第二章 走りだしてゆく
第8話 彼女と再会するモノ
青年二人は、ゴールデンアーム公爵と三人だけで、応接間で話をした。アルデンは、あの詐欺師の男について話し、奪われた研究に関する書類の話をした後、なぜか侯爵から奇妙な条件を出され、さらには、アルデンが必ず屋敷に戻ってくるように、人質として同僚の青年が取られてしまったのだった。
(こんなことになるだなんて……ゴールデンアーム公爵は、なかなかの曲者だ)
ゴールデンアーム公爵は、娘の婿を、家柄や血筋だけで選んでいたわけではなかった。あの家系は代々、体が異様に丈夫なものばかりであり、公爵はそろそろ「飛び抜けた頭脳派」な人間を、己の家系図に加えたいと思っていたところだったと言う。
そして、婿候補の一人に、あの詐欺師の男が入っていると言うのだから、大変驚いた。公爵は、詐欺師の男が口先三寸で利益を貪ろうとしていることも、大勢から研究をむしり取り、さらに、この国の女性の地位が低いことを利用してご令嬢を言いくるめて妻にしようとしたりと、その浅ましさと卑しさ、それすら自己アピールとして公爵の前にさらけ出して見せる大胆さや行動力などなど、この男ならば娘ともやり合えるのでは、そして、このゴールデンアーム家に無いものを、補充してくれるだろうと見込んだのだそうだ。
(意味がわからない……身内の中に、不誠実な卑しい悪人を、入れようだなんて……。皆殺しにされて、財産だけを奪われて、逃げられたらどうするんだ……? ああ、あの公爵に敵う人間など、そうそういないか。その辺を歩いている人間ならば、容易に首をへし折られそうだしな)
アルデンは一人、黄昏時の街を歩いていた。
同僚との交換条件として、侯爵が出した『課題』は、なんとも横暴であったが、挑んでみるしかない。ここで魔術など使って侯爵を害しては、エルフ族と人間の橋渡しなど、夢のまた夢となる。
大通りを歩きながら、アルデンはため息だった。
(嘆いていても、仕方がないか。学会の審査が終わるまでに、公爵の課題を果たさねばな。……といっても、はたして学会の審査は終わるのだろうか? まあ、たとえ終わらなくとも、人質に取られたアーサーを早々に取り返さなくては、あいつの機嫌も悪くなってしまう)
ここは不慣れな異国の地。当然アルデンに土地勘はない。この領土に入る以前から、ずっと一緒に行動してきた同僚とはぐれてしまったのは心細かったけれど、アルデンはあんまり慌てていなかった。寂しくて泣いてしまう年齢は、とうの昔に過ぎている。
屋敷を出る際に、あの老執事に「お嬢さんは大丈夫なのか」と尋ねた。こんな薄暗い空の下、走って飛び出していってしまったご令嬢に、何かあっては大変なのではないかと。
するとこんな返事が返ってきた。
「お嬢様を見くびられては困ります。もう少し幼かった頃は、喧嘩されたら三ヶ月は戻らなかったこともありました。その間の食料は、狩場に潜んで狩猟生活をして得ていたのです。いやはや、あの時はさすがに旦那様も慌てておりましたよ。こんな噂が広まっては、嫁の貰い手がなくなってしまう……とね」
娘の身の上の心配ではなく、嫁入り先の懸念とは。ゴールデンアーム家のご令嬢は、よほどの女傑のようである。
(……なら、俺が心配する必要ないか。ここに来たばかりの俺たちと違って、お嬢さんのほうが土地勘もあるし、三ヶ月もサバイバルできるなら、誰の手助けも無用だろう。そこまでのおてんば少女だとは、思わなかったな。一言、お話してみたかった)
これまで城で出会った女性の中で、侯爵令嬢らしき女性がいただろうかと、アルデンは思い出してみる。王女の付き人と聞いてはいるが、王女は世話係を頻繁に撒いており、一人で魔術師の詰め所に遊びにくるので、心当たりのある女性は……一人だけいた。
(たしか、黒髪の……)
もう少しで思い出せそうだったのに、ふと、周囲の酒場の雰囲気が珍しくて、そっちに意識が奪われてしまった。森暮らしの彼にとっては、どんな店も驚くほど派手で、不思議なものに見える。
魔術師の詰所前の廊下で、王女の後ろに控えるように立っていた、あの美しい黄昏時を思わせるドレスに身を包んだ可憐な少女を思い出す日は、もう少しだけ先のことになるのだった。
アルデンは店じまいをする辺りの店を眺めているうちに、もっと明るい時間にゆっくり観光できたら、どんなに良いかと残念に思った。表通りに置かれた商品は、とっくに店内に仕舞われて明かりも消されており、いったいなんの店だったのかもわからなくなっている。それと入れ替わるように居酒屋が、店内を煌々と照らすオレンジの光を、窓から外の石畳に反射させ、アルデンの髪を暖かな色に染めていた。
観光したり、土産物を眺めたり、そんな時間が欲しかった。いつもの連れであるアーサーと、それから人間の友達とも一緒に……あの研究が上手く学会に通ったら、そういった日々が当たり前のように、訪れるものだと思っていた。
アルデンはゆっくりと瞬きする。
(なーに、大きな目標にはトラブルがつきものだ。俺たちは何も悪いことはしていない。学会は、必ず俺たちのことをわかってくれる。今は、俺にできることをするだけだ。丁寧に丁寧に、一つ一つこなしていこう)
アーサーが心配だ。不安にならないわけではない。だが、意外としっかりしており、慎重すぎるアルデンを軽やかに引っ張っていってくれる男だった。アーサーならば、どこだって楽しくやっていけるのではないか……そう思うと、アルデンの心から陰りが消えた。
アーサーの分の荷物は、本人が持っている。荷物ごと、侯爵家の屋敷に軟禁されている。今アルデンの手元にあるのは、アルデンの私物のみ。それでも、両手が塞がるほどだった。大きなリュックサックが欲しいところだが、これが全部入るサイズが見当たらないのだった。
(人間界で暮らすうちに、荷物が増えてしまった。森の中の自宅で悠々と研究していた頃は、こんなに抱えて旅をすることになるとは思わなかった)
アルデンの向かう先は、あの荷馬車だ。城から、ゴールデンアームの領地に彼らを運んでくれた、あの荷馬車であった。今度は、あの馬車を使って別の場所へ移動しなくてはならない。長旅となるか、それとも案外、短く済むか。無論アルデンは後者を願っている。
だが、こればかりは、天の運であった。
「ん……?」
子供の泣き声が聞こえてきた。近くに親がいるのだろうと思ったアルデンだったが、どうにもその声は、子供らしからぬ肺活量から発せられているように感じ、妙に感じたアルデンは周囲を見回した。
柔らかく、長い金髪で隠れた長い耳は、人間より聴覚が優れている。店じまいされ、店内も真っ暗に明かりを落とされた、その店の前を、全身黒ずくめの小柄な少年が、肩を震わせながら、アルデンより六メートルほど先を歩いていた。
泣き声を漏らすまいと、苦しげにしゃっくりしている。
ちょうどアルデンと、歩く先が一緒だった。アルデンの視界に、震える肩が、ずっと映ってしまう。
「もし……大丈夫ですか?」
見かねてアルデンは声をかけた。
かなり驚かせたのか、ものすごい勢いで振り向かれた。声をかけたアルデンの方がびっくりするぐらい。
「……」
「……」
二人は立ち止まり、しばし見つめ合った。
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