第10話   彼女が決めたコト

 話の先を、真剣な顔で知ろうとする少年の眼差しに、アルデンは目をぱちくりしていた。なぜこの少年が、自分たちの研究にここまで親身になるのかが、全くわからない。


(この少年は、俺たちの研究の内容を知っているのか? もしかしたら、陰ながら研究が成就するのを、応援していてくれたのかもしれないな。俺は今し方この少年の存在を知ったのだが……。こういった支持者の存在も、なかなかに嬉しいものだな)


 アルデンは、少年にもわかりやすく説明することにした。


 侯爵家の主人は、たとえ不届きな男が全てを偽っていようが、それをアルデンたちが白日のもとに晒そうが、双方に口論のみで勝負をつけさせる気は、全く無いのだと。すべては、結果次第だ。侯爵にとっては、結果のみが大事なのだと。


 アルデンが侯爵から出された課題は、未だ実験段階を出ない研究を、材料を揃えて、皆の前で完成させること。現在アルデンは、材料を手に入れるために移動中であるのだと。


「俺たちは、誰でも作れる万能の痛み止めを開発していた。安価で、多くの人間が手に入るようにしたかった。しかし、材料の提供先と、まだ連絡が取れていない状況なんだ。人体に影響を及ぼす物の材料だから、信頼の置ける相手を選びたい」


「おお! これから、その相手と連絡を取り合うために、赴くのだな?」


「そうだ。ついでに地元のキノコとか、仕入れに行く」


「それも薬の材料に使うのか!?」


「いや、久しぶりに食べたくなってな」


「……そうか。まあいい。そなたの研究を横取りされないためにも、急がなければな!」


 少年の、まるで自分の矜持が掛かっているかのような張り切りぶりが、アルデンにはひたすら疑問であった。ここまで他人事に首を突っ込みたがる子供は、見たことがなかった。


「なにを立ち止まっておる! 急ぐぞ」


 そう言って、並んで歩きだす。アルデンは疑問だったが、荷馬車で別れるだろうと思い、そのままにしておいた。


「あ、そうだアルデン、研究に関する書類を盗まれたのなら、薬の作り方も、あの不届き者に知られてしまった可能性はないか?」


「ああ。あの書類には材料や分量を、細かく記載してある。書類が犯人の男の手に渡っている今、犯人にも薬が作れてしまう可能性は高いな」


「どうするのだ!? 父から課せられた試練は、皆の前で薬を作ってみせることなのだろう? 誰でも作れるよう研究した薬なら、あの男にも作れてしまうのではないか!?」


「そうだ。あいつも材料を集めて、あの薬を皆の前で作るだろう。それで俺たちは、侯爵の前で、薬の出来の良さを競うことになったんだ」


「ええ!? では、万が一にも犯人の男の薬のほうが、良い出来栄えだったら、どうするのだ!? お前たちが一から生み出した成果なのに、あの男だけに軍配が上がってしまうぞ」


 まさに、とアルデンはうなずいた。


「それならそれで、あきらめるしかないな」


「え?」


「皆が使う薬を、誰よりも上手に作れるのなら、そいつに作ってもらったほうがいい」


 少年が「はー!?」とアルデンを凝視して大声を上げた。


「なんだそれは!? 悔しくないのか!? 長年、情熱をかけてきた成果なのだろう!? それを、ぽっと出にさらわれて……私は盗人ぬすっとが作った薬なんか、飲みたくないぞ!」


「俺だって易々と手柄を取られるのは嫌さ。要は、こちらに必ず軍配が上がるように、上質な素材を集めればいいだけのことだ。それを今から、始めるところだ」


「材料のストックは無いのか?」


「どうせなら、新鮮な物を使いたい。学会が審査結果を出す予定日も、まだ先だから、充分に間に合うぞ」


「何を呑気な……」


 少年が、頭痛がするとばかりにおでこを抑えた。どうやらこの少年の目には、アルデンたちが勝てるように見えないらしい。


 どう思われようとも、特に気に留めないアルデンは、少年に合わせていた歩幅を戻して、スタスタと少年を追い抜いていく。


「それでは、俺は先を急ぐから。君も早く家に帰るんだぞ」


 アルデンは軽く言ったつもりだったが……少し間をおいて、後ろからひたひたと付いてくる気配がしたから、首だけで振り向いた。


 あの少年が、かなり距離を置いて後ろを歩いている。


(どうした? まだこっち方面に用事があるのか? こっちの方角に向かって、泣きながら歩いていたしな……)


 少年が意味もなく彷徨い歩いていただけだったのを、アルデンは知らない。


 アルデンが大通りの路肩に停車させたままの荷馬車に乗り込んだ時、あの少年の気配が、馬車のすぐ近くまで近づいてきたときには、さすがに気になって荷台から顔を出した。


「……」


「……」


 少年は真っ赤な唇をとがらせて、何か言いたげだが言えないジレンマと戦っていた。今にも泣き出しそうな顔をしている。


「どうした? そんな顔されても、一緒に連れたってはいけないぞ」


「そ、そんなこと、誰が頼んだ! 私はただ、家に帰りたくないだけだ……」


「帰りなさい。空がすっかり真っ暗だぞ」


「私の家に、そなたの研究を奪った犯人が居るんだ。会いたくない……」


 それはアルデンも初耳であった。アルデンとアーサーは老執事と侯爵には会ったが、犯人の男はとっくに逃げた後だと思い込んでいた。


「そうだったのか。だが、連れて行くことはできない。食料も荷物も、資金も、俺の分しかないんだ。君はおうちの人とよく話し合い、あの男と顔を合わせないように生活できないか、考えてみてくれ。それじゃ、俺はこれで」


 アルデンは、きっとこの少年とはこれきりの縁だと思っていた。ところが、少年が荷台に乗り込んできてしまった。


「こらこら」


「私も一緒に行く。そなたたちの研究がうまくいってない事は、私もずっと気がかりだったのだ。私を連れて行けば、父上にも口添えしてやれる。それに、そなたは他所よそから来た者なのだろう? 土地勘がないはずだ」


「まあ、無いな」


「私が道案内を請け負おう! ここは私の愛する領土だからな、大概の場所なら知っているぞ!」


 少年は自信満々だが、路地裏も、少々物騒な農村にも、一度も足を踏み入れたことがないのだった。そのような場所を、彼女の父親が行くのを許すわけがなかった。


 そんなことを、この二人は知らない。アルデンは、侯爵家のわんぱく子息を、手荒なことをして無理やり馬車から降ろすわけにもいかず、どうにも家に帰りたくない様子でもあるから、仕方なしに、途中まで連れて行ってみることにした。どうせ飽きて、すぐに帰ってしまうだろうと思っていた。


「さっきも言ったが、俺の分の荷物しかないぞ」


「心配ない、現地で調達する。旅費は領民に事情を話して、後で支払う」


「しっかりしてるな」


「ふふん。それに私は狩りの腕にも自信があるぞ。昔、家出して三ヶ月ほど森で一人暮らしをしたことがある」


 君もなのか、とアルデンは思ったが、言わないでおいた。姉弟きょうだい揃って、破天荒である。


 自慢げに矢立を揺らして見せる少年だが、カラカラと、頼りない音が。少年が振り向くと、矢が一本しか入っていないことにたった今気づいたらしく、「ああ!?」と絶叫した。


「しまった、屋敷の使用人に捕まった際に、弓も矢も奪われてしまったのだった……」


 奪っていないと、あの男を殺傷しかねないと判断されてのことだった。


「激しい家族喧嘩だな……」


 苦笑し、少年と斜め向き合うように座り直すアルデン。膝を立てて、くつろいだように姿勢を崩す。


 少年は警戒心がどうしても消えないのか、緊張している様子だったが、自分の前で気を許しているふうな男の様子に気づくと、物珍しそうに眺めていた。


(情緒の不安定な子供だな。まあ、家でいろいろあったようだし、仕方ないか)


 二人を乗せた荷馬車が、緩やかに進み出した。


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