて言えばごまかせるのか。おろおろとうつむくマックスの視界に、フル装備の革の防具が。


 己が未だに狩猟用の衣装であることに気づいたマックスは、これだ! と顔を上げた。


「彼らは、私の狩りの師匠だ。数日間、みっちりしごいてもらうつもりだ。それで、彼らと私の三人だけで、訓練している。父上にも、許可は取ってあるのだ…」


 嘘をついてしまったと、マックスは冷や汗を掻く。


 おばあさんが、キョトーンとした顔で小首をかしげている。怪しまれただろうか、とマックスの視線が右往左往。


「はー……こんなに可愛らしいお嬢さんに、みっちりと? 領主様の教育方針は、庶民の私どもには、わかりませんわね。マックス様、狩りの腕を磨くのもよろしいことですが、くれぐれもお顔に傷など付けないように、お気をつけくださいな」


 おばあさんは、マックスの泣き腫らした両目を見て、苦笑していた。大方、数年ぶりに領主と喧嘩をしたのだろうと見抜かれていたのだった。女性の身で剣技を修めているマックスの奇行と噂話は、この領土ではちょっとした娯楽となっている。


 まーた喧嘩してムキになって、狩りの師匠に何日も特訓を申し込んだり、こんなに小さな宿を選んで侯爵を心配させたりと……困った孫を見るような目で、おばあさんに微笑まれていた。


 マックスは、ひとまずほっとする。


(よくわからないが、何とかなったようだ……。これからは、私も顔を隠し、宿の受付の際にはあの男に二人分を頼めば、誰も私の正体に気づかれないだろうか)


 しかしマックスは着の身着のまま飛び出したせいで、お金を持っていない。あの男の世話になるのは嫌なので、これからも受付に嘘をつきながら、部屋を取ることになりそうであった。



 受付のおばあさんは、マックスに一番良い部屋をあてがってくれた。マックスの部屋は二階、アルデンと御者の部屋は、一階だった。


 おばあさんに案内されて、階段を上っていくマックスは、だんだんと腹が立ってきた……。あまり治安の良くないとわかっている場所に独りにされているこの状況が、とてもひどいものに感じたのだ。


(勝手について来たのは、本当に私の勝手であった。あの男を巻き込むのもおかしい話だ。第一、あの男は使用人でも何でもない、父上が呼びつけたわけでもない。だけども……突発的に家出をしてしまって、武器も私物も、何も持ってきていない私を、別の部屋に置いておくのは、何か違うのではないか? せめて、隣の部屋とか、取ってくれても良いではないか……。あ、そうか、あの男は手持ちがあまりないと言っていたな、では、貴族が泊まるような部屋の隣は、借りられないのか……)


 マックスがアルデンに合わせて、一般の部屋に泊まりたいと言っても、この受付が許さないだろう。領主の娘に粗末な部屋をあてがうだなんて、聞こえが悪いにもほどがあるからだ。


 マックスは、身分や立場の違いをしっかりと理解して、違和感や不満を、飲み込む。一人部屋の不安は……それも飲み込んだ。


「こちらがお部屋ですわ。それではマックス様、何かあれば、お呼びくださいね」


「あ、ああ、よろしく頼む……」


 おばあさんが部屋の扉を大きく開けて、鍵をマックスに預けて、持ち場の受付へと去っていった。


 マックスはいよいよ一人になってしまった。親子連れが騒いでいるのか、どこかの部屋から絶叫が聞こえる。マックスはおっかなびっくり、部屋の中へと入っていった。


(んん? この宿で一番良い部屋だと聞いていたのだが……)


 思ったよりも狭くて、マックスは戸惑いがちに室内を見回していた。簡素なベッドの横に、窓と机が一つ。壁には短い棚が打ち付けられていて、反対側の壁際には細長いクローゼットが一つ。


 机には、イラスト付きで説明書が一枚、置いてあった。マックスは手に取って、読んでみる。紙面には、トイレは外で共同、風呂は受付で頼むと有料で湯を沸かしてくれるが、大きなたらいに湯が張られ、タオルを濡らして体を拭くというやり方であった。


 毎晩、浴槽たっぷりのお湯に、良い香りのする香油を垂らして、侍女に体を洗われているマックスにとっては、何もかもが目を白黒させる説明であった。


(……まあ、昔やった野宿よりはマシか。あの時は自力で火を起こし、湯を沸かしていた。なるほど、庶民の生活は野宿よりはマシという感じなのだな)


 マックスは屋根を見上げた。雨漏りしそうにない、しっかりした造りで、ほっとした。


「うん、久々の家出にしては充分だ」


 今日はたくさん泣いてしまって、疲れた。もう湯を借りて、寝ようと思った。ベッドに座ってみると、布団が薄くて硬かった。めくってみると、薄い布団のすぐ下にベッドの骨組みが出てきた。


(これは……熟睡は期待できそうにないな。馬車の乗り心地も最悪だったのに、ベッドまでコレとはな。しかし、今度ばかりは、折れて帰るわけにはいかない。今あの屋敷には、あの男と、私の味方をしてくれない家族がいるだけだ。彼らを説得できるという自信が湧くまでは、絶対に戻るわけにはいかない……しかし、飛び出した私を、心配しているかもしれないな。明日の私は、不安に負けて家に戻っているのかもしれない……)


 確かな事は、今日は絶対に家に戻らないということ。そして、明日にはここを旅立つあの男に付いていける状況に、今とてもワクワクしていることだった。


(アルデン、そなたの研究成果は、必ずやこの私が取り戻してやる! そして、あの男の罪を白日のもとに晒し、父と兄上の目を覚ましてやらねば!)


 ベッドの上で一人、張り切るマックスなのであった。


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