第9話 彼女を気にかけるモノ
声をかけてしまった手前、アルデンは少しだけ少年に歩み寄り、その身なりを、ざっと観察した。エンボス加工の分厚く艶やかな革の防具で全身を包みこみ、行動の妨げにならぬよう本人の身長に最適化された漆黒のマントは、彼の小柄な体を、もう一回りほど大きく見せていただけで、振り向いて正面を向かれると、とても華奢な体躯であった。薄くても、しっかりとした作りの革の手袋、その手の甲には、ついさっきゴールデンアーム家の玄関扉で見た紋章が焼き印されていた。
少年は黒髪をすっきりとまとめて、黒の帽子の下に収めていた。それが顔の作りのシャープさを強調し、歳若くても凛々しい気高さを放つ騎士のような出で立ちに見せていた。
革といえどフル装備すれば、それなりの重量になる。それでも少年の足取りはしっかりとしており、アルデンが泣き声に気づかなければ、悲しんでいることすら誰にも気づかれないほどだった。人間社会に疎いアルデンでも、この少年が良家の出身で、武闘の何たるかを叩き込まれて育ったのだと伝わってくる。ひどく泣いていても、なお崩れぬ姿勢の良さからして、体幹含め、体のあらゆる箇所を鍛え抜いているのは明白だった。
少年は、色白な頬を上気させ、眉毛の下から目の下まで、真っ赤に
以上の観察結果から、めちゃくちゃ鍛えている良家出身のお坊ちゃんに、何か悲しいことがあって、泣きながら夜道を歩いている、ということだけがわかった。
しかし、このぐらいの歳の少年であれば、泣いている姿を見られるのは恥ずかしいから、人目につかない場所で隠れて泣くような気がするのだが、この少年は、堂々と大通りで泣き顔を晒している……そこだけが、アルデンにはよくわからなかった。
(この先に、用事のある人間がいるのかもしれないな。今からそこへ相談に行く、という流れだろうか?)
詳しい事情を知らないなりに、アルデンは予想をつけてみた。
ちなみに、この少年が人通りの多い大通りを歩いている理由……それは、父や兄、使用人たちから、奥まった道は危ないから絶対に一人で入ってはいけない、と言われて育ったからだった。だから彼女は、特に暗くなってきた今の時間には、奥まった道に入ろうと思わない。ただそれだけのことだった。
たとえ彼女が薄暗い場所へ迷い込み、そこで不埒な輩に絡まれたとしても、充分に勝てる実力を持っているのだが、それでも彼女の父としては、下品な文化を学んで欲しくない、だから路地裏などには行ってほしくない、というのが娘の行動を制限する理由であった。
「そなたは……」
少年は泣き腫らした目を細めて、アルデンをじっくりと見上げた。そして、信じられないものを見るかのような顔になる。黒い手袋で覆われた両手で口を覆い隠し、その黒々とした双眸は驚きに開かれる。
(まあ、そういう反応になるだろうな。エルフ族は、珍しいだろうし……)
おそらく森の奥から出てきたエルフ族は、数えるほどだと思われた。それこそこの近隣では、アルデンとその友人のアーサーぐらいしかいないだろう。それ程に、人間と交流のない種族だった。森の中の民を研究している専門家の著書にすら、エルフ族の名前は出てこない。エルフ族と魔術師という存在は、長らく人間の世界では禁忌とされ、親が子に紡ぐおとぎ話のみがその存在を後世に伝えるだけとなっていた。この国の王が、そんなエルフたちと交流を持とうと決意しなければ、今もなおエルフ族は森の奥深くに住み、お互いにお互いを毛嫌いしながら、暮らしていたのだろうと思われた。
人間の方から歩み寄ってきたから、それに応えようと思ったエルフたちが、この国に集まって来たまでのこと。近年では世界各地で、この国の王と同じことを始めた国が、点々と現れているらしいとの噂だが、あまり上手くいっていないらしい。エルフ族にとって魅力のある条件が、出せていないのだろうとアルデンは考えている。
この少年がエルフ族に対して、どのような偏見を持っているかはアルデンにはわからないが、こんな珍獣を見るかのような眼差しを向けられてしまっては、好感は持たれていないのだろうと思われた。
「そなたは、もしや、城で会った魔術師か?」
アルデンの金色の眉毛が、真ん中に寄った。
「ん……? どこかでお会いしたか? すまない、城には大勢の人間がいて、全員をはっきりと覚えていないんだ。申し訳ない」
そうと聞いて、少年が少し残念そうな表情になった。
「そう、か……そうであるよな。城には、大勢の人間がいる。私より、華やかな娘たちも……」
確かに、とアルデンはうなずいた。どうしても女性より地味な色合いになってしまう男性陣の服装、しかも城内では兵士が決められた制服を着ているものだから、個性豊かなドレスをひらめかせる女性陣よりは、圧倒的に地味に見える。彼らの名前もエルフ族より短くて、それがアルデンには覚えづらかった。アルデンの本名は、アルデリオス・モブリーンであるが、これは人間社会に適した長さに縮めて名乗っているだけであって、本当はもっともっと長く、名前の記入欄を三行に増やして、ギチギチに埋めて書いて、ようやっとフルネームを他人に伝えられるという有様であった。
少年が急に機嫌を損ねたように、プイとそっぽを向いてしまう。
「そなたは、どうしてここへ来た? もしやそなたも、我がゴールデンアーム家の者に、取り入ろうとして来たのではあるまいな」
「は?」
少し遅れて、アルデンはピンときた。
(ああ、あの侯爵のご子息なのか。そういえば、男の兄弟が多い家らしいな)
アルデンは、少年が家柄のことで、よそ者を警戒しているのだと思った。財産や地位に恵まれている家柄であるなら、他者を容易に信用しない感情が湧くのは、普通のことだろうと思った。
「どうか、警戒しないでほしい。俺の名は、アルデリオス・モブリーン、えっと、アルデンだ。ここでは仕事の書類を取りに来ただけだ。その途中で、どうしても侯爵家に寄らざるを得なかったが、侯爵家に取り入ろうとか、そんなことを考えてのことじゃない。用事が終わったら、すぐに城に戻る。ここには、本当に仕事のついでで立ち寄っただけなんだ」
すると、少年のふてくされていた顔が、驚きをにじませてアルデンを見上げた。しかも、少年のほうから目の前まで駆け寄ってきた。
「もしや、そなたたちが進めていたと言う研究の、その結果と資料が載っている書類か?」
「え? ああ、そうだ」
少年の目つきが険しくなった。
「そなたたちの研究は、やはりあの不届きな男に盗まれていたのだな。では、私と屋敷へ戻ろう! そなた、アルデンといったか、アルデンの証言があれば、あの不届きな男が全てを偽り、父上に取りなそうとしていたことが、明るみになるだろう」
「は?」
「あの不届き者は、そなたたちの研究を、己一人が修めたかのように、我が父に報告していたのだ。私はそれが許せず、家を飛び出した。だが、そなたさえいてくれたら、全ての罪を明るみにでき、私も家に帰ることができる。さあ、ともに屋敷へ戻ろうではないか!」
アルデンは、無言だった。
その反応に、少年が目尻を釣り上げる。
「どうした? 私の提案では不満か?」
「いや、君の提案は、嬉しいのだが……真実を明らかに、とか、犯人は誰だ、とか、今はそんな段階じゃないんだ」
「……ん? どういう意味だ?」
少年がアルデンを興味津々で見上げている。その小さな顔は、泣いてこすってしまったとはいえ、普段からの手入れが行き届いており、きめ細やかで、瑞々しかった。酒場から漏れる暖かな光が、少年の素肌を柔らかく照らしだし、無邪気で可愛らしいものに見せていた。
(この少年は、いくつなんだ? そこまで幼いように見えないのだが……なんだか言動に違和感を覚えてしまう)
アルデンは少し困惑していたが、それは少年には露ほども伝わっていないのだった。
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